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あおい春を追って

 

 山で腐った遺体はさ、ヘリの外に吊って山から下ろすんだって━━

 「━━父さんが言ってた」小学校の時に市営のグラウンドを目掛けて降下していくヘリを指差しながら友人が聞せた話だ。


 その時のグランドは静けさに包まれていた。

 先程まで続いていた中学野球の練習試合が中断され、球児が駆け回っていたグランドは救急車とパトカーが停車して赤色灯を明滅させている。

 やがてその静けさを引き裂き県警の山岳救難ヘリコプターがグランドに凄まじい砂塵を巻き上げ着陸した。ヘリから降りた救助隊員と救急隊員が機外に吊るされた縦長の袋を下ろしてストレッチャーに載せ替え救急車まで運び収容した。その様子を見て、ベンチの中学生も周囲の観客も何が起きているかを察してある者は目を閉じ、またある者は手を合わせている。再びヘリが離陸し、しばらく後に救急車が音もなく去っていく。しばし秋の静寂が戻ったのも束の間、すぐに監督からの指示が出てヘリコプターと緊急車両が荒らしてしまったグラウンドを整備すべく、俺は野球帽を被り直しベンチを飛び出した。それはこの地域ではそれほど珍しい光景でもなんでもない。ありふれた光景だった━━


この地域の春は遅い。この山に囲まれた寒村で育った俺は、卒業や入学を初春から春の記号として用いる歌や小説にはいまいち共感ができない。

そんな“春”から新たに進学する高校は別に目新しくもなく、この地域で中学時代にそこそこ勉強ができた奴がそのまま進学してきてクラスの半分は見知った顔で、校舎も小中の通学路から見えていたし、部活の練習で幾度となく使っていた。それでも入学式のホームルーム後のクラスの半分は見慣れない顔で少し緊張はしたが、すぐに中学からの悪友のである朽木が俺の顔を一瞥するや否や駆け寄ってきて胸を撫で下ろした。

「小日向は部活なんにするよ?やっぱり野球か?」

「いや、もう丸坊主の半分軍隊生活は勘弁願いたいね」

部活だって青春の形ではあるだろうし、経験もある野球ならすぐに慣れられるだろうが、俺には折角なのだから中学にはなかった部活に入りたいという気持ちが入学前からずっとあった。

「勿体無いな、折角の俊足が」

「足が速くても丸坊主じゃ彼女の一人もできないからな」

「野球のせいにするなよな、いるやつにはいたよ、お前が奥手なんだ」

「お前には言われたくないな、中学サッカー部で彼女なしはお前だけだ」

そんな3年間ずっと続いてきた馬鹿話をして、なら一緒にモテそうな部を探すかと放課後の部活見学を回ることになった。


 放課後の部活動見学はグランドから周り始め、定番の野球部や陸上部、サッカー部、体育館で練習を励むバスケ部やバレー部、特別教室棟に足を伸ばすとカヤック部、自転車部、映画研究部、文芸文化部、さらには難関大進学研究部など中学時代の部活とは全く違う部活動が熱心に勧誘にやってきた。思い思いの仮装や出し物、立て看板で勧誘活動をする先輩たちを見て、高校に進学した高校生になった自覚がようやく湧いてきた。同時に中学とは違う“自由さ“に高揚した。


 最後に吹奏楽部と軽音部が活動場所を置く特別教室棟までやってきた。

「朽木はどうすんだ?」

「俺は軽音部かな〜、ギター背負って通学してさ、あとは文化系の彼女が欲しいかな」

知っていたが邪な奴だ。俺がもし音楽のために十字路で悪魔に契約したなら呪っているかもしれないが、芸術と名のつくものには疎く、音楽にしろ美術にしろ中学のテストのために暗記いた程度の知識しかなかった。

中学の時も小学校から続けていた陸上競技をあっさり捨てて、モテるからという理由でサッカー部に入部した頃から一貫した目的がありそれが結局達成されないのはいつものことだ。それを笑うと、

「サッカー部は部活本位すぎて真面目な俺はそっちにリソースを持って行かれていたけど、軽音楽は文化部だし緩いって聞くから大丈夫」

すると音楽室の中から現れた見るからにバンドマンという風体の男が朽木の肩を掴み

「楽だしモテるよ〜」

と話に割り込んできた。「マジですか!」とノリノリで音楽室に引きずり込まれていく友人の念願の成就を祈りつつ、「君もどう?」という声を苦笑いをして首を横に振りながらかわしてその場を後にした。

モテる部活とは言ったものの自分のものぐささをよく知っているから、多分モテるための努力やよしんば彼女ができたとて到底その関係を維持できるマメさはないことを知っている。俺の中でも見てきた部活の中で気楽そうに活動していた文化部のうちで、高校らしいユニークな文化部に籍を置いて取り敢えずは高校生活を程々に楽しもうと決意というにはあまりに弱々しいことを決めつつ、特別教室棟でまだ足を運んでいなかった美術室の前を通りかかった。

 美術室の扉は開いていた。油絵の具と埃の匂いが混じった日の当たらない教室には誰おらず、それでいて窓際の石膏像や壁に掛けられた自画像からは視線を感じる。

 中学のそれと変わり映えのしない少し不気味な光景に立ち去ろう踵を返した時、視界に入っていなかった出入り口側の教室の壁に五十枚は優に超える絵が一面にびっしりと飾られていた。どれも北アルプスの山々と澄んだ空や夕焼けの絵ばかり描写されている。何気なく見ている普段の風景をこんな色で表現できる人がいるという驚きに追いつかない貧弱な語彙から浮かんだのは「綺麗だ━━」という感想だった。しかしそのあまりに平々凡々としたありきたりな感想は心に留めていたつもりが、口からため息と一緒に漏れてしまったらしい。突然囁くような声で、「ありがとう」と挨拶をされた。驚いて振り向くと一人の制服の上から絵の具で汚れた前掛けをした女性がいつの間にか俺の少し後ろに立っていた。おそらくは教室の奥の棚に仕切られたスペースで作業していたのであろう彼女は髪を後ろで縛り、手は絵の具で汚れていた。

「すみません、勝手に美術室に入ってしまって・・・お邪魔でしたか」

「全然、美術部は私一人だから勧誘とかもできなくて・・・だから描いた絵を飾ってたんだけど掛けられる場所が丁度廊下から死角になるところしかなくて、誰も寄っててくれなくて」

なるほど勧誘のポスターや立て看板も見当たらない。

「一人ということはあの絵は全部、先輩が描いたんですか?」

「そう、同じような絵ばかり描いている下手の横好きなんだけどね。でも━━」

綺麗って言ってくれて嬉しかった━━前髪の間から覗いた笑顔がまさにその絵の澄んだ空のよう清々しく、夕焼けのようにどこか儚げで、

「綺麗です━━」

また口から息と一緒に心の声が漏れてしまった。その言葉は絵に向けていたのか彼女に向けていたのか自分でも判然としない。

ただ、心にふっと春の風が吹き込んだような気がした。



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