二三話 人の業
奴隷市場はおおよそ予想通りの場所だった。
劣悪な環境で奴隷の人たちが売られている。
基本人族が売られていて、異種族は数が少ない。
だけど、人族のほとんどが借金奴隷で、奴隷でいる期間が決まっている人が多い。
そして異種族たちは通常奴隷として売られていて、奴隷でいる期間は定まっていない。
価格としては獣人たちの方が高い印象を受ける。
実を言うと、僕は奴隷という制度そのものについてはそれほど悪感情を持っている訳じゃない。必要悪とかそういった認識だ。
ただ、奴隷狩りという行為は嫌悪している。
僕の中での認識は賛否があるという状況で、奴隷市場を見ることで新たな認識を得られると思っている。
今の所は本で得た知識の範囲内に過ぎない。もっと奥の誰も教えてくれない場所を知りたい。
「あっちに同族の匂いがします」
黒狼族のメツが指を指した方向には巨大なテントが建っていた。
確か、黒狼族は需要が高まっていたはず。テントの中に入っていく人たちの服装からしてお金を持っていそうだし、あそこは高級路線での店なんだろう。
魔法で姿を隠しているから僕たちの姿を察知できる人はいない。
他の客と一緒に店に入っていった。この人の行動を追いかけてみよう。
テントの中には見た目のいい奴隷たちが並んでいた。
そして、中央にはステージがあり、そこに黒狼族の子が檻に入っていた。その子を囲むように小さいテントが乱立している。
「何か嫌な感じがするね」
ここの匂いは変な匂いがする。まあ、環境が良くないから変な匂いがするのは当然だけど、ここの匂いはまた別の匂いがした。
ここでは一体どんなことが行われているんだろう。
僕が観察していた客は女の子を一人買ってからテントに入っていった。
そういうことをすることは分かっているからテントの中には入らない。
少し待ってみたけど、テントの人たちは誰も動いていない。
どういうことなんだろう。
「主。あの獣人は男です」
「へえ。ここの仕組みが少し気になるね」
黒狼族を見た目で判断することは難しい。メツはこの醜悪な匂いが立ち込める中、同族の匂いを見分けて性別まで当ててくれた。
カトナが言うには男の黒狼族は高値になっているらしい。おそらく、ここでなんで高値か分かるはず。わざわざステージに上げているんだ。きっと何かがあるはず。
――――――
先に僕の感想を言おう。
来るんじゃなかった。
それを一言で表すなら醜い。それ以外の言葉が見当たらない。
僕には理解が出来なかった。
なんで、黒狼族の男の子が出す悲鳴に近い声であんなに興奮する人たちがいるんだ?
あの光景を思い出したくもない。
「メツ。ごめんね」
僕なんかよりも同族のあんな姿を見せられたメツの方が何倍も気分が悪いはずだ。僕の我儘に付き合わせてしまったことを謝った。
「なんで謝るんですか?」
「だって、君の同族が」
「本人はすごい喜んでいるみたいでしたよ。あっ。勿論、主が試したいのならぼくの体を使って貰っても構いませんよ!」
メツが言っていることが分からなかった。いや、意味は分かるんだ。だけど、あの光景を見て、自分がされてもいいと思う気持ちが分からない。
会場付近の声を聴くと、彼らの目的が分かった。
「黒狼族の喘ぎ声を聞くと最高に興奮できるって本当だったな」
「これを発見した学者サマには感謝だな」
上位冒険者らしき男たちがそう言っていた。
他の人たちも似たことを言っている。
誰だ。そんな研究をした学者は?
どんな内容の論文を出して、あんな理論を提唱したんだ?
それが社会の利益になると思ってやったんだろうか?
