6.鋼鉄鎧蜥蜴
ーーくっ……苦しい、息ができない……吐きそうだ
ローブを買った日から一週間が経った。マクベインは今、ひどい匂いと汚辱に取り巻かれ、呼吸すら満足にできない中で、一心不乱にあるものを身体中に塗りつけていた。
そう。彼は全身の隅々、髪の毛の先に至るまで、鋼鉄鎧蜥蜴の糞を塗り付けているのだ。
それも狩人の男から言われた通り、『とびっきりクセーのを隅々まで』、クソ真面目に。
せっかく大枚を叩いて買ったローブも、ここまで臭うと二度と使えないだろう。いや、もう使いたくない。
マクベインは、ドブ川で泳ぐ方がマシと思えるほどの悪臭の中、認識阻害のローブに身を包み、青草の茂みに隠れていた。
狙いは勿論、鋼鉄鎧蜥蜴だ。
前回の反省を活かし、今回は作戦を練った。
まず、前回鋼鉄鎧蜥蜴を発見した場所から、マクベインの潜む茂みの辺りまで転々と肉を配置する。目標が最後にマクベインの前に置かれた肉を食べようと口を開いた瞬間、魔力球を口の中に捻じ込む。相手は爆散する。以上だ。単純明快、失敗のしようもない確実な方法だった。
「これならば、確実に血濡れた星の爆発を喰らわせることができる」
マクベインはそう確信し、鼻が曲がりそうな臭いの中、未来の大魔導師の姿を夢想してほくそ笑んだ。大魔導師の自分の周りに群がる人々。憧憬の眼差しで溢れる聴衆。見たまえ、この最上級魔法の威力と輝きを!はは、ははははは
「ーーハッ!………危ない、危ない。臭いのせいで意識が飛びそうだった」
あまりに酷い臭いに意識が朦朧とし、幻を見ていたようだ。
……この作戦唯一の弱点は待ち伏せである事だ。
鋼鉄鎧蜥蜴が現れるまで、ひたすらこの地獄の悪臭に耐えなければならない。
マクベインは、『一刻も早く鋼鉄鎧蜥蜴が現れますように』と、排泄物くさい両手をすり合わせて神に祈った。
今マクベインが、神様、どうか。と一心に祈る様は、敬虔な信徒にも引けを取らないものであろう。
……あれからどれ程の時間が過ぎたのか、マクベインが丁度十度目の夢想から現実に引き戻された時、それは姿を現した。
「……来た!」
転々と転がる肉の欠片を頬張りながら、間抜けな鋼鉄鎧蜥蜴がのそのそとマクベインに向かって近づいて来る。
ついつい、よくこんなうんこくさい臭いの近くで食事できるな…と感心しながら眺めてしまう。最早、求めていた魔物が来てくれた喜びに本来の目的を忘れかけていた。
「……ダメだ。ここまでやったんだ、必ず成功させないと」
こんな思いは二度とごめんだ。喉から出かけた本心をマクベインは飲み込んだ。
鋼鉄鎧蜥蜴が、もうすぐそこまで来ている。
マクベインは茂みから顔を半分ほど出して目標の様子を窺った。
チャンスは一瞬。奴が食事の為に口を開けたその瞬間だ。
マクベインは、鋼鉄鎧蜥蜴を凝視しながらその瞬間を待った。
ゆっくり、ゆっくりと餌に近づいて来る。
もう、あと一歩踏み出せば届きそうな距離だ……
「この位置でも私の存在に気付かないなんて……よっぽど糞が効いたんだな」
だって、もう手を伸ばせば届きそうなんだから。
……マクベインは自らが口にしようとしたその言葉に、愕然と息を呑んだ。
身体がガタガタと震え出し、呼吸が荒くなってくる。
そう、マクベインは気付いてしまったのだ。
「クソッ! クソクソクソ! ……クソッ! そうだよな、そうなんだよな! だって目の前にいるんだ! こんな無防備な姿を晒して……」
マクベインはバネのようにその場で立ち上がると、次の瞬間、自身に身体能力超向上をかけて拳を高々と振り上げ………
殴った。
目の前にいる鋼鉄鎧蜥蜴の脳天に向かい、思いっきり拳を撃ち込んだ。
身体能力超向上によって生み出されたその一撃は、「プギュッ」という間抜けな音と共に地面をクレーター状に陥没させ、一瞬のうちに鋼鉄鎧蜥蜴を屠った。
はあ、はあ、と荒い息をつきながら、全身を支配する落胆と共にマクベインはその場に膝から崩れ落ちた。
「ははっ、ハハハッ……もっと、……もっと早く気付くべきだったんだ! あんな状態なら身体能力超向上を自分にかけてブン殴ればいいんだ! 糞を全身に塗りたくって待ち伏せしないといけない攻撃魔法なんて、何の意味があるんだ! こんなの……こんなの……」
糞の役にもたたねぇよ!!
その言葉を最後に、マクベインは染み付いた臭いのせいで半値以下になってしまったローブを売り払い、身体能力超向上フィジカルブーストを極める為、長い長い修行を始めるのだった。