三六話 独りよがり?
僕はその日の夜。エヌとお話することにした。
ベットで話し合うのではなく、椅子に座って面と向かって対話している。
「どうしたんですか?」
「エヌは今日の会話を聞いていたよね」
「あー。はい。聞いていました」
エヌは気まずそうに視線を逸らした。結婚に関係することだし、いつも軽いノリのエヌでも流石に対応に困ってしまうみたいだ。
僕も欲望を出した会話を思い出して少し恥ずかしい気持ちになった。
だけど、話題ができるのは今しかない。エヌは僕といる事をどう思っているのか。僕はそれが気になっていた。
「難しい質問だけど、エヌにとっての幸せって何かな?」
まずは具体的なことを聞かずに抽象的な質問をした。
「幸せ。ですか。あんまり考えたことがなかったですね。元々、国の暗殺者をしていて生き方なんて考えていなかったですから。せいぜい楽に死にたいぐらいしか考えていませんでした。孤児ですし死んでも悲しむ人もいませんし」
エヌの人生は孤児として捨てられていた所を国に拾われた所から始まった。物心がつく頃には暗殺者になるために過酷な教育を受けていた。
暗殺者の心は難しいけど、エヌの事は分かる。
エヌは命を軽く見ていた。だから、死ぬ事を恐れていなかった。その代わり、苦痛を伴う死に方は恐れていた。
「でも、今は一人だけ死んだら悲しんでくれる人がいる。私にとってはそれが一番の幸せなのかもしれないです」
きっと、僕の事を言ってくれているんだろう。
「なので、私は悲しんでくれる人よりも先に死にたいです。幸いな事に天寿を全うしても十歳若いその人より先に死ぬのは分かっています。きっと、その人は大きい墓を作ってくれて毎日思い出を話しに来てくれるでしょうね」
冗談めかしく言っているけど、その未来を想像したら僕は少なくともそれぐらいはしていた。
「でも、エヌは私の為に悲しんでくれる人には幸せであって欲しいです。だから、その傷を癒してくれる別の誰かいれば、エヌは安心して死ぬ事ができます」
「そんな人いないと思うよ。きっとエヌが死んだら、心に塞げない大きな穴が空くと思う」
「その穴こそがエヌの幸せなんです。他の女に埋められたら困りますよ。ただ、その穴を抱えても立ち上がれる程度に支えてくれる人がいいんです」
死を悲しみつつも、幸せになる。それがエヌが求めていることだった。
「言っちゃいますね。エヌにとっての幸せはベルク様の心に死なないぐらいの大きな穴を空けることです。だから、エヌは一生ベルク様の隣にいたいですが正妻にはなれません」
エヌは僕を気遣ってくれて、本当に聞きたかった結婚について回答してくれた。
エヌが正妻だったら、僕が後追いをするほどのダメージを負うことを考慮してくれたんだろう。そして、結婚出来ないとはっきり言ってくれた。
……なんだろう。鼓動がはっきり聞こえる。
おかしいな。この話題をする上でどんな回答が来ても大丈夫な覚悟をしていたはずなのに、体が勝手に動いている。
体の中心に血が集まり末端の血がなくなったみたいに感じる。
これが血の気が引くって感覚。
感情の整理が追い付いていないのに、感情が表に出てきている。
「僕は……エヌと結婚したかった。だって、一番好きだから」
これまで色んな人に会ってきたけど、エヌ以上に恋愛感情を抱いた人はいない。僕にとってエヌは誰よりも大きい存在で何をするにも彼女の事を考えていた。
「エヌもベルク様が一番好きですよ。あなたに選ばれてから毎日が幸せです」
エヌは僕を抱きしめて慰めてくれた。
溢れ出そうな感情あったけど、エヌが抱きしめてくれている間はそれが抑えられる。
「ごめん」
「いいんですよ。エヌはどんなベルク様でも大好きですから」
僕らは愛し合っているはずなのに結婚はできない。
僕の人生の中でこんな理解が出来なくて辛いことはなかった。
僕は天才で、知識量もある。他の人たちが理解できないことも理解できるし、理解をアウトプットすることも誰よりもできる。
この一年で多くの人たちと関わった。その上で自分の才能がどれだけ他人を圧倒しているか知ることができた。
きっと、僕は世界を征服できる。やろうと思えば、エヌ以外の人類を根絶やしにすることも不可能じゃない。この僕でも手に入らないものがあった。
でも、それがなんだか分からない。
