VII
そろそろ話が動いてきます。
凛を加えた4人でのささやかな食事会も終わり、涼は凛を学園の寮まで送るために暗くなった夜道を歩いていた。
少し前の話にはなるが、涼が凛を伴って家に帰った時の圭の反応は、驚きのあまり悠とプレイしていたゲームそっちのけであんぐりと口を開けて固まる、というものだった。
しかし、その後突如大笑いをし、きちんと自己紹介をして凛と友達になった。
一方の悠は、初めて家に来た涼の女友達にとても喜び、凛が若干ドギマギしてしまうくらい積極的に話しかけ、帰るときには「また来てね。」と可愛らしくお願いしていた。
さすがの凛もそのお願いを断ることはできず、押され気味の凛の態度を見てニヤニヤしている涼を横目で睨みながら首を縦にふるしかなかった。
凛は上機嫌であることを隠しきれない、弾むような足取りで涼の前を歩く。
くるりと髪をなびかせて振り返ると、綺麗にたたんだ傘の先を涼に突きつけるように持って不敵に笑った。
「悠ちゃんって本当に可愛いわね。涼の妹には勿体無いくらいだわ。」
「賞賛としては受け取るが、俺を同時に卑下するのはやめろ。」
「ふふっ。いいじゃないのそんなことは。」
凛はまた嬉しそうに笑って歩き始めた。
「悠ちゃんをうちの子にできないかしら。」
「人の妹を勝手に取ろうとするな。でも、ああやって凛が素直になってるのも新鮮で可愛いんじゃないか?」
「当たり前でしょう。そんなこと百も承知よ。」
「いや、あのな…。」
「何か問題でもあるのかしら?」
「もういいよ…。特にないよ。」
歩を緩めることもなく、自信満々で言い切る凛に涼は諦めて笑うしかなかった。
「そういえば、さっき聞こうと思っていたのだけれど、あなたのそのダイヤのリングはいつからつけているの?」
「ん?これなら昨日からだけど。一昨日に圭の親父さんからもらったんだよ。」
涼は何気無くその質問に答え、左手に目をやる。
ダイヤの輝きは、夜の暗闇に存在する僅かな光さえも、全てそれが奪い取り、集約したかのような輝きを放っていた。
「それは本当なの?それを一昨日にもらったというのは!」
「落ち着けよ。どうしたんだよいきなり。」
凛は振り向いて立ち止まり、何か見えない物に怯えるように取り乱す。
涼はいきなり凛の態度が急変した理由に思い当たる節はなく、ただただ困惑するしかなかった。
「あっ…。その、取り乱してごめんなさい。でも、1つ聞きたいことがあるの。」
「まぁ、落ち着いたならなんでも聞いてくれ。」
「涼はどうしても叶えたい願いってある?」
「そりゃ叶えたい願いなんていくらでもあるよ。例えば、テストの点で圭を抜きたい!とかいろいろね。」
涼はにっこりと笑い、あくまでも一般的に考えられるとりとめもない願いを口にした。
「そんな簡単ことじゃないわ。どうしても、よ。他人を押し退けてでも、他人の願いを踏みにじってでも、叶えたいと思う願いはある?」
凛の顔はとてもふざけているようには見えず、目も真剣そのものだった。
涼は少し逡巡した後、大きく息を吐くと低く抑えた声で言った。
「どうしても…か。俺は悠が幸せになってくれればそれでいいかな…。一時期は両親をなんとしてでも生き返らせて欲しいと思っていたけれど、それは無理な話だろうしな。」
涼が諦めるように暗く笑う。
凛は涼の家に行った時に1つ不思議に思ったことがあった。
それは休みの日であるのに両親がいないこと。
それだけでなく、明らかに涼と悠の2人以外が暮らしている形跡がないことだ。
しかし、今の涼の言葉だけで凛は全てを悟り、自身の愚かさを呪った。
「本当にごめんなさい…。」
「いや、俺が言ってなかったんだから気にしないでくれ。これももう10年くらい前の話だから。」
