放課後
ズンッ!
左腕に鈍い痛みが走る。
「フンっ!」
爬虫類のような顔をした男がぐにゃりと口元を歪める。気味悪い表情だが、これでも笑っているのだ。
続いて左脚を激痛が襲う。膝裏から腿の辺りを蹴り上げるローキック。最近、人気の格闘技選手の真似事。手加減無しの本気で力が入った蹴りが、三度、四度と続く。
痛みに立っていられなくなり、ついには床にへたり込む。
「ダッセーなぁ!」
そう口にする狒狒のごとき風貌の少年が視界の左隅に映る。
「気取ってんじゃねーぞ!」
奇妙な抑揚のついた台詞。一歩引いて立つ小柄な坊主頭が、ウキウキと体を上下に揺すりながら見下ろす。何をどう気取っているのか意味不明だが……。
とにかく、三人とも楽しそうだ。
「やめろよ!」
床にへたり込んだ少年、タケルの言葉。
身長は一七二センチメートル。やや痩せ形で眼鏡をかけている。少しクセのある髪質だが、サッパリとカットされている髪型。いかにも真面目でおとなしそうな見た目で、事実、性格もその通りである。
(また、この連中か)
高校入学後、間もない頃から嫌がらせをしてくる三人に、タケルはうんざりする。
最初に左腕を殴ってきた爬虫類顔はカナキ。高校一年の時に同じクラスになり、席が近かったことがきっかけで、何かとタケルに嫌がらせをするようになった。
蹴りを入れてきたのは戸部。当人は嫌がらせではなく戯れの一環と思っているらしいが、タケルにとって戸部の蹴りは暴力以外の何物でもない。他の二人とは違い、成績は優秀で運動能力も際立って高い。
そして坊主頭のヨッシー。三人のリーダー格だ。この男、誰にでも嫌がらせや暴力を振るう問題児である。
タケルに対する嫌がらせは、高校に進学して間もない頃に席の近かったカナキから始まった。根拠も無く見下し無理難題を押し付ける。カナキと仲の良かったヨッシーが加わり、さらに戸部も加わって、次第に暴力を伴うレベルにエスカレートしていった。
二年生に進級後はクラスが別になり、嫌がらせも止んだのだが、夏休みも明け二学期が始まった今日、三人がタケルのクラスに入って来て、一年生の時と同様に嫌がらせを始めたのである。
放課後の教室。後ろの空きスペース。壁際、窓際に追いつめられるように三人に囲まれているタケル。他には誰もいない。
校舎の外からは運動部のかけ声が聞こえてくるが、校舎内は静まり返っている。
自分たちを咎める者などいないと確信を持っての行為だ。
タケルをターゲットにするのは、運動能力もそれほど高くなく性格もおとなしい故に、抵抗されないと見てのことだろう。
「そのペン、盗れよ」
ヨッシーの指示でカナキがタケルの胸ポケットのペンに手を伸ばす。
「やめろ!」
タケルは叫び胸元のペンを守ろうとするが、カナキの手が素早くペンに届いた。
盗り上げられたペン(正確にはペンの形状をした物)を取り戻そうとタケルは立ち上がろうとするが、そこに戸部のローキックが入る。
再び床にへたり込むタケル。もう一度立ち上がろうとするが、蹴られた痛みで脚に力が入らない。抵抗できない自分自身の精神的、体力的な弱さが悔しい。
「それ、よこせよ」
ヨッシーの言葉に、カナキは奪い盗ったペンを手渡す。
「返せよ」
「取れるものなら取ってみろよー」
タケルの無力な言葉に対して、ヨッシーは楽しげにはしゃぎながら距離を取る。三人のリーダー格の割に、言動は一番子供っぽい。
「返せ!」
傷みと屈辱に耐えながら、それでもタケルは立ち上がり追おうとする。
ヨッシーが逃げるように教室の出入り口の方へ二、三歩駆け出した時、女子生徒が一人、教室に入ってきた。
「何やってるの? あんたたち!」
状況を見てとっさに声を上げる。けっして大きな声ではないが、凛としたよく通る声。語気に気の強さが感じられる。
華奢ではあるが、女子としてはやや高めの身長に、すらりと長い手足。背中にまで掛かる黒髪ロングヘアーの美少女。
彼女の今の感情が表れているのか、目つきは少しキツめに感じられる。単に勝ち気な性格を現すだけではない、強い意志を持つ瞳。まるで吸い込まれそうな深い黒。
こんな子、この学校にいたっけ? と馴染みのない顔であることが、嫌がらせをしている三人の思考を一瞬止めた。
数秒の間を置いて、ヨッシーが口を開く。
「気取ってんじゃ……」
「彼の物でしょ。返しなさい!」
例の奇妙な抑揚がついた台詞を遮りピシャリと言い返す彼女に対して、それまでふざけ顏だったヨッシーの表情が急に険しくなる。
「女だからって……、気取ってんじゃねーぞ」
さっきとは違う、ドスの効いた声色。ヨッシーが睨みつける。しかし、少女は少しも怯むこと無く冷たい視線を返す。
睨み合う二人。ヨッシーが小柄なこともあって、身長差はほとんど無い。
先に目をそらしたのはヨッシーの方だった。
「返しなさい!」
彼女はもう一度、強い口調で言葉を発する。
「返せばいいんだろ? 返してやるよ! ほらっ!」
嘗めてかかれると思っていた女子に咎められ、憤懣やるせないヨッシーは言われたことにただ従うことが癪だったのだろう。タケルに向かうと思いっきりペンを床に叩きつける。
パキンッ!
