7.マリー・アデライド・マルグレーテ
絹糸のように細く煌めく白銀の髪、白磁のように白く透き通る肌、そして、夜の月灯りの下でも美しく輝く碧色の瞳。
彼女の名は、マリー・アデライド・マルグレーテ。
男爵家の四女として生を受けたマリーは、誰もが羨む美貌の持ち主だった。
そして、その美貌もさることながら、マリーは類稀なる魔術の素養をも秘めていた。
普通、魔法の適性属性は一人に対し一種類というのが一般的だが、属性解放の儀式ーー水晶の儀ーーの場において、マリーの魔力を受けた水晶は、そこに虹が生まれたのではと錯覚するほど鮮やかな七色に輝きだした。
地・水・火・風・光・闇・治癒、全ての属性に適性を持つマリーは、まさに神からの寵愛を一身に受けた存在だと言えた。
もちろん、そんな女性を世の男性達が放っておくはずがない。
王族、貴族問わず数多の男がマリーに求婚してきたが、マリーは決して首を縦に振ることはなかった。
いったい、マリーの心を射止めるのは誰なのか、皆の関心が集まっていたーー
マリーが産まれてから十八回目の誕生日を迎えた日、その報せはやってきた。
これまでにも両手では数えきれないほど何度も断ってきた縁談の話だ。
この日、ダイニングテーブルに並ぶ豪華なディナーを前にしていつになく真剣な父親の様子に、マリー自身も不穏な空気を感じとっていた。
いつもより品数も多く、好物ばかりが並ぶ食卓。そして重苦しく悩ましげなため息を繰り返す父親……見た瞬間に、ピンとくる。マリーは背筋を伸ばし、向かいに座る父親ーーロズワルドが口を開くのを待った。
前菜にほとんど手をつける事なく女官に下げさせたロズワルドは、モダングレーのテーブルランナーとマリーの顔を厳しい表情で交互に見つめたあと、一際大きくため息をつき、どこか観念したように手にしていた銀の匙をカチャリと皿の上に置いた。
「……マリー、ちょっといいかな」
「はい、何でしょう、お父様」
父親の厳しい表情に気づかないふりをしながら、マリーが僅かに首を傾げた。白銀の髪がふわりと揺れる。
「……まずは、十八歳の誕生日おめでとう。…さて、お前ももう年頃だ、貴族の息女として、そろそろ嫁ぎ先も考えなければならないだろう。そこで、お前に良い話を持ってきた」
「お父様」
ロズワルドの話にマリーは割って入った。この先は言わせない、という断固たる決意を持って。
「以前からお話しているように、私はお見合い結婚などしたくありません。私は、私が見初めた男性と結婚します」
マリーは言い切り、そして続けた。
「私は………………私が窮地に陥った時、颯爽と救いにきてくれる。そんな白馬に乗った王子様と情熱的な恋をしたいのです!」
「し、しかしマリー、王族の方との縁談は以前お前が断ってしまったではないか」
ロズワルドの言葉に、マリーはダンッとテーブルに強く両手を着いた。テーブルに置かれたワイングラスの中で薔薇色のロゼワインが波打つ。
「そういう事ではありません! お父様! 王族であるかどうかなど関係ないのです!」
たった今王子様と言ったではないかぁ……というロズワルドの呟きを無視してマリーは立ち上がり、空中で握り締めた拳を胸元にたぐり寄せた。
「御伽噺に出てくるような王子様や勇者様と、儚くも可憐なお姫様との燃え上がるような恋。それこそが私の理想であり、夢なのです!」
マリーは夢見る恋の乙女だった。
これまでに数多の男性から求婚されてきたが、それは自分の求めていたものではなかった。
自分は、運命とも思える出会いと、身も心も焼き尽くすような情熱的な恋愛がしたいのだ。
しかし貴族の娘であるマリーに、異性と運命的に出逢う機会なんてものはなかなか訪れない。
以前、王子様との運命的な出会いを求めて、使用人の目を盗み、邸をこっそりと抜け出したことがある。
あまり遠くに行きすぎると帰れなくなるので、近くの森で茂みに隠れながら小一時間ほど魔物に襲われるのを待ってみた。待つ間、いつ魔物が…そして王子様が現れるかとドキドキした。
だが当然、降って湧くように王子様が現れるはずもなく、駆け付けた衛士に保護され、当たり前に屋敷に連れ戻された。
父親には怒られると思っていた。けれど邸に帰ってから、血の気が引いて青ざめた顔をした父親に、マリーは潰れそうなくらい強く抱きしめられた。……その手は小刻みに震えていた。
後から使用人にそれとなく話を聞くと、マリーの脱走劇は誘拐騒動にまで発展していたらしい。さすがのマリーもその時ばかりは深く反省した。
…とにかく、そんな経験を持っている程に、マリーの純愛への憧れは大きなものだった。
興奮しきったマリーの話を頷きながら聞いていたロズワルドだったが、マリーに向かって『まあまあ、落ち着きなさい』と、もう一度座るように促すと、余裕を感じさせる笑みで優しく微笑んだ。
「マリー、喜ぶがいい。今回の相手はお前が求めていた勇者様かもしれんぞ?」
「勇者様、ですか?」
