三十話 母親
ギルケアス帝国から帰ると、家が慌ただしかった。使用人の人たちが慌てて屋敷を整備している。
僕が帝国でいろいろやったことが関係しているかなっとも思ったけど、誰も僕の事を見ていなかった。おそらく、僕は関係ないのだろう。
臨時的な従者だったみんなとは別れて、エヌと二人で屋敷に入った。
「早く部屋で絵をみたいなー」
僕は亜空間にしまっている第二皇女のエルから貰った絵を見ることを楽しみにしていた。だから、家で何があったかは気にせず自室に直行していた。
「ベルク様に絵の趣味があるとは思いませんでした」
「エヌはあの絵の凄さが分からなかった?」
「すごいのは分かりますが、あれほど眺めるのはエヌにはできませんね」
「まあ、食事と一緒で好き嫌いはあるから仕方ないよ。きっとエヌにも好きになれる芸術があるかもね」
自室までもう少しの所で従者長がやって来た。
「おかえりなさいませ。ベルク様。お疲れの所申し訳ありませんが当主様がお呼びです」
「分かりました」
お父様は僕に干渉してくることはなかった。呼び出しもあまりなかったし、長旅の後ですぐに呼ぶような人でもない。
それほど、急用なんだろう。
絵を見たい気持ちをぐっとこらえて当主の部屋にやって来た。
部屋にはお父様ともう一人女性が椅子に座っていた。
高価そうな修道服を着ているけど、どこの人だろう?
「ベルク。長旅ご苦労。よく来てくれた」
「ご用件はなんでしょうか?」
僕はこの場を早く去りたかった。
なぜならば、あの女性が僕に向ける視線が汚物でも見るかのように汚れ切っていたからだ。
強くなる過程で敵対されることはあったけど、そんなに悪い気分じゃなかった。だけど、あんな感じに軽蔑の目を向けられるのは不快以外の何物でもない。
「まあ。まずはお茶でも飲んで一息ついて……」
「申し訳ございません。ご招待して頂いた皇女様への手紙を早急に書きたいので」
「それはすまない」
「やっぱり、傲慢で醜い子になっちゃったわね」
やっぱり、予想は合っていそうだ。
開口一番、悪口から入るような人間がまともな訳がない。
無視してさっさと、要件を済ませよう。
「それでどのような要件でしょうか?」
「それが……」
「回りくどいことをしないで頂戴。ベルク。あなた。今すぐ聖国の下僕騎士になりなさい。その腐った性根を叩き直して貰いなさい」
下僕騎士? 名前からしていい響きじゃない。
あの女性の人は何を言っているんだろうか?
「何? あなたは私の子でしょ。母親のために聖国に仕えなさいと言っているのが分からない訳?」
「ごめんなさい。どちら様ですか?」
「はあ」
女性は大きなため息をついた。
「家の力を使って学者ごっこをしている割には頭は悪いのね。この子のどこがケサドやエッシュより上なのかしら。低能も低能じゃない」
無礼な人だ。仮に本当に僕の母親だったとしても、関わりたくない。
ただ、僕の役職を家の力だの頭が悪いだの言うのは認められない。それは僕だけじゃなくて任命してくれたサミュへの侮辱でもある。
「お言葉ですが、私は図書館の副館長の職を預かっている立場です。根拠のない下品な批判は断固抗議させて頂きます」
あっちがその気ならこっちは事務的に対応してやる。まともに相手をしてやる気はない。
「まったく、立場しか誇れるものがないのかしら。ケサド。私がいない間にどんな教育をしたのよ。親に対する忠義が全くないじゃない」
「いくら親であっても、そんな言葉使いをされる方の指示に従うとお思いですか?」
この女性の言葉は心に響かない。
明らかに変な人に貶されてもどうでもいいとしか思わない。
自分の言葉が僕に効いていないことを悟ってか女性は激高した。
「産んでもらった恩を忘れるなんて! やっぱりあんたは悪魔に憑りつかれているのよ! 早く浄化して貰わないと」
悪魔という言葉に少し反応してしまったけど、この女性は悪魔と契約していない。だから、僕が悪魔と契約していることなんて知らない。
それに、あの女性が言っていた聖国はエンドハイムの事だろう。あそこは昔から悪魔や魔女と言って罪のない人間を処刑するような宗教国家だ。相手にしてやる価値はない。
「当主様に要件がないようでしたら、戻らせて頂きます」
「……分かった。戻っていてくれ」
「それでは失礼します」
あの女性はおそらく本当に僕の母親なんだろう。だけど、あんな人を母親として認める気はない。
「エヌ。戻るよ」
「はい。……どうされましたか? 顔色が優れませんが」
「いや、なんでもないよ。ちょっと不快な生物がいただけだから」
いつまでいるかは分からないけど、出くわさないようにするのは難しくない。
「その生物。殺しましょうか? おそらく今のエヌなら簡単に殺せますよ」
エヌは僕の母親がどれほどの立場にいるか知った上でそう言った。覚悟もそうだけど、自身の実力をしっかりと理解している。護衛がいくらいてもエヌの暗殺を止める術はない。だけど、あんな存在に大事なエヌの時間を使ってやる必要はない。
「いや。大丈夫。あんなんでエヌの手が汚れるのも嫌だから」
自室に着くと真っ白な鎧を来た人たちが僕の部屋に入っていた。
「ここは僕の部屋なんだけど」
「お前はこれから下僕騎士となる身だ。私財はすべて徴収する」
僕は亜空間を持っているから貴重品は部屋にはない。せいぜい市販で買える家具や服ぐらいしか置いていない。
だから、この人たちが部屋で物色して来ても嫌な気持ちになる程度だ。
きっと、あの自称母親が指示しているから誰も止められないのだろう。
「まあいいや。エヌ。少し離れようか」
