レッド
「あの試合が実戦だったなら、タケルくんが勝っていた!」
麦茶が注がれたコップが飛び跳ねるほど、力強くレイカはちゃぶ台を叩いた。タケルと戸部の野試合から一週間以上が過ぎている。その野試合ついて話しているのだが、高揚を抑え切れず声も大きい。
「最初の斬り合いの時、タケルくんの刃がヤマザルの右拳を打っていたっ! 剣道で言うところの篭手ね。その後にも二度、相手の胴を切っている!」
戸部の体当たりやローキックの前に、すでに勝負は決していたと言うのだ。レイカが『ヤマザル』と呼ぶのは、もちろん戸部のこと。ちゃんと名前を覚えていないのと、その容姿や雰囲気でそう呼んでいる。
「あのヤマザル。自分の拳と胴を斬られたことはわかっていたはずよ。それでも気付かないふりをして試合を続けた。あげく体力勝負よ! 体当たりはまだしも最後は脚蹴りって、もう剣術の試合じゃない!」
唇を噛み、心底悔しそうだ。無言、無表情だった野試合の時とは打って変わり、感情をあらわにしている。
田畑や雑木林の中に十数軒の家が点在する郊外の集落。その一角に建つこぢんまりとした家。畳敷きの部屋に彼女はいた。
レイカの話を聞いているのは、どこか影のある風貌の男。年齢は三十代半ばを過ぎた頃だろうか。
「タケルくんは、自分の攻撃が当たったことに気付いていなかったみたいだけれど……。感覚的って言うか、身体が勝手に動くんでしょうね」
「剣術道場に通っていたことは無駄じゃなかったってことか……。それで、ラボはどう言っている?」
男が応え、そして問う。
「『聖剣を預けるには、少々心許ない』だって。一応は評価しているけれど……。やっぱり精神的な部分が不安みたい。」
「藤村タケルは、戦うことにためらいがある……、ということか」
男はお湯だけを注いだマグカップを手に、レイカに向き合う形で腰を下ろす。眼差しは真剣だ。
「あのヤマザル。例の養成所の訓練生みたいよ。やり方は汚いけれど強かった。そんな相手に実際は勝てていたんだから、タケルくんだって強いのよ」
少し冷静さを取り戻したレイカ。わたしが見た感じだけど、と前置きして話を続ける。
「嫌がらせには反撃しない。でも試合になったときは先手で攻撃していたし。タケルくんは、正統な理由があればちゃんと戦える」
「あの野試合で自信喪失してなきゃいいんだけど……」
少し伏し目がちにつぶやく。
「お前が慰めてやったら、元気でるんじゃないのか?」
からかうように男は言う。
「……? どういうこと?」
「可愛い女子が味方についてくれるなら、男子はそれだけでやる気でるよ」
クスっと笑うレイカ。
「それって体験談?」
「男子なんてけっこう単純だってことさ」
「だといいんだけれど、嫌がらせのこともあって、彼、けっこうナーバスになっているのよね。変に声を掛けるのも拙い気がして…… いっそ、タッくんに会わせちゃおうか?」
男の表情が曇る。
「昔の話だ。今の俺では彼の力にはなれない」
(ここにももう一人、ナーバスになっている人がいる)
面倒な男たちだとレイカは思った。
突然、思い出したように天を仰ぐ。
「あーっ、失敗だったなぁー。彼に『どうして反撃しなかったの?』なんて聞いちゃったこと」
初対面の時のタケルへの問いを思い出し、後悔しているのだ。彼がどう受け止めたか? 責める意図はなかったにせよ、これは、聞いてはいけない事を聞いてしまったのかもしれない。
「タケルくんのことは、もう少し様子を見てみるわ。元々ゆっくりと仲良しになる予定だったし」
「それと、これ」
報告とも相談とも愚痴ともつかない話をひとしきりしたあと、ペン(ペン状のもの)をレイカがテーブルの上に置く。男の目付きが変わる。
「MD……。あの時のか……」
「そう。タケルくんが嫌がらせを受けた時に壊されたんだけど、ラボで修復してもらったの。ほとんど効力が失われていたけど、彼、大切に持っていたよ」
男は無言でペンを見つめる。
「あとはタケルくんに〝これ〟を返すだけなんだけど……。御邪魔虫がいて、なかなか二人きりになれるチャンスがないんだよねー」
レイカがタケルに近づくと、必ずサユリも寄ってきて三人の会話になる。レイカはペンが直ったことをサユリには知られたくない。そもそも特殊なアイテムである。なるべく余人を交えたくないのだ。
「その御邪魔虫のいない時を狙って渡せばいいんじゃないのか? おまえならそれくらいできるだろう?」
「変な噂が流されていましてね……」
レイカの顔つきが〝普通の女子高生〟になっている。
「……? なんだ、それは?」
「わたしが例のヤマザルと……。不本意ながら、恋仲だと……」
照れではない。屈辱とも取れる表情のレイカ。
「それで、タケルくんの態度がよそよそしいのよ。わたし、避けられているみたいで……」
年頃の娘らしい言葉に、優しい目を向ける男。
「あと、もうひとつ。この間の堤防破壊の話」
レイカの目つきが鋭くなる。いつもの凛とした表情に戻る。男も敏感にそれを感じ取った。
「事故と報道されているが……」
「おそらく奴らの仕業よ」
「そう思う理由は?」
「GDが対処していた」
「少女戦士がどうとか言うアレか。しかし奴らが、今、この街で動く理由があるのか?」
「なぜかは解らない。ラボでも分析中。とにかく、気には留めておいて」
レイカはコップの麦茶を飲み干すと、立ち上がる。
「用件はこれくらいかな。転校して早々、あんまり学校をサボってもいられないから、もう行くね」
玄関に向かう途中キッチンと脱衣所に目をやり、大きなため息とともに肩を落とす。シンクに無造作に置かれた食器類。洗濯機の横には衣服が脱ぎっ放しの状態で散らかっている。
「わたしたちのヒーローがこれじゃ、ねぇ……。タケルくんが見たらガッカリするよ! タッくんもしっかりしてよ!」
呆れるような、それでいて少々とがめるような口調。
自嘲する男。
「物言いが姉さんに似てきたな……」
「お父さんに言わせると、お母さんよりキツいってさ」
少し拗ねながら言い返す。
「じゃぁね! レクシーネ・レッドさん!」
そう言い残して、レイカは男の家を出て行った。
彼女を見送った男は無精髭を撫でながら洗面所へと向かう。
「姪っ子にもお小言を言われるようになっちまったか……。たしかに、姉さんよりキツいや」
その姿を鏡に映す。
「これが、現在のレクシーネ・レッド……」
男は独り言ちながら、髭剃りに手を伸ばした。
彼の名は赤城タツヤ。かつてレクシーネ・レッドと呼ばれた男。