二話 最強の祖父
祖父が部屋にやって来るとフェトラは敵対するかのような視線を向けていた。
「ベルクや。どうしたんだい?」
「いや、なんでもないです。所で、何の用ですか?」
「ああ。そうじゃった。可愛いベルクを見ておるとつい用事を忘れてしまうのう。先ほど、自分の兄を殴ったそうじゃの」
「あれは勝負でした。それもあちらから仕掛けた勝負です」
祖父は才能至上主義で僕に甘い。
穏やかな口調から咎めに来た訳ではないことは分かる。
「まあまあ、その件はベルクは悪くない。じゃが、これだけは伝えておかないとのう。こんなヨボヨボの爺さんじゃが、昔は世界最強なんて呼ばれておったのじゃ」
《賢剛》ガルロー・ザルゴル。魔法と近接戦闘の両方をこなし、大昔の勇者と比肩されて語られる猛者。
全盛期に魔王種と判定された国を滅ぼしかけた魔物を撃退したことで世界中に名を知られている。
世界最強は誰かという議論をするなら祖父の名前は外せないと言われたほどの人だったらしい。
全盛期は過ぎたものの今でも、総合力なら誰にも負けないと言われるほどの人だ。
強さだけではなく人柄も評価されていて、当主を退いた後からも多くの慈善事業を運営している。
過去の自慢話を延々と繰り返すことだけが欠点の血の繋がった家族の中で唯一の信用できる人。それが僕の祖父だ。
「それでの。ベルクは儂を超える才能がある。じゃが、その力を無暗に振るえば、反感を買う。勿論、ベルクは手加減などせずとも良い。ただ」
「聞いたらダメです!」
フェトラが僕の耳を塞ごうとしたが、音に干渉することはできなかった。
「力のある者は無償で手を差し伸べよ。この爺は若い頃は人間として未熟での、この事に気付けなかった。ベルクはそんな大人になるんじゃないぞ」
僕は祖父を尊敬している。だから、「力のある者は無償で手を差し伸べよ」という言葉は心に響いた。
多分、この言葉は僕の人生を大きく変える言葉だったと思う。でも、フェトラがこの言葉を妨害したことで言葉に疑問が残った。
「ダメです! この言葉だけは従ってはいけません。この言葉で――」
フェトラが何かを叫んでいる。
だけど、言葉になっていないし口もなにかぼやけて見える。
どっちが正しいのか? 僕には決められなかった。でも、友達がこんなに叫んでいるんだ。これはきっと何か大きな意味があるんだろう。
「僕さ。みんなが言うには頭がいいみたいなんだ。だから、言葉が少なくても伝えたいことが分かるし、すごい共感できるんだ。だから……」
僕は将来きっと化け物と言われるレベルの実力になる。
だから、ある程度のことが想像できる。
僕が自分勝手に力を振るえば、世界規模で恨まれ妬まれる。
そうなるぐらいなら無償奉仕の気持ちで活動した方が妬まれる心配はない。合理的な考え方ではあるし、精神的にもそっちの方がいいかもしれない。
同じ境遇に置かれたであろう化け物の先輩が言うことは説得力があった。だけど、僕は僕で答えを見つける。
「世界を見て、僕の頭で考えてみたいんだ」
「ほう、この爺ちゃんの言葉が聞けぬというのか?」
「そう言われると反抗してみたくなっちゃうな」
祖父は殺気を向けて来た。
老人とは言え、僕よりも大きい男が更に大きく見える。逆らうなんて考えたくない力の差。それに対して、僕が抱いたのは恐怖じゃない。
この感情は知っている。
「すごいワクワクして来た」
本気で祖父を蹴った。
「効かぬわ!」
はは。まるでボールでも受け止めるように止められた。
そして、もう片方の手で軽く凪ぐようにして胴体に張り手を食らった。
全身を衝撃が駆け抜け、体が吹っ飛んだ。
何枚かの壁を貫通し、隣の部屋まで飛ばされた。
「軽く小突いたとは言え、常人なら数人は死ぬ威力で打った。それを受けてもなお、それほどの力を残すか」
立ち上がる。体が壊れているが、痛くはない。これが僕の才能なんだろう。
「実力の差は理解したよ。今の僕じゃ勝てない。でも、なんだろう。このわくわくする感情は。お爺ちゃん。少し付き合ってよ!」
「カッカッカ。それでこそ儂の孫じゃ!」
――――――
その後の記憶はあまり覚えていない。だけど、すごいすっきりした気持ちだ。
「あっ! 起きましたか?」
「うん。僕はどれぐらい眠っていた?」
「普通の睡眠時間でしたよ? あの怪物ジジイと夜まで戦ってましたよ。その後、気絶するみたいに寝て。時間だけなら、いつものエヌよりも寝ていませんよ」
体に痛みはない。これは興奮による痛みの忘却ではなく、ダメージが残っていない状態みたいだ。むしろ、戦う前よりも体が軽い。
「それで、なんでエヌは僕に抱きついているの?」
「何か問題がありましたか?」
「いや。そんなことはない。もう少しこのままがいい」
抱きしめられているとなぜか落ち着く。
戦った時の感情とは違い、この感情を表現することができない。
「しょうがないですねー。ベルク様が望むのならエヌはこのままでもいいですよ」
――――――
屋敷が半壊した日。深夜にて二人の男が対峙していた。
「お父様。今日は屋敷で暴れたそうですね」
一人は《賢剛》ガルロー。もう一人はその息子であり、ザルゴル家の現当主である。エツド・ザルゴルだった。
「年甲斐もなく暴れてしまったのう」
「各所に言い訳をしないといけないこちらの身にもなって下さい。それにベルクは三男なんですから、あなたがなんと言おうとも次期当主にする気はありませんよ」
