表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

7月6日  ― 異変


 ■■■


「お先失礼します」


 数彦はそう言って、現場を後にした。汗がまとわりついて不快だから、早く自分の部屋に戻ってシャワーを浴びたかった。だが、今日は予定があるので、家に帰る前に、コンビニに寄って酒とつまみを買った。

 酎ハイ数本に、ポテトチップス、プリンという組み合わせを買って、数彦は自分のアパートに戻った。ボロいアパートは壁が薄く、隣のテレビの音が聞こえてきたが、家賃が安いのだから仕方ない。

 数彦はこのボロアパートに不満はなかった。自分の部屋があるだけ、十分だ。


 シャワーを浴びて、スマホを見ると、もうすぐここに来る友人から通知が入っていた。


『そろそろ行くけど大丈夫か?』


 昔から色々なことに気付くからか、細やかな奴だ。早く来いよ、と返信して、数彦は買ってきた品をテーブルに並べた。少しして、ガチャ、と玄関の戸が開いた。

 勝手知ったる風で入ってきたのは、数彦の、小学校以来の親友――水落だ。


「お、来たな」

「おー。というか、もうプリン食ってるのかよ……」


 水落は、数彦が食事代わりにプリンを食べているのを見て苦笑する。


「いいだろ。疲れてる時は甘いもんがいいんだよ。水落こそ、また同じ餃子買ってきてるだろ」

「これ美味いんだって。台所借りるぞ」


 水落は、餃子をフライパンで温め始める。今日は、久しぶりに数彦の家で宅飲みすることになっていた。

 

 今は大学に進学している水落と、定時制高校を卒業後、今は建設現場で働いている数彦は、会う機会こそ減ったが、数彦にとっては唯一とも呼べる親友だ。


 ■■■


 百瀬数彦には、両親がいない。小さい頃から施設で育ってきて、恐らくは出自の不明な捨て子だったのだと思われた。

 就職にあたって住民票を出すことになり、その時様々な書類を取り寄せる上で理解したが、百瀬には親類と呼べるものが一切ない。恐らく、出生不明だからと戸籍は適当な名前で作られたのだろう。


 施設の職員の人たちは優しかったが、不自由がないわけではなかった。

 子供心に、自分が施設出身だということは隠していたが、家に遊びに行きたいと誘われれば断り、授業参観や運動会などのイベントはいつも一人で、出来合いの弁当を食べていた数彦に、家庭がないことが知れるのは早かった。


 残酷なもので、数彦は簡単に、いわゆるイジメの対象になった。

 仲間外れにされることは構わなかったし、むしろ都合がよかった。自分だけついていけないゲームやアニメの話をされても退屈なだけだ。ただ、物を隠されるのはつらかった。


 施設から文房具は渡されているが、無駄にする余裕はない。毎回毎回失くしました、ではすまされない。

 施設の先生に「自分は施設育ちで親がいないから、皆に意地悪で物を隠されます」と言えば分かってくれるだろうが、それを言うのは数彦のプライドが許さなかった。だから、毎回、学校中を探し回ることになるのだ。

 クラスメイト達も、必死に探し回る数彦が面白いのか、絶対に見つからないように持ち帰って捨てたりすることはない。日が暮れるまで探し回って、それでようやく見つかるような場所に隠してくるのだ。


「くそっ……」


 夕焼けの差し込む教室で、机から、掃除用ロッカーから何から探し回って、数彦のノートはまだ見つからない。数彦は奥歯を噛みしめた。

 そこに入ってきたのが、当時、隣のクラスにいた水落だった。


「……。そこ、時間割の裏」

「え?」


 いきなり教室に入ってくるなり、気まずそうに言った男の子の言う通り、数彦が壁に貼られた時間割の裏を調べると、ノートがガムテープで壁の裏に貼られているのが見つかった。

 数彦は呆然として尋ねた。


「……お前、何でわかったの」

「違う! 俺が隠したんじゃない!」


 数彦の予想に反して、その男の子は大きな声を出した。が、数彦が目を丸くしているのを見ると、水落は視線を足元にやって、ぼそぼそと言った。


「……隣から、隠す時の声が聞こえてきたし。時間割が、変に膨らんでるのが、見えたから」

「……。」


 数彦は時間割を見た。ノート一冊分の膨らみなんて、数彦の目には全然分からなかった。声の話にしても、隣の教室から聞こえるような大声で、あいつらは話していたとは思えない。

 ただ、水落の言っていることは本当のようだった。


「教えてくれて、ありがとう。……えっと? すい、らく?」


 名字の読み方が分からず、数彦が尋ねると、男の子は短く答えた。


水落(みずち)って読む」

「……俺、百瀬」

「うん」


 その日、数彦は水落と一緒に帰った。水落は、日本家屋のような立派な家に住んでいて、数彦はちょっと驚いたが、門に入る前、最後に振り返って、何かを言いたそうにしていた。


 それから、数彦の隠されたものを、水落がことごとく簡単に見つけるようになって、クラスメイト達は、つまらなくなったのか数彦のものを隠さなくなった。


 一緒にいるうちに、数彦と水落には共通点が多いことが分かった。


 水落もまた、両親を知らず、祖母の家で暮らしていること。感覚が鋭すぎて、クラスメイト達とうまく馴染めないこと。それは、自分にも覚えのあったことだった。

 数彦にとって、水落は唯一といっていい、友人になった。


 ■■■


 数彦が、酎ハイを片手に餃子を食べながら言った。


「あー。どっか旅行とか行きたいよな。水落、お前も免許取ったんだろ?」

「運転する機会ないから、完全にペーパーだけどな。百瀬の休みに、どっか行くか?」


 けど、と水落は笑う。


「彼女さんに悪いしなー」

「あー、真紀(まき)とも話したけど。夏は都合が悪いって」


 数彦の恋人の、真紀は、接客業をしているため、なかなか休みが合わない。加えて夏は、ハイシーズンだから、休みが取れないのだという。


「ふーん、それで仕方なく俺と行くと」

「あ? 水落だって、気になってる子がいるって話はどうなったんだよ。まだ何もしてないのかよ。純情すぎんだろ」


 からかいに返すと、水落は黙って発泡酒に口をつけた。昔から、恋愛沙汰には奥手な友人だ。

 数彦が笑っていると、ふと、水落が、数彦の腕に目をやった。


「あれ? それ、傷か?」

「ん?」


 水落の視線を追って、数彦が自分の腕に目を落とすと、2、3センチほどの、切れ込みのような筋が入っていた。どこかで切ったのだろうか。数彦の仕事は現場作業だから、どこかで気付かないうちにぶつけてしまった可能性がある。


「何だろうな。仕事中に、どっかで切ったんだろ」

「痛くないのか?」

「ああ」


 腕の傷を指で押したが、血が出るわけでもなく、痛みがあるわけでもなかった。そもそも、どこで怪我したかも思い出せないくらいだ。大したことはないだろう。

 だが、水落は目を細めて、数彦の腕を睨むように見る。


「……。その傷、さっきあったか?」

「ん? さあ。俺も言われるまで気付かなかったし……」


 気にするなよ、と数彦は言ったが、水落はどこか納得していなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