「そう…。」
凛はどんな顔を涼に向ければ良いかわからなかった。
彼が怒っているのか、泣いているのか、その表情から読み取ることはできなかったからだ。
涼は苦しみや諦めをない交ぜにした表情で無理に笑顔を作る。
却ってそれは苦しみを痛感させるような表情だった。
「実は俺は圭の両親に育てられたんだ。それに対する感謝の心は今でも持ってる。けど、圭の両親は俺の本当の両親ではない。何度も、本当に何度も本当の両親であってくれたらどんなに良かっただろうか、と考えたけれど…。彼らは俺の両親じゃない。」
涼はそこで一度言葉を切ると、今度は苦しみを感じさせない乾いた笑みを浮かべる。
「本当はな、こんなことを考えてしまう自分も嫌なんだ。」
「そうだったのね…。辛いことを言わせてしまってごめんなさい。」
凛は辛そうな顔をしながら頭を下げる。
しかし、涼は凛に自身の置かれている境遇を伝えておくことは悪いことではないと思っていた。
なぜなら、凛は涼を信じて本当の姿を見せた。
そんな凛を涼が信じないわけがなかったのだ。
「凛もいろいろと告白してくれたしな。まぁ、俺は今は一応幸せだから。何も望むことはないよ。」
「そう。なら良かったわ。」
凛はよく見ないとわからなかったが、恥ずかしそうに目をそらし、涼よりも2歩ほど先を歩いた。
2人とも黙ってさらに5分くらい歩くと、大きな白峯学園の寮が見えてきた。
寮と言っても建物ごと白峯学園が買った普通のマンションであり、門限や制限等は特にない。
正面玄関まで2人は歩き、凛は鍵を取り出した。
「じゃあ、ここまで送ってきてくれてどうもありがとう。」
「ああ。まぁ、特に何をするでもなかったけどな。」
「実は私、誰かと一緒に寮まで帰ったりするのは初めてなのよ。」
「意外だな。誰かに誘われたりとかしなかったのか?」
涼は興味本位で軽く尋ねたが、凛は無表情で首を振る。
「誘われなかったわけではないわ。でも私が嫌だったのよ。なんで男の子ってよく知りもしない女子と帰りたがるのかしら。意味がわからないわ。」
「そりゃ、凛が可愛いから一緒に帰りたいってことだろ。」
「それはわかっているわ。けれど、なぜよく知りもしない女子、いいえ、言い方が悪かったわね。よく知りたくもない女子と一緒に帰りたがるのかわからない。という意味よ。」
凛は自分を褒めるところでは相変わらず表情を変えなかったが、最後には少し不思議そうな顔をしていた。
「まぁ、自分が憧れている存在には、自分の憧れをそのまま押し付けてしまうことが多々あるだろう。そういうことなんだよ。凛も『こうあってほしい。』っていう幻想を押し付けられてたんだろ。」
「変な話ね。好きな相手こそ全部知りたい。と思わないのかしら。」
「それは人によるだろうな。本当の自分を見せるのは普通は怖いんだよ。相手の本当の姿を知れば自分も本当の姿を見せなければならないと思ってしまう。人の心は難しいんだよ。」
「ふーん。そうなのね。じゃあ、また月曜日に。」
「ああ、おやすみ。今日はありがとな。」
「こちらこそありがとう。とても楽しかったわ。」
凛は自動ドアの手前まで歩くと、振り返って見惚れるような笑顔で笑いかけた。
「涼は人ならざる能力がこの世にあるって言ったら…信じることはできる?」
涼がその質問に何か言葉を発する前に、凛は自動ドアを抜け、寮の中へと消えていった。
「人ならざる能力…か。信じてないわけじゃあないけどな…。」
涼がふと見上げた月は美しい満月だった。
今回はここまでとなります。
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