「その話はもうよい。あやつはこの国には収まらん」
表情を崩さなかったエツドだったが、目を見開いた。
「あなたからその言葉が出るとは思いませんでした」
「この際隠さず言えば、儂は人生で初めて他人に嫉妬したわい」
「無粋かもしれませんが、あの子の強さはどうでしたか?」
「言葉では伝えにくいのう。これを見れば分かるよのう」
ガルローが袖を捲るとそこには打撲痕が複数残っていた。
「今だに手が震えておる。仮に、ベルクの肉体がもう三年ほど成長しておったのならば、儂は治せない傷を負っていたじゃろう」
「あの子がこの国に収まらないというのは本心みたいですね。ではあの子を当主にする計画はなくなったと考えてもよろしいでしょうか?」
「当たり前じゃ。こんなちんけな家なんか背負わせても損失以外でもないじゃろう」
「その言葉には引っ掛かりますが……私は安心しましたよ。もし、当主に推すのだったら、あなたを暗殺していたかもしれません。うちは実力主義で有名ですが、そんなことをして血の後継者争いをするのは私の代で終わりです。長男のケサドは私の跡を継げるレベルでは優秀なので、なにも問題はないでしょう」
二人は表向きは良好な関係性であるが、裏で後継者争いを繰り広げていた。
ガルローは実力や能力を重視し、家で最も優秀なベルクに跡を継がせようとし、貴族社会の儀礼や自分が繰り広げた残忍な後継者争いを子どもにやって欲しくなかったエツド。
今日、ベルクが戦う事によってガルローはベルクを後継者にすることを諦めた。
しかも、前当主との争いをせずに諦めたのだ。
このことはエツドにとっては大変喜ばしいことであり、連日の仕事によるストレスを一瞬で吹き飛ばすような上機嫌となった。
「そうじゃ、ベルクに色々と教えてばならぬな。儂が主導する。さしあたっては」
「お金はご自由にお使いください」
「話が分かるのう」
「あと、ベルク自身の気持ちを知りたいので明日面談をしてもよろしいですか?」
「好きにせい。まあ、あやつも当主になぞ興味はないじゃろう」
「そうであれば、私としては嬉しい限りです」
「最後に忠告じゃ。決して、従わせようとするんじゃないぞ。むしろ、儂らが下手にでなくてはならん」
「ザルゴルの名に懸けて」
ザルローが去った後、エツドは気を抜いて椅子に深く座った。
「はあ。あのジジイがああも言うってことは本当にヤバい奴なんだろうな。まあ、血の争いさえ起こらなければいいか」
部屋の中に誰にも見えない白髪の悪魔フェトラがその会話を聞いていた。
「これで未来は変わりましたね」
――――――
昼過ぎに実の父親でもある当主に呼び出された。
普段は屋敷にすらいなくて、会ったことも数回しかない父親。
少し緊張はするものの、断る理由もないので部屋に向かった。
「よく来てくれた」
「ご挨拶申し上げます。ザルゴルの偉大な父上」
「そう畏まらないでくれ。今日はそんな気分じゃない」
「そうですか」
今日の父親はなんだか覇気を感じない。
いつもは僕に対して威圧ともとれるような態度だったのに。
「単刀直入に聞こう。ザルゴルを継ぐ気はあるのか?」
質問の意図は知っている。
この人は長男に家を継がせる貴族儀礼を重んじていて、後継者争いを嫌っている。だから、三男の僕じゃなくて長男のケサド兄さんに跡を継いで欲しいらしい。
祖父は僕を推すから関係が悪化しているなんて言われているし、ここは僕が辞退することを望んでいる。
僕にしてみれば、祖父から後継者になれと言われたわけでもないし、家のあれこれに特に興味がある訳ではない。むしろ関わりたくない。
それにライバルと言われるケサド兄さんは後継者争いにおいては手段を選ばない人だけど悪い人じゃない。
「ケサド兄さんが継ぐので私は辞退します」
「そうか。それはすまない。幼いが賢いお前は私の気持ちが分かっているのだな。父を喜ばせてくれた代わりに褒章をやろう。何が欲しい?」
要らないものを捨てただけで何かを貰えるみたいだ。今日の父親はなんだか上機嫌で調子が狂うなぁ。でも、当主から貰えるものとして切実に欲しかったものがある。
「では、エヌートをくれませんか?」
「エヌート? ああ。専属侍女の娘だな。それは既にお前のモノのはずだが」
「今は一般給仕も行っています」
「……それは何か入れ違いがあったみたいだ。すぐに伝えておこう」
専属の人間は基本的に主人に四六時中一緒にいることが基本。護衛の役割も兼ねている以上はそれが当然なのだが、新人のエヌートは一般給仕の同僚や先輩の尻ぬぐいをさせられていた。
以前のエヌは感情を隠していたけど、自我がはっきりしていない時の僕が何かを察して何人かの侍女を威圧して以降、エヌは心の内を隠すことを辞めた。
毎日のように主人である僕に愚痴を言っているのはそういう事だ。
「それでは、当主様もお忙しいみたいですので、私はこれで」
部屋の外ではエヌが待機していた。
「ベルク様。私、聞いちゃいましたよ。いやー。エヌの可愛さを独占しようなんて罪な男ですよもう」
エヌは冗談めかしく言っているが、何か感情を隠していた。エヌは感情を隠す時に片手を背に隠す癖がある。
「はは。そうかもね。じゃあ、行こうか」
どんな褒美よりもエヌを優先したのには事情がある。