IV
たとえ天気予報では晴れだと報じられていたとしても、やはり6月の空は信用できないものだ。
誰ともなくそう呟いた涼は、スーパーの軒下でビニール袋を片手に呆然と立ち尽くしていた。
家を出る時は雨が降る気配など全く感じられないほどの快晴だったはずの空は、今はどんよりと雲がカーテンのように覆い、涼の心中を代弁するかのように土砂降りの雨を地上に降り注いでいる。
暫く待ってみても雨は弱まる気配すらなく、ただ雨粒がコンクリートを打つ音だけが辺りには響いていた。
「折り畳み傘なんか持ってないからな…。仕方ない。走って帰るしかないか…。」
涼が覚悟を決め、スーパーの軒下に置かれたベンチから腰を上げたところで、後ろから女の子の声がした。
「あら?篝君じゃんー。お菓子でも買いに来たのかなー?」
軽い調子で声をかけてきたのはクラスメイトの倉持 奏だった。
「こんにちは倉持さん。俺は今日の夕飯のための買い物だよ。」
涼は奏の方を振り返り、手に持った袋を軽く掲げて見せ笑う。
奏もそれに応じるように手に持ったトートバッグを掲げた。
奏はそのまま涼がさっきまで居たベンチの反対の端っこに座る。
「篝君って料理得意なの?というか、寮生じゃないのに自分で夕飯作ってるの?」
涼の両親が既に他界しているということは一部の人しか知らない事だ。
クラスメイトという括りで考えるのであれば、圭以外に知っている人はいない。
同情をされるのも、憐憫の情を抱かれるのも受け手としては屈辱でしかないと考えていたからだった。
「いや、料理は得意だけど…休みなのに親がアレでさ。」
涼は自身でも何を言っているのかよくわかっていなかったが、意味不明な言い訳で誤魔化す。
「ああ、そうなんだ。それはそれはお休みなのに大変なことで。」
純粋な奏は少し不思議そうな顔をしたが特に深くは追求せず、納得するように2、3回頷いて笑った。
「で、倉持さんこそどうしたの?」
涼はベンチへと座り直しながら尋ねた。
「私は家結構すぐなんだよね。でも、帰ろうと思ったところで雨が降ってきて、どうしようかなーって思ってたら篝君を見つけたってわけ。ちなみに私はお菓子を買いに来たんだよ。」
「ああ…そういうことか。こんな時運良く誰か傘を持ってる知り合いでも通りかからないかな…。」
「寮に住んでる子はこのスーパーじゃなくて反対側のところ行くから結構難しいんじゃないかな…。」
涼の少し無理がある願いに、奏は残念そうに眉根を寄せる。
白峯学園の寮は学園の近くにあるのだが、涼や奏の家とは学校を挟んで逆方向に位置しており、その位置関係上、寮生がこのスーパーに通うことは期待できなかった。
「やっぱり濡れて帰るか…。」
「えっ!?いやいやこの中濡れて帰ったら流石に風邪ひくよ?」
涼がため息とともにこぼした言葉に奏は驚いたような声を上げる。
「いや、でもこのままだといつまでも帰れない気がするんだが…。」
そう諦めるようにつぶやいた涼がなんとなく巡らせた視線の先に、傘をさして歩く美しい金色の長髪の少女が目に留まった。
「ねぇ倉持さん。あれって坂井さんだよね?」
涼はベンチの背もたれに身を預け、天を仰いでる奏に尋ねた。
「ん?んー…あの綺麗な金髪と背の高さは間違いなく坂井ちゃんだね。でも、私坂井ちゃんに話しかけたことないんだけど…。」
奏はすぐに凛だと気付いたが、普段はクラスの元気印の彼女でも、声をかける事に尻込みしてしまうような雰囲気を凛は纏っていた。
「だけどさ、傘がなくて風邪をひいてしまうのと、ここで話しかけることによって、もしかしたら新しい友達を獲得しつつも濡れないで帰ることができるのと、50%50%の可能性、どっちがいい?」
「あのさ、なんで拒否される可能性を計算に入れてないの?風邪をひく、友達を獲得する、風邪をひきつつ友達を獲得することもできない、の3つの結果があるよ。」
涼のいい加減な算段に奏はすぐに手を振り笑いながら抗議する。
しかし、涼は奏がなんと言おうと自分の中で既に話しかけることを決めていた。なぜなら、凛の存在が気になるからだった。
討論の時に凛が見せた表情、主張、美しさ、その全てが気になっていたからだ。
これが恋というならば、見方によってはそうかも知れない、けれど少なくとも涼自身は恋だとは思っていなかった。
「ここで不毛な議論を続けてても仕方ないから、俺ちょっと行ってくるわ。この袋お願いっ!」
涼はそう言うやいなやベンチから立ち上がり、土砂降りの中へと駆け出した。
「ちょっ!篝君!」
取り残された奏が慌てて何かを叫ぶ。
しかし、既に雨の音の中に突っ込んだ涼には全く聞こえていない。
涼はスーパーの駐車場を一直線に駆け抜け、歩道を歩く凛の前へと躍り出た。
「こんにちは。坂井さん。もしよかったら傘に入れてくれないかな?」
凛は立ち止まり表情を変えずに雨に打たれる涼をただ眺める。
透き通るような碧い瞳が涼の姿を捉えて離さない。
「あの…坂井さん?」
涼がもう1度声をかけると凛は涼に近づき、何も答えないまま傘の中へと涼を入れた。
「あ、ありがとう。でも、本当に入れて欲しいのは俺じゃなくて、あそこにいる倉持さんなんだ。」
涼がベンチを指差すと、凛はそちらを向いて少し考えるような表情をする。
「別に構わないわ。」
凛はそう一言だけ言うと、涼とともにスーパーのベンチに向けて歩き出した。
「いやー、篝君がこんな軟派だとは思わなかったよー。びっくりびっくり。」
ベンチへと戻った涼に対して奏はひどい言いがかりをつけた。
「いやいやちょっと待て。俺がここに戻ってきたのは袋を取りに来たんじゃなくて、倉持さんを送って行ってくれるように坂井さんに頼んだからだぞ。」
涼が呆れながらも理由を説明すると、奏は驚いた顔になり、涼に詰め寄った。
「は!?本当に!?篝君って最高だね!いやー、本当はわかってたんだけどなー。なんていうか照れ臭くてね、ああいったこと言っちゃったってわけ。うん。」
奏は自分のためだと気付くとすぐに白々しい言い訳をつらつらと並べ立てる。
涼はそれを呆れた顔で聞き流し、結局は自分は雨がやむまで待つと言って、奏と凛の帰りを見送った。
奏は最後まで「本当だからね?」などとふざけていたが、最後にはきちんと涼にも凛にもお礼を言い、凛と相合傘で去って行った。
土砂降りの雨はそのまま待っていても少しも弱まる気配がなく、涼が最初にベンチに座ってから既に30分以上が経っていた。
その間の涼は、新からもらった左中指に光るリングをしげしげと見つめたり、携帯でゲームをしたりと無意味に見えて本人には少し有意義だったりする時間を送っていた。
「まだいたのね。ほら、早くしなさい。」
冷たくも透き通るような声で呼びかけられ、涼が携帯から顔を上げると、視線の先には傘をさした無表情の凛がいた。
今回はここまでです。
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