前編
そろそろ卒業後の進路を
マジメに考えなければ。
伊豆で小さな写真館を営む父の影響で
カメラの専門学校に入った。
他に特にやりたいことも見つからなかったし、
撮るのは嫌いじゃない。
いずれ実家の写真館を継ぐことになるんだろう。
それなら、一度くらい東京に出てみたい。
それくらいの動機だった。
そんなわけで、
周りが就活や作品作りで忙しい中
人とビルばかり多い東京で
代わり映えのない時間を過ごしてる。
もし実家に帰るなら
せっかくだから
写真関係のアルバイトでもやっておこうか。
学校のアルバイト掲示板をのぞくと
早速この求人が目に入った。
「急募スタジオアシスタント 与謝野雄介写真事務所」。
与謝野雄介といえば
A新聞社の公募コンテストの審査員欄に
名前が並んでいる有名写真家だ。
スタジオ業務なら
ボクでも、大丈夫だろう。
実家に帰っても役立ちそうだし
場所も下宿と学校の間で便利だ。
メールで応募すると、
すぐに返事があった。
翌日、
作品集を抱えて面接に行くと
すんなり決まった。
「じゃ明日15時からね」
与謝野雄介写真事務所は
古びたビルのワンフロアにあった。
ボクの仕事は
事務所の一角に組まれたセットでの
物撮りの手伝い。
仕事内容はいたってシンプルで
何日かでだいたい覚えた。
時々来客やスタッフの出入りはあるが、
基本、事務所は
先生とボクの2人きりだ。
学校の授業を終えると事務所に向かう。
段ボールを開けて商品を取り出し
だいたいのサイズごとに仕分けして
撮影リストを確認し
先生の指示に従って
順に撮影台に載せる。
写真で最も大事なのは照明だ。
でもスタジオの物撮りだから
調整が必要なのは基本的に
商品サイズが変わる時だけ。
先生の指示で
照明の向きや強さを調整する。
その日の撮影が終わると
先生がカメラから
記録カードを抜いてボクに渡す。
ボクはそれをPCに差し込み
リストと照合しながら
商品番号フォルダーを作り
振り分けて画像データを保存する。
撮り残しがなければ
商品を元通り段ボールに戻す。
単調な作業だ。
でもまあスタジオの物撮りアシスタントなんて
こんなものだろう。
特に感動もないが
単調な仕事は嫌いではない。
与謝野先生は50歳前後。
必要な要件だけ短く話す。
基本的に
話すのが得意でないボクにとっては
居心地が良い。
「天塚君はどんなの撮るんだい?」
珍しくある日先生が
業務以外の事を口にした。
「花とか、景色です」
「そういえば作品集
そんなだったっけな。
人も、面白いぞ」
「人ですか」
「苦手か」
「得意じゃないです」
そう。ボクは
人を撮るのが苦手だ。
というか
人が、苦手だ。
「実家、写真館だったな。
人が苦手じゃ
やってらんないだろう」
「はい。けどボク
あまりうまく話せないんです」
「写真家はね、
話すのは
うまくてもいいけど
下手でもいい。
どっちでもいいの。
良い写真を撮ればいいんです。
結局ひとり歩きするのは
写真だから。
ただ、逃げるのはだめだ。
被写体も
見てくれる人も
クライアントもね。
向き合う事から逃げたらダメです。
でも別に
いっぱいしゃべらなくていいの。
わかるか」
「はい」
「俺も実家が写真館でね。
田舎の小さなね。
でも俺は
広告がやりたかったから
東京に出て来たんだ。
広告は面白いぞ」
「広告ですか、
考えてませんでした」
「まあいいや。
来週泊まりでロケがあるけど
来るか?」
「来週ですか、ロケですか、
わかりました」
「そう。水・木ね。
じゃいらっしゃい。
あと2人来るよ。
前にウチにいたヤツらね。
このカタログのブツ撮りは
今週でおしまい。
来週はロケ2本ね」
来週の水曜木曜、
ちょうど記念日で休講だ。
「これ資料ね。目を通しといて。
前の日は準備するから
いつも通りね」
スケジュールやデザインカンプ、
男性モデルの宣材写真が添付されていた。
メンズファッション誌の
表紙画像が何点か並んでいる。
ファッション誌に興味が薄いボクでも
覚えている顔だ。
へえ。
このモデル、櫻井春瑠っていうのか。
それにしてもここのバイト、
こんな仕事も含まれるのか。
与謝野雄介で調べると、
ファッションの広告写真ばかり出てくるから
先生が事務所で物撮りばかり
やってるってことに
何も疑問がなかったわけではないけれど。
それにしても、
思いがけずロケに連れて行ってもらえるとは!