僕は本の中で性に関する産業についてあることは知っていたし、奴隷産業と近しい関係であることも知っていた。
経済という前提において僕はそれらの産業があるのは仕方がないと思っていた。
だけど、あんな光景が生み出される産業なんて滅んでしまえばいいと思った。
宿に戻った。多分、トップクラスの魔法使いの三人は僕が出て行ったことが分かっていたと思うけど、特に言及してこなかった。
「ベルク様。どうかされましたか?」
食事が終わった後、エヌが僕が悩んでいる事に気付いたのか声を掛けて来た。
「なんでもないよ」
この不快な気持ちはとても話せる内容じゃない。
特にエヌには話したくなかった。なんでかよく分からないけど、エヌにあんな汚い光景を想像もさせたくなかった。
「……もしかして、寝不足ですか? いつもと違う環境ですし、なんたってベルク様が大好きなエヌが一緒にいませんからね。眠れないのも分かります」
エヌは冗談めかしく『大好きな』って言っているけど、僕はその言葉に心が揺さぶられた。
あんな光景を見た後にエヌに触れたいと思う気持ちはきっと邪なことだ。
今のぼくにエヌに触れる資格はない。
「今日は一緒に寝ましょう。男女のあれこれなんて私たちの間では関係ないですもんね」
今は男女で別れて寝ている。
女性が男性のメツと一緒に寝ることを避けた結果、こんな風に分かれている。メツを一人っきりにするのも忍びないから男女で別れて寝ることで合意していた。
つまりはまあ、僕の意思次第で簡単に覆すことができる事ではある。
たった一言「止めておくよ」って言えばいい。
だって、今の気持ちの状態でエヌと一緒にいる勇気がない。
「……うん」
僕の理性とは裏腹に声が出た。
僕にエヌを拒絶するという選択肢は選べなかった。
「……久しぶりに二人で話せますね」
「うん。そうだね」
久しぶりと言っても四日ぐらいの話で、期間が開いた訳じゃない。でも、僕の認識でも久しぶりという感覚になってしまっている。
――――――
普段、寝る時はエヌが僕を抱きしめてくれる。今日も、それは変わらず、エヌは僕を抱きしめてくれた。
だけど、いつもと違うのは僕がエヌに背を向けている事だった。
「ベルク様。何があったんですか? 正直に話して下さい」
「嫌だ。エヌに話すことじゃないもん」
「そうですか」
エヌは何も言わずに僕の頭を撫で始めた。
いつものエヌなら「へえー。元暗殺者のエヌにとって相手を吐かせる事なんて簡単なんですよー」なんて言うのに、何も言わない。
ただ、無言で僕の頭をなでてくれた。
エヌの顔が見えないから感情が分からない。
撫でられることはこれまでもいっぱいあった。僕にとって頭を撫でられることは褒められる時にされるから嫌な気分はしない。
だけど、今は体が密着した状態で撫でられている。今までの僕だったらそんなことは気にもしなかったけど、あの光景を見てから僕の感情が変だ。
エヌの鼓動や温度を感じて、僕の鼓動が上がっている。客観的に見て興奮しちゃっている。
抵抗する手段はいくらでも持っている。だって、僕は強いから、どんな方法でもこの状態から逃げることは息を吸うよりも簡単にできる。なのに、体が動かない。逆らえない。いや、このままでいたいと思ってしまっている。
「――では、私の話を聞いてくれませんか?」
「うん」
「この数年の悩みなんですけど、エヌはベルク様の隣にいてもいいんでしょうか?」
刺激的な言葉で驚いたけど、エヌは言葉を続けた。
「ほら、私の長所って同世代の女性の中では護衛性能が高い事じゃないですか。国所属の暗殺者としての警戒能力とそこそこの戦闘能力もあります。この点においてはベルク様の専属になろうとしていた誰よりも自信があります。でも、この数年で私の長所は無駄になっちゃいました。ベルク様が強すぎるせいです」
エヌは専属侍女としての悩みを抱えていた。
確かに僕の主観を除けば、エヌの一番の長所は元暗殺者としての警戒能力と戦闘能力だろう。その二つの中でも警戒能力は飛び抜けて高いレベルだ。
これまでいろんな貴族の護衛たちを見て来たけど、戦闘能力重視の人が多くてエヌよりも警戒能力が高い人はいなかった。
一年前ぐらいだったら、エヌの方が警戒能力が高かった。だけど、今は僕の能力が上がって、戦闘においてすべての能力が僕の方が上になった。
「エヌは護衛じゃなくて侍女だから。僕のお世話をしてくれればいいよ」
専属侍女は護衛の意味も込められているけど、それはあくまで暗黙の了解なだけであって正式な業務じゃない。
仕事という面ではエヌは十分に仕事をしてくれている。
「お世話が嫌とかではないんですけど、それは私以外でもできるじゃないですか? エヌはそれ込みで護衛まで出来るという点でベルク様の隣にいる権利を守って来たんですよ」
「エヌっぽくない悩みだね」
いつものエヌだったら、「私は可愛いですから」みたいな事を言っているのに。
今日のエヌはなんだか、元気がない。それだけ真剣に思い悩んでいるんだ。
エヌにはいつもの元気で明るいエヌで居て欲しい。
「僕にとって専属侍女はエヌじゃなきゃダメだよ。だから、そんなに悩まないで」
これは僕の本心だ。
エヌと一緒にいる時が一番落ち着くし、これからもずっと一緒にいたいと思っている。
「なんでエヌじゃないといけないんですか?」
しおらしいエヌに僕は必死に言葉を考えた。




