覗き込む浮浪者
私が小学校高学年の頃の出来事である。
私の小学校は小さな山の上にあった。
なので、行きの通学路はそのほとんどが坂を上っていく道だった。
特に、学校の正門の割と近くに大きな石の階段があったのだが、中々に傾斜がきつくて、いつも上り終える頃には疲れ切っているような、そんな通学路における一番の難所だった。
石の階段は周囲を木々に囲まれて薄暗く、いつもひんやりとした空気が流れているかのようだった。
階段を上る方向に向かって右側は、崖の斜面が壁のようになっており、途中からもいくつか木々の生えるその崖の上は、小さな広場になっていた。
階段からだと崖になっているので、その広場の縁ぐらいしか見えない上、直接そこに行くこともできないが、階段を上りきって右手から回り込むように進むと広場に辿り着くことが出来た。
その広場には四阿というか、ガゼボというべきか、壁のない柱だけの小さな小屋が建っており、休憩できるようにいくつか長椅子が置かれていた。
その小屋にいつからか、浮浪者が棲みついていた。
少なくとも、私が小学生になった時には既にいたと思う。
いつも同じ格好で、色の褪せた藍色のキャップを被った中年の男性だった。
小学校のすぐ近くということもあってか、問題になっていたのかは定かではないが、一応の注意喚起というか、関わり合いにならないようにというお達しが学校からあったのを覚えている。
あの広場には近寄らないように、とのことだった。
好奇心旺盛な小学生の事なので、逆に面白がって小屋を覗きに行くような者もいたのだが。
私は得体の知れない存在に関わり合いになるのは嫌だったので、小屋はもとより広場自体にも近づこうともしなかった。
ただ、前述のとおり、私の通学路は広場のすぐ下に位置する階段を通って行くものなので、広場からは距離的にはかなり近くである。
正直、あまりいい気持ちはしていなかった。
特に何かあったわけでもないが、何となく不気味な、嫌な気持ちがしていた。
その日は、夏休みが開けてすぐで、私はたまたま一人で下校していた。
一人で、蝉の鳴き声が響く石の階段をゆっくりと下っていた。
階段は傾斜がきつい分、上りももちろん大変なのだが、下りは下りで転びやすそうでまた難儀だった。
階段を半ばあたりまで下った時である。
何だか、妙な気配を感じた。
人にじっと見られているような……。
気になって周囲を見回す。
背後も見返す。
誰もいない。
気のせいだったのだろうか。
ふと、その時、私はなんとなく上を、進行方向に向かって左手の崖の上を見た。
目が合った。
あの浮浪者。
藍色のキャップを被った、広場に棲みついている浮浪者が、そこにはいた。
崖の上から身を乗り出すように、こちらを覗き込むように、私の事をじっと見ていた。
キャップの下から覗く顔は、能面のように何の表情も窺えない。
だが、その目から放たれる視線は強烈で、熱のようなものすら感じた。
びくり、と私は固まった。
まさに蛇に睨まれた蛙、といった具合だった。
急な出来事に、不意打ちをされたような気持ちだった。
今までこの浮浪者と関わり合うことはなかった。
ましてや、こんな風に相手から認識されて、じっと見つめられるようなことなどあるわけもなく。
私は動揺し、どうしていいか分からなくなっていた。
依然、浮浪者は、崖から身を乗り出して覗き込むかのようにこちらを見ている。
顔も一切変化なく、不気味なまでの無表情。
それでいて、視線はこちらに向けたまま、片時も逸らしていないのがはっきりとわかった。
強烈な、それでいて絡みつくような、じっとりとした視線。
異様だった。
ただこちらを眺めているだけ、というわけでは絶対ないと思った。
それ以上の何かがその視線からは感じられた。
その時の私は季節柄もあって薄着だった。
腕は肩まで出ていたし、下はショートパンツ。
嫌だな、と思った。
嫌らしい、と感じた。
その浮浪者の視線を、私は嫌らしいものだと思ったのだ。
鳥肌の立つようなねっとりとした視線だった。
露わになった肌の表面を、その視線がゆっくりと這い回っているかのようだった。
全身が舐め回されているような、そんな気さえしてくる、身の毛もよだつ感覚。
私は感覚的に、その視線から汚らわしいものを感じていた。
生理的な嫌悪、とでも言うべきだろうか。
なんというか、不快だった。
とにかく気持ちが悪かったのだ。
そして、恐怖もあった。
どのくらい、見つめあっていただろうか。
視線を逸らしたいのに、この場から逃げ出したいのに、私の体は動かなかった。
