4.新たな力
「な……なんだ、これは」
発光する本は、まるでそれ自体に意思があるようにひとりでにパラパラとページがめくれていく。
地面にへばりついたまま呆然と眺めるマクベインの目の前で、何も書かれていなかったはずの最後の白紙ページにジワジワと文字が滲んで浮かび上がった。
ーー後世のため、資格ある者にこの本を遺す
資格ある者よ
無属性魔法の可能性について、私が研究した理論をここに記す
全ての魔力を解放せよ
押し留め、圧縮せよ
さすれば新たな可能性の道は開く
そして、無……ま……正……よ
食い入るように、文章を何度も目で追う。
そしてマクベインが震える手を伸ばそうと体に力を込めた瞬間、本は帯びていた淡い光を徐々に失い、金色の炎を上げて燃え上がった。灰になった本はサラサラと風に乗って消えていく。
「無属性魔法の、新たな可能性……」
声に出して反芻する。
全身が総毛立つような興奮がふつふつと湧き上がってくる。
マクベインは何かに突き動かされるように地面に腕をつくと、震える体に力を込めて立ち上がった。そして次の瞬間には身体の内に秘めた膨大な魔力を全力で解放していた。
心臓が跳ね上がり、そのままドッドッドッと早鐘を打ち始める。瀕死の体からさらに生命力を絞り出すような危険な行為。マクベインは考えることを止め、自分の中の衝動に従って魔力を放出しながら徐々にその量を増やしていった。
絞り出した魔力を身体の周りで押し留め、外側から圧力を加えるイメージで圧縮するように操作する。
「ぐ、グオオオオオッ」
額に脂汗がドッと浮き出し、頭の中でブチッブチッと血管の切れる音が響いた。視界が赤く染まってくる。嵐のように暴れ狂う魔力を押さえ込んだまま、今度は吐き出した全ての魔力の意識を手元の一点に集中した。
その瞬間、それはついにマクベインの前に具現した。
「こっ、これは………」
七色に輝く魔力の塊。
凝縮された膨大な魔力の塊……魔力球が、空中で陽の光を浴び艶かしく輝く。
その色合いは七色の光が不規則に混ざり合い、まるで虹を固めた果実のようだった。
今までに無い現象。属性を持たない魔力が色を持つなんてこれまで一度として聞いたことがない。
ごくり。マクベインは音を出して生唾を飲み込んだ。
「こっ……これは……これはなんて……」
美味そうなんだ!
マクベインは震える手を必死に伸ばした。
そして虹色に輝く魔力球を手に取ると迷わず口に運び入れ……
食べてしまった。
「グッ………ぐわ……ぐわあぁぁああ!!」
マクベインの体内で魔力が噴き荒ぶ。心臓が破れそうなほどバクバクと脈打ち、高密度の魔力が血管を突き破る勢いで血流を通り体の隅々まで駆け巡る。
体がカッと熱くなり、まるで全身を新たに作り直されているような奇妙な感覚が続く。一際大きく心臓が跳ねた瞬間、マクベインの意識は糸が切れるようにプッツリと途切れたーーー
「……ぐ、がはっ、ゴホっ!」
ひりつくような喉の渇きに咽せながらマクベインは目を覚ました。地面に張り付いた頬をベリベリと剥がしながら起き上がる。
何故か、不思議とあの引き絞られるような飢餓感と疲労感は消えさっていた。
どうも口の中がジャリジャリと砂っぽい。口を濯ぎたくて周囲を見渡して水を探しても、辺りに水溜まり一つない。
耳を澄ませると、どこからか小川のせせらぎが聞こえてきた。よろよろと立ち上がり、服についている土を払い歩き出す。
すぐ近くにあると思ったのに、小川までは結構歩いた。小さな小川を見つけてすぐ口を濯ぎ、マクベインは流れに直接口をつけて水を飲んだ。
ひと心地ついたところで乱暴に袖で口元を拭う。
…気を失ってからどれくらいの時間が経っているのかわからない。
「夢……だったのか?」
それとも自分は一度死んで、ここは覚めない夢の中なのだろうか。いや、そんな馬鹿な話はあるわけがない。自分の手足に触れる。これは幻じゃない、確かな質感と熱がある。
それに、夢とは思えないほど鮮やかな記憶だった。
自分の体を見下ろし、顔から肩、胸、腹、足、と順に指先で触れていく。気を失う前と特段変わった様子はない。いや……
「待てよ…そういえばさっきから身体が軽いような…全身に力が漲っているような…」
大きく肩を回す。ギュッと手を握り締め、開く。
マクベインはゆるりと傍らにあった木に近づくと……殴った。すると、殴った箇所がバシュッと木っ端のように粉々に消し飛び、消し飛んだ箇所から木は抵抗する事無く簡単にズドンと倒れてしまった。
「これは……、まさか!」
気を失う前に身体に取り入れた魔力球。そしてその後に自分の身体におきた変化……間違いない。自分はとうとう発見したのだ。
「魔力球を体内に取り入れた者の身体能力を向上させる…」
これこそが無属性魔法の正しい使い方なのだ。しかも、全身を流れる魔力の感覚からして、爆発的な身体能力の向上があることは間違いなさそうだった。