乾いた音と共にペンはいくつかの破片を散らし、タケルの前に転がってきた。
「返してやったんだ。感謝しろ! カスがっ! 気取ってんじゃねーぞ!」
不条理かつ意味不明の台詞を吐くと、ヨッシーはそのままきびすを返し教室を出ていく。
「フンっ!」
小馬鹿にした笑みを浮かべながらも、どこか不満げな態度のカナキが続く。
「女に助けられて、ダッセーなぁ」
タケルに対して悪態をつきながら戸部が場を離れる。少女の顔を確認するようにチラリと目を向け、ヨッシー、カナキの二人からやや遅れて教室を出て行った。
タケルは床に散らばったペンの破片を見て呆然としている。よもや奪われ壊されるとは思いもしなかった。気軽に胸ポケットに差して持ち歩いていたため、嫌がらせの的にされたことに悔恨の念が募る。しかし、壊れてしまった物はもう元には戻らない。物とはいえペンに申し訳ない気持ちでいっぱいになり、涙が出そうだ。
「何? あいつら?」
少女は露骨に嫌悪感をにじませながら三人の出ていった出入り口を見やった後、おもむろにしゃがみ込み、壊され床に散らばったペンの破片を拾い始めた。
「あ……」
タケルは、その行動を見てはたと意識が現実に戻り、自分も目の前に転がる割れ欠けたペンを手に取る。砕けたペンをこのままにはしておけない。
「大丈夫? 怪我とかしていない?」
「……あぁ、うん。」
タケルのことを心配して問いかける彼女。タケルの答えは歯切れが悪い。
(女に助けられて~)
戸部の言葉が頭の中をよぎる。
(やっぱり、ダサいよな……)
どうしようもない悔しさと情けなさ。そして自責の念が、彼の口を重くする。早くこの場を去りたい気分だが、砕けたペンの破片集めを放り出して逃げ出すわけにもいかない。まして、手伝ってもらっているのだ。もどかしさだけが募る。
そんなタケルの気持ちを知ってか知らずか、彼女は矢継ぎ早に話しかけてくる。
「どうして反撃しなかったの?」
責めるような口調ではない。単純にタケルの意思を確認したいだけのようだが、この質問は応える。曖昧な返事すらできずに、彼女から目を逸らすタケル。
反撃する事でさらなる攻撃を受けることへの恐怖心。そして相手に非があろうとも、嫌いでも、傷つける事ができないタケル。男としての弱さ。人としての優しさ。
「三対一だしね。余計に酷いことされるかもしれないし。勝ったとしても相手を傷つけることになっちゃう」
彼女はスッと顔を上げて手元から天井へと視線を移し、初めからわかっているかのように、まるでタケルの感情と人間性を見抜いているかのように、彼が答えられない言葉を口にする。
タケルは黙ったまま、ミリ単位の小さな破片を拾い続けた。
「ごめん。待たせちゃって」
二人がペンの破片を拾い集めていると、もう一人、少女が教室に入ってきた。髪は肩の辺りできれいに切りそろえた前下がりボブ。気品のある顔立ち。制服の着崩しも無い。品行方正を絵に描いたような少女。黒髪ロングの彼女とは、また違ったタイプの美少女。
「あ、委員長さん。大丈夫。そんなに待ってないよ」
黒髪ロングの少女が答えた。
委員長と呼ばれた前下がりボブの少女は、二人の様子や散らばった破片を見て訝しがる。
「……。何かあったの?」
「ちょっとね。嫌がらせっていうのかな。彼のペンが壊されちゃって……」
「ああ、あの三人組か。さっき、廊下ですれ違ったけど……」
黒髪ロングの少女の言葉と、タケルに対する嫌がらせの件を知っている委員長はすぐに状況を理解する。
「しばらく止んでいたのにね。また来たんだ」
委員長もしゃがみ込み、一緒に破片拾いを手伝い始めた。
数分後、拾い集めたられたペンの破片をタケルが机の上に並べ始めたのを見て、黒髪ロングの彼女がポケットからハンカチを取り出し机の上に広げた。
「この上に並べて」
わざわざそんなことまでするのかとタケルは思ったが、彼女の言葉に従い、ハンカチの上に元の形状をなぞるように破片を並べた。
ペンは縦に半分がこそげ落ち内部が露出している状態で、形を保っている部分も亀裂が入っている。残りの半分が大きく欠け粉々に砕けていた。破片を並べてみて、かろうじて元の形がわかる状態といったところか。
「酷いことするなー。人の物を平気で壊す神経がわからないわ」
その言葉には、ペンを壊した行為のみならず、ペンという物に対する慈しみも込められている。
黒髪ロングの彼女は自分と同様の感情を抱いていると、タケルは感じた。そう思ってくれる人がいる。それが少しでも壊れたペンに対する労りになってくれると信じたい。
「ところでさ、タケルくん」
突然に名前を呼ばれたタケルは、一瞬誰のことかと考え込んでしまう。何かの聞き間違い?