それも泊まりがけ。
楽しみだ。
これまで課題の撮影は
ほとんど学校のスタジオでやっていた。
たまに都内の公園で撮ることもあったけど。
海か。久しぶりだ。
九十九里か。
この時期は寒そうだな。
伊豆より千葉は寒いらしい。
ダウン1枚じゃ寒いかな。
フリースと
ウインドブレーカーも要るか。
マフラーと帽子も持って行こう。
宿泊は、と。
温泉ホテル!
へえ! 温泉も久しぶりだ。
ロケ当日は
朝早くに事務所に集合した。
先生は自分の赤いポルシェを自ら運転して
ボクとあと2人はワゴン車で機材と一緒に
現場に向かった。
「天塚君、ね。よろしく。
運転してる方が悠一、
俺は拓也」
同乗の2人は
先生のところで長くアシスタントをして
今は商業カメラマンとして独立、
案件に応じて
こうしてヘルプに入るのだそう。
道中、到着後の段取りや
ボクの学校の事を話し、
2時間ほどで現場に到着した。
到着したのは
海岸線のまっ白い異国風の一軒家。
撮影は、
1日目は、まず庭、午後砂浜で。
2日目は、早朝の砂浜と、室内でのカット。
機材を降ろし準備していると
関係者が続々到着してきた。
教えられた通り
ボクは下っ端らしく軽い挨拶だけで
裏方に徹する。
スタイリスト、ヘアメイク、ディレクター、スポンサー、
そして最後にモデルの櫻井春瑠が到着した。
写真で見た印象よりも背が高い。
もっと華奢かと思ったけれど、
意外と筋肉はしっかりついている。
黒髪はサラサラなのに濡れたような艶を放つ。
彼の周りにだけパッと
スポットライトが当たっているようだ。
「おはようございます。
櫻井春瑠と申します。よろしくお願いします」
よく通る声に驚いた。
それから櫻井春瑠は
庭で構図を確認している与謝野先生のところに行って
しばらく談笑し
控室の中へ消えた。
先生と櫻井春瑠が仕事をするのは初めてではない。
今回の撮影を先生が請けたのも
櫻井春瑠の希望だからだそうだ。
撮影は先生の仕切りで
すがすがしい緊張感の中
順調に進んだ。
打合せ通り、
ボクはレフ版を持って先生についてまわる。
先生の指示を受けて
レフ版を上下左右に傾け
モデルに光を当てる。
実家の写真館の和やかさや
学校の課題撮影とは
全く違う
凛とした緊張感。
全員が集中している。
ボクもその中の一人なのだ。
心地よい。
光に照らされた櫻井春瑠。
内側から光を放っているように
キラキラと輝いている。
目を奪われる。
「天塚君、
見惚れてボヤっとしてないでさ。
次ビーチに行くよ」
先生の大きな声に
ハッと我を取り戻す。
そんなボクを振り返って
櫻井春瑠がクスっと笑った。
「ちょっと衣装変えてきますね、
ええと君は……」
うわ目が合った。心臓がずきゅんと射抜かれる。
まぶしい!
「名前、もう聞いたっけ?」
「あ、天塚陽斗です。
天国の天に貝塚、
太陽の陽に北斗七星の斗です」
「アハ 貝塚とか久しぶりに聞いた。
太陽の陽を『あき』って読むんだ、
『はる』じゃないんだね。
じゃアキ君、またあとで」
そう言って室内に姿を消した。
「おおい天塚君、行くぞー」
ボクは再び先生の声でハッと我に返り
急いで先生の後を追う。
ちょっと走っただけなのに
心拍がひどい。
ボクこんなに体力なかったっけ?