別に家の中に部屋がなくても困ることはそれほどない。
僕には他にも居場所はあるし、そこに行けばいいだけだ。
「待て。その女もお前のなら置いていけ。何、見た目はいいから聖国に連れて行ってやる。勿論、我々の所有物としてな」
下品な目だ。
僕はエヌを盗ろうとする人間に容赦をする気はない。
よし、殺そう。
僕がそう思って魔法を使う前にエヌが止めた。
「こんなちんけな人間の相手はしないのが一番ですよ」
「……そうだね。この部屋には貴重品もないから好きに使って貰っていいよ。僕はお爺ちゃんの所に行ってくるよ」
「おい。待て――ぐっ。体が重い。何をした!」
重力魔法で男たちの鎧に重さを付与した。これで口以外で僕らに反抗出来ないだろう。
彼らの無視して、僕たちはお爺ちゃんのいる部屋に向かった。
きっと、あの人なら今、家で起こっていることを教えてくれるはずだ。
僕はノックもせずに扉を開けた。
「ベルクや。ここに来るのは分かっておったぞ」
お爺ちゃんは初老の女性と一緒にいた。
この女性の来ている服は母親を名乗る女性が着ていたものとほとんど同じだけど、色が黒っぽかった。
「僕の母を名乗る女性に会いました。この家が今どういう状況か説明してください」
「敬語なんぞ使わんでもよいのに……。ベルクはザルゴル家が国と交わした約束を知っておるか? 当主婚約についてじゃ」
「ええ」
化け物公爵『ザルゴル家』にはその絶大な力故に国と取り決めがあった。
「ザルゴルの当主は直系王族を娶る義務がある。でしたよね。僕の母親もお父様の母親も王族出身です。それがどうしましたか?」
「いくら儂らとはいえ、王族には敬意を払わなければならない。その王族が家に入るということは複雑な立場を強要される。現当主のエツドがあの女に振り回されている理由じゃよ」
恐らくお爺ちゃんは隣にいる女性に気を遣っている。
だから、僕の質問に回りくどく答えた。
僕もある程度の情報は持っている。
僕の母親は僕が生まれた後に祖母に誘われて聖国で養生していた。
元々、祖母が聖国と繋がりがあったからそんな事になったらしいけど、現状を見るとなかなかに怪しい感じになっている。
お爺ちゃんとしては聖国が横暴な手に出た言いたいだろうけど、王族と関わりがあるあの女性の前ではそれが言えないのだ。
「なるほど。事情は察しました」
はっきり言って関わりたくない。だから、僕がやることは一つ。
「僕は家出をします」
「許可しません」
ようやく初老のおばさんが声を出した。
「許可は要りません。勝手に出ていくだけなので」
「傲慢に育ってしまったのね。可哀そうに。もっと早くから私たちが指導をしてあげなかったのが悪いのね」
「そうですね」
この人も母親を名乗る女と同じような人間だった。
「お腹を痛めて産んでもらっておいて、母親の意思を尊重できないような子は聖国にはいません。これだからゼドアムは遅れているのよ。いい? あなたの幸せは母親の意思を尊重して下僕騎士となることなのよ」
バカバカしい。
この人たちは僕が一緒にいて欲しかった時期にいなかったくせに、こんなどうでもいい時にどうでもいい理由で会ってくる。
僕がもっと幼少期から関わってくれていたら考える可能性はあったけど、今の僕にそんな思考はない。
「一応、僕はザルゴルの人間なので、家の利益になることはしたいなとは思っています。しかし、あなた方個人の為に仕える気は一切ありません。これ以上の対話は無意味ですので」
「あなた。何ぼさっとしているの? あなたは英雄なんでしょ。あんな子供一人従わせるぐらい訳ないでしょ!?」
何か喚き散らしているけど、お爺ちゃんに泣きつくのは効果がない。
僕はお爺ちゃんの事は尊敬している。だから、お願いされたら会話を続けるぐらいはしてあげた。
だけど、あのおばさんが言っていることは暴力で押さえつけろという意味だろう。それは僕の方がお爺ちゃんよりも強いから無理な話でしかない。
「じゃあ、僕の行き先は言わないけど、荷物とか来たら図書館に送っておいてね。じゃあ、またいつか、ほとぼりが冷めたら帰ってきます」
今、この屋敷にいるのは気分がいいものではない。
家を出る為に歩いていると僕より頭二つぐらい大きい少年が廊下に立っていた。
「ベルク」
「これは、ケサド兄さん。お久しぶりです」
長男のケサド兄さんだ。順当に行けば次期当主の兄さんがなんでこんな所にいるんだろう?
あまり話したことはないけど、もう一人の兄よりは精神がしっかりしていて、まともに話せる部類ではある。
「この家は明らかに異常な状態になった。お前はどうするんだ?」
「どうするも何も、僕は家出をします。兄さんたちが頑張ってくれることを祈ってますね」
僕にとって祖母や母親の事はどうでもいいことだ。家に居ずらいのなら居なければいい。
「そうか。それがお前の選択か。羨ましい限りだ。ただ、その侍女を連れて行くのはいいのか? 家出をした身でザルゴルに雇われている女を連れだすのは」
「どうでもいいですけど、気になるのなら誘拐します。他にも言い訳はあるのでご心配を受けるようなことではありません」
もし、家の力でエヌと僕を引き離そうなんてことをしてきたら、この地を更地にする。幸い亡命先はあるから不可能じゃない。
「流石は最高傑作と言われるだけはあるな。俺たちでも考えられないような発想をしている」
「誉め言葉として受け取っておくよ。もし、兄さんが当主になってお姫様と結婚したら、あんな感じにならないように頑張ってね」
僕は兄にそう言い残してから家を出て行った。