だって、僕とエヌは互いに好きなはず。年齢は後十年もすれば気にならないし、身分差は最早意味がない。僕らを阻む壁はないに等しい。
なのに、なのに――
思考が巡って感情がぐちゃぐちゃになっている。
――――――
いつもと変わらない朝。
エヌは僕の隣で吐息を立てている。
いつもと同じ光景なのに、その少女の姿に惹かれてしまう。
今までの僕はエヌを可愛いことと金髪ぐらいしか見ていなかった。
いや、意図的にそれ以上の所を見ないようにしてきたんだ。
エヌの髪は肩ぐらいまでで女性にしては短いぐらいの長さ。そして髪質は少し細くて特に寝起きはふわふわが爆発している。毎日整えるのは大変そうだ。
目は濃い赤で闇夜の時は発光してみるみたいでかっこよく見える。暗殺者っぽくてエヌ自身も気に入っているらしい。
体つきは全体的に細い。痩せているというよりは骨格から細くてパワーよりも早さを優先した筋肉の付き方だ。
寝巻のせいもあるけど、胸やお尻は大きくない。これまで出会った女性の中でもトップクラスに小さい。昨日の僕はこの胸元で泣いて気分を落ち着かせていた。
僕はエヌに性的指向を持っている。僕が好きになるのはきっとエヌみたいな体形の人だ。
お世話をして貰う関係でエヌの裸は何度も見たことがある。その時は特に何も感じなかったけど、今の僕は違う。
彼女の体に触れたい。そういう気持ちが確かにある。これが欲求ってものなのかな。
きっと、僕が何をしてもエヌは許してくれるだろうし、文句すら言わないだろう。だけど、僕は欲望に逆らって触れたりしない。
振られたとはいえ、僕の初恋の相手であることには変わりない。強引に迫る気はない。
いつもならエヌは僕が起きるとすぐに起きる。だけど、今日は起きる気配すらない。きっと、今の僕の状態が関係しているんだろう。
フェトラが現れた。
「ベルクさん。おはようございます」
『フェトラ。おはよう。どうしたの?』
エヌを起こさないように特定の場所に音を伝える魔法《密伝音》を使ってフェトラに返答した。
フェトラの姿も今見てみれば気付きがある。
彼女の髪質はエヌとほとんど同じだ。目の色も似ているし、体の細さも同じだ。
髪の長さと色が同じだったら、かなり似ている部分が多い。
「そのお姿はどうしたのでしょうか?」
『ああ。髪の事? 失恋のショックで白くなっちゃった……なんてね。種族進化だよ』
僕の容姿は今、真っ白な髪に目が種族進化したときの『世界の目』と『魂の目』になっている。
「最上位種のエルダーヒューマンですか。進化がしやすい他の種族とは違いまさか最上位種が誕生するとは思いもしませんでした」
『失恋をしたら種族進化するなんて思ってもいなかったよ。でも、これで僕は名実ともに化け物になったって訳だね』
種族進化については今では亜人族特有のものだと言われているけど、大昔の文献ではハイヒューマンに進化したらしき事例はある。だけど、その上については言及すらされず、ハイヒューマンが人類の到達点と言われていた。
はっきり言って、今の僕は人間じゃない。
「腕を広げて、どうなさいましたか?」
『抱きしめてよ。ずっと一緒にいるのにフェトラに抱きしめられたことはないからさ』
「分かりました」
フェトラが抱きしめてくれた。
悪魔の肌触りは人間のそれと変わらない。この感じはエヌに抱きしめて貰った時の感覚とほとんど同じだ。
エヌがいなかったら、フェトラの事が好きになっていた。きっと、フェトラが来た悲惨な未来の世界ではフェトラの事を愛していたんだろう。
『ごめん。ありがとう』
「……なんで謝ったかは聞かないでおきます」
真っ赤な髪はエヌの目を、黄色い目はエヌの髪を想起させる。エヌの面影を重ねてしまった。
『覚悟を決めたよ。僕は化け物になる』
これまでは多少なりとも自重してきた。なるべく、社会のルールに乗っ取るように努力してきた。
それは社会で生きる為に従って来たけど、僕はもう自分を隠したくない。
だって、自分を隠していたら、本当の僕を支えてくれるような人は見つからない。エヌがそういう人ができることを望んでいるのなら僕にできることはそれに応えることしかない。
世界に僕を知らしめる。その他大勢がどう思っても関係はない。僕にとって大事な人さえ僕を理解してくれればそれでいい。
一人の男としてこの力を使ってみよう。




