剣術道場跡
レイカがせきたてるようにタケルの背中を押す。教室を出ていく二人の様は、残っていた生徒たちの好奇の目を集めた。
校門を出て二百メートルほど歩いたところで、タケルは、今日は寄りたい所があると言い、普段の帰宅時とは逆の方角。川向こうに渡る橋へと向かおうとする。
「じゃあ、あたしも一緒に行く」
屈託の無い笑顔でレイカが言う。
昨日の恩もあるし、下校のために登校してきたような彼女の同行を断るのも気が引ける。
そもそも今までモテたことがない(少なくとも本人はそう思っている)自分が、女子と肩を並べて歩く機会などそうあるはずも無い。タケルは、これはこれでいいかと、まんざらでもない気分で歩を進めた。
二人は何か話すわけでもなく、かと言って気まずい雰囲気でもない。タケルはやや照れた感情を表に出さないように前だけを見て歩く。レイカはそんなタケルの横顔に時折目をやりながら、気分良く周りの景色を楽しんでいる。
橋の少し手前で、サユリ(委員長)が二人に追いつく。
「二人ともズルい」
走って来た彼女の息を切らせながらの一声。何がズルいのかよくわからないが、彼女も付いてくる気だ。それにしても昼間の素っ気無さとは打って変わっての親しげな態度。
タケルにしてみれば、もう一人女子が増えてうれしいような、しかし、本当は一人になりたい気分だったので困ったような複雑な気持ちになる。そもそもなぜレイカとサユリは自分に付いてくるのかと、不思議に思いながら橋を渡りはじめた。
橋の上からは、昨日、爆発事件のあった堤防を見ることができる。いつもならロードワークをしている運動部員を見かけるはずだが、今日は控えているのであろう、その姿は無い。ある地点で規制が敷かれておりそこから先は通行止めになっている。遠目に警察車両や警察官の姿が確認できた。
「昨日の爆発、騒ぎ。やっぱり〝怪人〟だよねー」
サユリが口を開く。
「……よくわかんない。現場を見たわけじゃないし」
チラリと現場の方を見たレイカが言葉を返す。
「間違いなく〝怪人〟の仕業だよ! 見たって人、何人もいるもの!」
事件に興味津々といった感じで時折笑顔を見せながら、個人的な推察をサユリは語りだした。
昨日話した、噂の〝怪人騒ぎ〟がとうとうこの町にも起こった。何が目的で堤防を爆破したのかは知らないけれど、〝怪人〟と戦っていたのは〝GD〟と呼ばれる少女戦士だろう。彼女たちは公的機関によって組織された特殊な戦闘部隊だと、普段は見せないような興奮ぶりだ。
荒唐無稽ではあるが、昨日、タケルの見た状況と辻褄は合う。
一方、レイカは〝レクシーネ〟談議の時とは打って変わって、静かに話を聞いている。あるいは聞き流しているのか?
(ジー・ディー?)
昼休みの教室移動の時に、戸部も同じ言葉を口にしていたことをタケルは思い出す。
(少女戦士? なんだ、それは? そんな事をどうして委員長や戸部が知っている?)
多少ならずも疑問が湧く。
よく解らないことが、昨日今日と続いている。
橋を渡り終えると横道に入る。堤防と住宅地の間、川に沿う形で細長く造られた公園。橋から一番離れた場所に祠が建っている。
「ちょっと…… 一人にさせてもらえないかな」
タケルは女子二人にそう言うと、祠の方に向かって歩いていった。
レイカとサユリは少し離れた場所にあったベンチに座り、祠の前で一人佇むタケルを見ている。
「今は祠だけ残されているんだけど、ここね、何年か前まで剣術道場があって。彼、そこの門下生で稽古に通っていたんだよね」
サユリが静かに話し出す。
「剣術道場は、堤防や公園整備の一環で立ち退きの要求があり、師範が高齢だったこともあって閉鎖したの。そのあと、タケルくんたち門下生の何人かは中学の剣道部に入部したんだけど、不祥事があって……」
「悪質な嫌がらせや暴力があったみたい。生徒たちに詳しい事情は説明されなかったけど、剣道部が廃部になったことで、けっこう重大な事態が起きたんだろうって、校内で噂になったわ」
「彼をはじめ、当事者はほとんど何も話さなかった。学校側からも口止めされていたみたい」
「サユリ、詳しいのね」
何とはなしにレイカが応える。
「私、彼と小学校中学校と一緒だったし、同級生の何人かも道場に通っていたから。剣道部の不祥事に関しては、保護者の間でも話題になっていたからね。私が知っているのも、その友達や親から聞いた話」
そう言えば、カナキの奴も剣道部だった。あの一件では加害者側だった、とサユリの話は続く。
「タケルくん。道場には小学生の頃から通っていて、そのころはもっと元気な男の子だったんだけど……」
サユリの話を黙って聞いているレイカ。その視線はタケルに向けられたままだ。
「道場が無くなっちゃって、何か思うところあるんだろうね」
ぽつりと、独り言のようにサユリがつぶやいた。
剣道部の不祥事においては、タケルは被害者の一人であり、相当につらい思いをした。この一件で、もともと自分に自信が持てないでいたタケルは物事に対すてやる気を失い、無難に平凡な学生でいることを選んだ。
それでも、月に二、三度はこうしてこの場所に来る。剣を振るっていたあの頃は、強くなりたい一心で稽古に励んでいた。英雄となることを目指していた。そんな感覚を呼び覚ますことで、現在の情けない自分を少しでも鼓舞できる。
今日は女子二人が半ば強引に付いてきてしまったが、神社の前で一人にさせてくれと言うタケルに対して、二人ともタケルの意を酌んでくれた。
しばらく静かに時が流れる。タケルは道場の建っていた場所を見つめ佇んだままだ。
「あいつもホント、ダッセーなぁ!」
静寂を破る大きな声。ふいに、戸部が現れた。
「まだ、あのオンボロ道場にこだわっているのかよぉ?」
タケルにも聞こえるように、わざと大仰に声を出す。
なぜ、この場に戸部が現れたのかはわからない。偶然通りかかった橋の上から見つけたのか? あるいは学校を出た三人を付けてきたのか?
その表情には不満が見て取れる。彼女たちの気がタケルに向いていることが気に入らない。
「ここはなぁ、昔、剣術道場があって…………」
戸部は、サユリがレイカに説明した剣術道場の件を得意そうに話し出す。剣道部の不祥事には触れなかったが、先のサユリの説明とほぼ同じ内容なので聞き流す女子二人。
同じ話をもう一度聞かされているためか、レイカはうんざりとした表情を見せている。
「おいっ! オマエ! ダッセーぞぉ!」
「役に立ちもしねー似非剣術に、まだ未練があるのかよぉー!」
タケルと貶めんとする言葉だが、レイカとサユリに自分をアピールする狙いもある。
戸部はニヤリと笑みを浮かべてから、持っていた長めの手荷物から、剣の形をした竿状の物を取り出した。
「それって、スポーツチャンバラの……?」
サユリが問う。
「違う。似ているけどな。剣を使った闘技の鍛錬が目的の特別製だよ。実戦形式の試合の時に、こいつを使うのさ」
話しかけられたるを待っていたとばかりに上機嫌で答える戸部。ウレタン製だから叩いても怪我はしないと説明する。取り出したのは剣術の試合用の模造刀だ。女子二人の目の前で得意げに振り回す。空を切る音が小気味よく鳴る。
「なんなら、これで試合でもやらないか?」
タケルに対し、挑発の言葉が投げ掛けられた。