まるで視線に絡めとられ、縛られているかのようだった。
崖の上から覗き込む浮浪者も、崖下の階段から見上げる私も、ぴくりとも動かないまま、時間だけが過ぎた。
蝉の声が聞こえなくなっていた。
その時、体が動くようになったことに気付いた。
私は跳ね飛ぶように駆けだした。
一気に階段を下る。
よく転ばなかったものだと後になって思うほど、息せき切って駆け下りた。
階段の終わり際で、一度振り返る。
あの浮浪者は、未だこちらを見ていた。
距離が離れてその表情はもう窺えなかったが、最初にいた崖上に直立したまま、こちらに顔を向けているのは分かった。
あれから、ずっとずっと私を見つめ続けているのだろう。
怖い。
気持ち悪い。
汚い。
それらの気持ちに背中を押され、私は自宅まで一気に駆けて行った。
自宅に着くなり、母の元に向かった。
母は、自分の娘が、汗だくで血相を変えて駆けてくるのを見て驚いていた。
どうしたの、と母に問われて、私は今しがたの出来事を話す。
話をしている途中で、私は自分が泣いていることに気付いた。
何故だか涙が止まらなくなっていた。
とても嫌な気持ちだった。
特に直接何かをされたわけではない。
ただそれでも、気持ち悪さと恐怖からか、涙は拭っても拭っても止めどなく溢れた。
あの視線を思い出すたびに身が震え、強張るようだった。
例えるなら、そう、何か汚い物を体中に擦り付けられたような、そんな耐え難い不快感――。
泣きながらの要領を得ない娘の話を、母は注意深く聞いてくれた。
話し終えると、母は、怖かったね、もう大丈夫、と言って私を抱きしめてくれた。
そうしてから、私から聞いた話について、仕事中の父に連絡を入れ、私の学校にも電話した。
学校からは、確認して対応する、との回答だったらしい。
電話が終わると、母は私にお風呂に入ることを勧めた。
私も、汗だくということだけでなく、前述の気持ち悪さもあって、すぐにでも入ってさっぱりしたい気持ちだった。
いつもより念入りに全身を洗い、お風呂で体を温めると、私はようやく気持ちが落ち着くのを感じた。
まるで、体に纏わりついていた目に見えない汚れ、絡みついたあの視線そのものが、熱いお湯で流され、浄化されていくかのような、そんな気持ちがしていた。
これでやっと、あの視線から逃れることができたと私は思った。
◆
その後の話。
学校の説明はぼかされていたし、母も私に気を遣ってか、すぐには全てを伝えなかった。
なので、私が全貌を知ったのは、事件からずいぶん経ってからだった。
死んでいた、という。
あの浮浪者。
私の母からの連絡を受けて、学校側は男性教師が数人で崖の上の広場に行ったのだという。
そこで教師たちは、崖の傍で倒れている浮浪者を発見した。
すぐに救急車を呼んだが、既に亡くなっていたそうである。
死因についてはよくわからないが、誰かに殺されたというわけではなさそうらしい。
病死なのか、衰弱死なのか。
問題は此処からである。
その浮浪者だが、どうも、調べたところ、死んでから何日か経っていたらしい。
少なくとも、私が当人に出会った時間には、間違いなく死んでいたであろう、という。
別人と見間違えたとは考えづらい。
それまでほとんど関わりがなかったとはいえ、小学校に入った頃にはその浮浪者は既にいた。
見かけることは何度もあったし、関わり合いになりたくなかったからこそ、顔はしっかりと覚えていた。
何より、あの藍色のキャップ。
死んでいた時も、しっかりと目深に被っていたそうである。
今にして、思うのだ。
あの時の視線。
当時の私が、気持ち悪いと、汚らわしいとさえ感じた、絡みつくようなあの視線。
あれは、絡みつくというより、縋りついてくる視線だったのではないかと。
看取る者もなく、野外で、一人孤独に死んでいった男が。
通りかかる者なら誰でもよいと、それこそ小学生の少女にすら。
自分をどうか見つけてくれと。
そんな風に縋りつくための視線だったのではないかと。
あるいは、もっと単純に、既に死んだ存在が、今を生きる存在を羨んでの視線だったかもしれないが。
だから、私があんなにあの視線に嫌悪を覚えたのは。
生理的な嫌悪を、汚らわしさを感じたのは。
それが性的な、嫌らしい視線だったからではなく。
それがこの世のモノではない、もう既に死んでいる存在が。
自分に縋りつこうとしてか、単純に羨んでかはわからないが。
向こう側の世界から、じっと見つめてきたからではないかと。
その視線に、本能的に、死のケガレを感じたからなのではないかと。
今にして、思うのだ。
答えは最早、わからないけれど。