「タケルくん!」
もう一度呼ばれ、自分のことだと理解し顔を上げる。彼女も顔を上げタケルを真っ直ぐに見つめている。
「タケルくんって呼んでいいでしょ!」
「えっ?」
彼女の言葉にさらに混乱する。女子に名前で呼ばれたことなどほとんど無いし、そもそも初対面でここまでフランクに話しかけてくる女子も初めてだ。
悪い気はしないので、拒否はしない。
「ああ……。うん……」
中途半端な返事など意に介さず、彼女は話を続ける。
「タケルくんはどうして教室に残っていたの」
「………………なんとなく……」
間を置いて、やはり歯切れの悪い答えを返す。
嫌がらせを止めさせ、ヨッシーの恫喝にも屈せず、逆に追い払った彼女の毅然とした態度。そんな彼女と比べて、ろくに抵抗もできず嫌がらせを受けていた自分の情けない姿を見られて格好がつかない。そんな感情が、劣等感が彼の口を重くする。
「天気も良いし、窓から空を眺めていたかった。ってところかな?」
またしても答えを待たずに、独り言のように呟く。その表情は穏やかだ。
自分の心情を見透かされているようで、なんとも応対に戸惑うタケル。委員長も彼女のタケルに対する態度を不思議がる。
朝礼で紹介された転校生は、休み時間になると女子はもとより男子にも囲まれた。美少女なのだから興味を持たれて当然と言ったところか。そつなく応対し、しかし変に積極的なアプローチを掛ける男子には隙を見せず、昼休みにしつこく付きまとう男子数名に対しては、けっこう冷たくあしらっていた。
嫌がらせ三人組を追い払ったことからも、気が強さを窺い知ることができる。
(彼女、けっこうキツい性格していると思ったんだけどな……)
他の男子に対する態度を思い返すと、タケルに対しては妙に馴れ馴れしい。もともと馴染みなのか? あるいは好意を抱いているのか? そう思うほどだ。
「委員長たちは、どうして教室に?」
ようやくタケルがまともに口を開く。
今は放課後。生徒たちは帰ったか部活動に励んでいる時間帯である。普段なら忘れ物でも無い限り教室には戻って来ないはずだ。
「彼女。鈴木さんを案内していたの。校内のあちこち、ね!」
「鈴木? ……さん?」
「やだなぁ。朝礼の時に、ちゃんと自己紹介したじゃない」
黒髪ロングの少女が身を乗り出し、タケルの顔を覗き込むように顔を近づけ視線を合わせる。
(わっ!)
想定外の顔の近さにタケルは思わず動揺する。整った顔立ちと、真っ直ぐ見つめてくる瞳に、嫌がらせ行為を受けていた屈辱すら忘れてしまう。
先ほど教室に入ってきた時、そして睨み合いの時にもきれいな子だと印象を覚えたが、近くで見るといっそう魅力を感じる。
キツめの印象があったけれど、タケルを見つめる視線は優しい。心奪われたかのように惚けるタケル。
改めて名乗る黒髪ロングの少女。
「今日転校して来た、鈴木レイカ」
「このクラス、鈴木が三人いるからね。レイカでいいよ。名前で呼んで! よろしくね!」
そう言いながら、黒髪ロングの彼女、レイカは満面の笑みをタケルに向けた。
拙作をお読みいただき、ありがとうございます。
プロットを組みながら展開をあれこれと考え込んでしまい、執筆が進まない状況に陥りがちでしたが、細かい所はあまり気にせず、とりあえず完結まで持って行くことを目標に、続きを書きたいと思っています。