V
涼と凛はお互い言葉を交わすこともなく、土砂降りから幾分か小降りになった雨の中を肩を寄せ、1本の傘を共有しながら歩いていた。
最初から涼が傘を持つと申し出たが、凛は頑として首を縦に振らなかった。
なぜなら、涼が女の子と相合傘をしたことがない、そもそも女の子と一緒に歩いたりした経験があまりないということを凛はこの短時間で見抜いていたからだ。
手慣れた者ならば、雨が降っていない日でも、並んで歩道を歩く時は自然に車道側を歩くものだろう。
だが、涼はそういった経験の少なさから凛の右側を歩き、結果的に凛が車道側を歩くという構図になっていた。
特に凛がそれで気を悪くしたとかそういうわけではなかったが、とにかく凛は傘を譲らなかった。
「なんでわざわざ戻ってきたんだ?いや、こんな言い方は良くないか…ごめん。」
「別に構わないわ。私は特に用事があるわけでもないのよ。」
凛は若干失礼な涼の物言いも、謝罪も特に気にとめることなくいつもの無表情のまま返す。
「実は倉持さんは折り畳み傘を持っていたから、私は彼女の家まで行っていないの。」
「ああ、そうなんだ。…って、は!?いや、え?倉持さん傘持ってたの?そんなことは一言も…。」
涼は1度はその言葉を流したが、どうにも聞き捨てならない部分があり、凛に詰め寄る。
凛は詰め寄られても表情を変える事なくあくまで冷静に返した。
「確かに、傘を持ってるとは言ってなかったそうね。けれど、傘を持っていないとも言ってないそうじゃない。」
思い返してみると、奏は「帰ろうとした際に篝君を見つけたから」という趣旨の事しか言っていなかった。
しかも、凛を呼び止めに行く時に、後ろで何かを涼に伝えようと叫んでいた。
「いや…でも、持ってるなら持ってるって…。」
思い当たる事はあったが、どうしても感情的に納得できない部分もあり、涼は拗ねるように呟いた。
「仮定の話だから真相はわからないけれど、あれは彼女なりの貴方への優しさなのかもしれないわ。」
「は?優しさ?優しさとは少し違うだろ…。」
「それは貴方の観点から見た時の話よ。倉持さんは傘を持っていた。けれど、貴方は純粋な親切心から私に彼女を送って行くように頼み、彼女が知らないところで話がまとまってしまっていた。そこで、貴方の親切心からの行動をすべてぶち壊し、貴方に恥をかかせるような事を言えるかしら?」
涼は凛の言い分を黙って聞いていた。そして、同時に不思議に思った。
ーーなぜこんなにも他人のことを考え、他人の視点でものを見ることのできる人物に友達がいないのかーーと。
「これも仮定の話だけれど、倉持さんにとって貴方がどうでもいい人なら、そこで傘を持っていることを素直に言えたかもしれない。けれど彼女は貴方に恥をかかせたくなかったらああいった行動に出た。その気持ちくらいは理解できるでしょう?」
「いや、まぁ行動については理解できるけど、倉持さんの努力を坂井さんが全部無駄にしてないか…?」
「あら、そうね。でも気にしないで。貴方が倉持さんに言わなければいい話だから。」
凛は少し目を丸くしたが、すぐに元の表情に戻りなんでもない事のように言ってのける。
「はぁ。でもすごいな。倉持さんもすごいけど、坂井さんもすごい。俺は自分のことしか考えられていなかったんだな…。」
涼は2人の少女の人を思いやる気持ちに素直に心を打たれ、少し笑いながら濡れた前髪を左手でかき上げた。
すると凛は歩みを止め、涼の左手を凝視した。
いや、正確に表すならば左手の中指を凝視していた。
「あ、あなた…もしかして…でも…そんな…。」
凛は先ほどの無表情から恐怖に緊張したような顔になり、狼狽えた。
「ん?どうしたんだ?新手の嫌がらせか?」
凛が立ち止まったことにより、歩き続けていた凛の傘の下から外れ、涼はそのまままた雨の中へと突っ込むことになる。
乾き始めていた服はまたもや雨に濡れ、重みを増した。
しかも、涼が凛の傘の中へ戻ろうとすると、凛が後ずさるように逃げてしまうため、ビニール袋の中身まで濡れてしまっていた。
「いやいや、坂井さん?俺はまだしも、食材が濡れるから!ビニール袋に水が溜まるから!傘に入れてくださいよ!」
涼が極力下手に出てお願いするが、凛は何かを警戒しているような構えを見せたまま涼と睨み合っていた。(全く涼は睨んではいない)
「ええ…そう…なら安心ね…。」
しばらく経つと聞き取れないような小声でぶつぶつと話していた凛は突然警戒を解き、涼を傘の中へと迎え入れた。
「いや、なんていうか坂井さんがわからないんだが…。」
またもやびしょ濡れになった前髪をかきあげ、ビニール袋の中身を確認する。
「私のことを知りたいの?惚れたとかそういうのならやめてね。」
「俺が今坂井さんのどこに惚れる要素があったんだよ…。」
凛は相変わらずの無表情でとんでもないことを言ってのけた。
「私が研究の時に話している時に、誰かは知らないけれど隣から妙に熱い視線を感じたの。しかも次の日も妙にチラチラ見られてるような気がして…勘違いだったかしら?」
涼は自分が無意識に行ってしまっていた行動まで凛が気付いていたことがわかり赤面する。
「あー…なんでそんなことわかってんだよ。あれか?自意識過剰か?」
涼は半ば認めるような形で苦しい言い逃れだとは思っていたが、凛に対して何気なくからかうような言葉を返す。
しかし、凛はそれを真面目に受け取った。
「そうね。そう思われても仕方ないだけのことをしている自覚はあるわ。でも、誰とも関わらないようにするなんて、誰よりも周りに敏感じゃなければ出来ることじゃないのよ。それが貴方にはわかるの?」
その毅然とした態度に涼は言葉を失う。
少しからかおうと思った程度のことであっても、人によっては大きく傷ついたり、感じ方が違ったりする。
それは当たり前のことだ。
なぜなら、自分が感じるのと同じように相手も感じるわけではないからである。
「すまなかった。坂井さんを侮辱しようと思ったんじゃない。俺は確かに坂井さんをずっと見ていた。坂井さんのことを知りたいと思った。もっと話したいとも思った。そして、強くて美しいと思った。」
涼が話し続けていても、凛は顔を前方に固定したまま表情を変えずに歩き続ける。
「そして、それを坂井さんに見抜かれていた。それが1番恥ずかしくて…それを隠すために軽はずみな気持ちで言ってしまったんだ。ごめんなさい。」
涼は立ち止まって頭を下げた。
同級生に頭を下げて謝る人などあまりいないだろう。
今までの涼自身もそうであった。
しかし、今の涼は真摯に謝罪の意を込めて頭を下げていた。
「別に気にしていないわ。その代わり、少し話を聞いてもらえるかしら。貴方、私のこと知りたいんでしょ?」
凛は振り返り、涼を一瞥すると傘を畳み、また歩き始める。
涼は恥ずかしそうに笑うと、慌ててその背中を追いかけた。
雨は、いつの間にか止んでいた。
今回はここまでとなります。
書いていると、どのようにするのが読みやすいのか、というのがたまに気になります。
もし、「こう変えたほうがいいよ。」とか意見があるなら、言っていただけるとありがたいです。
では、お読みくださりありがとうございました。
また、次回も読んでいただけると幸いです。