「ああそうだ。相手はなんと名門ラインハット公爵家の嫡男にして次期剣聖と名高い、アルフレッド・トマス・ラインハット様だ」
上った名前に、マリーの眉間にじわりと皺が寄った。マリーのそんな様子には気づかないまま、ロズワルドは続ける。
「アルフレッド様の剣の腕前は、既に現剣聖に比肩するとも評されている。その才能はいずれ初代剣聖ランスロット様にも届きうるとか。また人柄も良く、部下からの信頼も厚い。まさに非の打ちどころのないお方、今世の勇者様といっても過言ではあるまい。どうだ? マリーよ、これ程の相手はアルフレッド様をおいて他にはいないと思うが?」
マリーが口を挟む隙を与えず、ロズワルドは早口で捲し立てる。全てを聞いたあと、返事に窮したマリーは口籠った。
確かに……アルフレッドは素晴らしい人物だ。
しかも、マリーが結婚することによって公爵家との強い繋がりができる。
王族からの縁談を棒に振り、立場の弱くなったロズワルドからすれば、喉から手が出るほど魅力的な縁談だろう。
マリーも馬鹿ではない。父の立場や貴族の娘としての務めは理解している。
アルフレッドが相手として申し分ないことも重々承知している。
しかし、マリーにはどうしても……どうしてもこの縁談を受け入れることができない理由があった。
「でも……お父様。あの、アルフレッド様はお顔が……その……」
「男は顔ではない」
ロズワルドは口籠るマリーにピシャリと言い切った。
アルフレッド・トマス・ラインハットは、はっきり言って不細工だった。
家柄、性格、剣技、全てを兼ね備えていたアルフレッドは、ただ唯一見た目だけが本当に残念だったのだ。
恋に恋するマリーには、その部分がどうしても受け入れ難かった。
物語に出てくる勇者や王子は皆決まって美男子であったのだ。
アルフレッドとは、先日行なわれた舞踏会で会ったことがあった。ロズワルド曰く、どうやらその時にマリーの事を見初めてくれたらしい。
マリーは所詮男爵家の四女、恵まれた外見のおかげで周りからチヤホヤとされているが、貴族の中では最底辺と言ってもいい。
また、王族からの縁談を断り、立場の弱くなった中で、これ程の相手から縁談がやってくるなんて非常に光栄な話だ、話なのだが……
「お父様、非常に光栄なお話なのですがーー」
「待て、マリー、お前の言いたいことはわかる。お前が理想とする恋愛像についても理解しているつもりだ。しかし、アルフレッド様は素晴らしいお方だ」
ロズワルドが、マリーの目を真っ直ぐに見つめた。
「……彼であれば、お前を幸せにできると私は確信している。今まで充分にお前の我が儘はきいてきたつもりだ。……マリーよ、そろそろ大人になりなさい、それがお前の為だ」
父の真剣な目にマリーは何も言えなくなってしまう。
父の自分を想う気持ちも充分に伝わってくる。
また、マルグレーテ家の長としての考えもあるのだろう。
娘のこと、家のこと、様々なことを考えた上で今回の縁談を持ってきたはずだ。
マリーはロズワルドに言い返す言葉が見つからず、押し黙った。
「マリー、これはお前の幸せの為なのだ。実は先方にはすでに前向きに話を進めていただくよう返事をしてある。アルフレッド様も、こちらの返事にそれはそれは大変喜ばれておいでだったとのことだ。…わかっているね?」
ロズワルドはマリーにそう告げると、マリーの返事を待たずに自室へと戻って行った。
「はぁぁぁぁ…………」
私室のベッドに倒れ込み、傍らにあるクッションに顔を埋めながら、深い深いため息を漏らす。
父の言う事はわかる。わかるのだ。しかし…
「お見合い結婚なんて…ちっともロマンチックじゃない…」
どうしてもアルフレッドとの結婚に前向きになれそうもない。
ゴロリと仰向けになって、マリーは天井を見上げた。あてもなく視線が部屋の中を彷徨う。
そんな中、ふと、ベッドの脇の本棚に置かれた一冊の本に目が止まった。
「これは……」
マリーはそろそろと本に手を伸ばして、ゆっくりと頁をめくった。
幼い頃に大好きだった本だ。
この本の主人公は、おてんばなお姫様で、冒険者になるべく城を飛び出し、様々な冒険を経て、素敵な男性と運命的な出会いをして結婚するのだ。
マリーは本を読み進めるうちに、自然と物語のお姫様と自分の姿を重ねていた。
自分もこんな素敵な恋愛がしたい
そう思った時には、気付けば行動に移っていた。
当面の生活の為に、手持ちのお金と貴金属をかき集め、最低限の着替えなどを鞄に詰めて荷造りをする。
ーーお父様、ごめんなさい。
心の中で父に向かって謝罪する。
ーー冒険者になろう。
七属性に適性を持つ自分なら、きっと魔導士としてやっていける。
自分を押し殺しての結婚なんて耐えられない。
以前の誘拐騒動の反省を生かし、マリーは家族に宛てた感謝と謝罪の言葉をしたためた手紙を書いた。三つ折りにしたそれを封筒に入れる時、言葉にできない感情が込み上げてきて、少しだけ涙が出た。整えたベッドの上に白い封筒を置く。そしてマリーは、自らの夢を叶える為旅立ったのだった。