「こんな魔法聞いたことがない。おそらく私が人類で初めて使った魔法………新魔法だ!」
マクベインは拳を天に突き上げた。
これを駆使すれば必ず大魔導師になれる。
魔導師として生きていくことができるぞ、と。
「ついに、ついに見つけたぞ……無属性魔法の正しい使い方を!」
マクベインは歓喜に震えた。無属性魔法は本来、属性を持たないのでこの世に干渉する事ができない。
だが、この無属性の魔力球を体内に取り込めば、対象の肉体を介し物理的に干渉することができるようになるのだ。
「これは……これは世紀の大発見だぞ……」
対象者の身体能力を向上させる魔法は未だ発見されていない。
似たような魔法に「属性魔力付与」というものがあるが、それはミスリル等の魔法適性のある金属等を武器に加工し、術者が属性を付与した魔力を流し込む魔法だ。
魔力を流し込まれた武器は、炎や風を纏う魔法武器となる。
しかし、それはあくまでも武器に属性を付与するものであって、対象者自体を強化するものではない。
この魔力球は、明らかにそれとは一線を画した魔法だ。
「例えばそうだな……これを……通常でも身体能力の高い剣士に使えばおそらく……」
とんでもない事になる。
その言葉をマクベインは飲み込んだ。
自分の編み出した魔法の可能性を、威力を、世に与える影響を……
考えるだけで恐ろしい、自分の才能が怖すぎて震えが止まらない。
マクベインは居ても立ってもいられず、走り出した。
嬉しくて、本当に夢を見ているようだ。頬に当たる風も、土埃の匂いも、踏みつける大地の感触も全てが心地よく感じる。
愛してやまない魔法を自分は今使っている。
その事実が嬉しくてたまらない。
身体が羽のように軽い。まるで飛ぶように走れる。
目の前の景色は一瞬で過ぎ去り、矢のように流れて行く。
目を凝らせば僅かな隙間からでも遠くを見る事ができ、虫の羽ばたきの数さえ正確に捉えることができる。
耳を澄ませば様々な音を拾うことができる。
その気になれば、ひとつ山の向こうにある穴蔵で休む小動物の息遣いまで聴き取れるだろう。
……その時、マクベインはある音を拾った。
軽快に走り回る四足獣の足音、おそらくはこの辺りに数多く棲む魔物、レッサーウルフ。
マクベインは周囲を見渡し、辺りで一番背の高い木に駆け登った。しなる太い枝の上で、足音のした方へとじっと目を凝らす。
やはり、レッサーウルフだ。
しかも、群れからはぐれたのか一匹。
「ちょうどいい」
マクベインは木の幹を蹴り上げると、瞬く間にレッサーウルフへと接近した。突如目の前に現れた敵に驚き、硬直した獣の一瞬の隙をついて、マクベインは細心の注意を払いながらごく軽く中指を弾いて脳天に撃ちつけた。
レッサーウルフは衝撃にビクッと大きく身体を震わせると、そのまま意識を失いくったりと地面に倒れ伏す。
「ククッ、これで実験ができるな」
マクベインはほくそ笑んだ。既に自身に試した新魔法だが、他人に使った場合の変化がどれほどかわからない。
おそらく、同じ様な効果だと思うが、念には念を入れた方がいい。
本当は誰かに頼んで試したいところだが、生憎こんな山奥には頼める人もいない。
マクベインは意識を集中させ、先程と同じように高密度の魔力球を作り出した。
これをレッサーウルフに使って効果をみようと考えたマクベインだが、大事なことをすっかり忘れていた。
そう、未だ新魔法の名前を決めていなかった。
「せっかくの新魔法だからな。最初は魔法名を唱えながら使いたいし………クク、今後は魔導書にも載るだろうからな」
今にも高笑いしてしまいそうな気持ちを抑えながら、顎に手を添え、マクベインは唸った。
「自分の名前を付けるのは……ありか……いや、効果が分かりづらいな、もっとシンプルに……よし! 決めた! 新魔法の名は、
身体能力超向上
だ!」
これで憂いはない。マクベインは意識のないレッサーウルフに近づき、無理矢理にガバリと口を開かせた。
「刮目せよ! これこそ我が至高なる新魔法! 新たなる希望! フィジカルブースト!」
一人山奥で叫びながらレッサーウルフの口に高密度魔力球(ブースト球)をぐりぐりとねじ込む。
途端、レッサーウルフの身体が光り輝いた。目も開けていられないほどの閃光。僅かに滲む七色の輝き。
「キタ!きた、きた、きた!いっけえええええええっ うおおおおあぁぁああえぇっ」
ボンッ!!
とんでもない事になった。
違う意味で。
高密度の魔力に耐えられなかったのか、レッサーウルフは内側から弾け飛び、爆散してしまったのだ。
辺りに霧状に飛び散った血を眺めながら、マクベインはブルッと身体を震わせた。
………危なかった。こんな事を人間で試していたらどうなっていた事か。
大魔導師になる前に三食昼寝付き、牢屋行きである。