II
文化祭直前ということもあり、クラス内は熱気とやる気で満ちていた。
文化祭の前日は始業式の予定があり、文化祭の準備活動は原則禁止であるため、実質準備に使うことができる時間は今日を含めてあと2日しかない。
しかし首尾よく実行委員たちがサポートしてみんなを先導したお陰か、衣装や料理の準備は既に整い、あとは教室の内装を残すのみとなっていた。
しかし、なぜこんなに生徒達が活気に満ちているかというと当然女子達のメイド服姿を心待ちにしている男子の迸る熱い思いもあったのだが、一番大きな理由は利益を出すためである。
高校生が文化祭で出せる利益などたかが知れている。だが、それを打ち上げに使うもよし、平等に分配するもよし、といった具合に生徒たちは、頭の中では取らぬ狸の皮算用をしていたのだった。
涼はといえば、大きな仕事は当日にしかなかったためか教室内に充満する活気を避けるように隅っこのパイプ椅子にだらしなく腰掛け、大きな欠伸をしていた。
「お前、実行委員なら少しは働けよ。」
「俺がいてもいなくてもあんまり変わらないと思うぞ。」
圭が苦笑いをしながら苦言を呈したが、涼はどこ吹く風でまた大きな欠伸をした。
「お前なぁ…そういう思いが周りに伝播するんだぞ。」
圭は涼の全く悪びれる様子のない態度を見て真剣な顔つきに変わる。
「それもそうだな。俺が悪かった。」
涼は大きく伸びをすると立ち上がった。
実は圭は怒るとものすごく怖い。
今まで涼は何回も怒られてきていたが、彼は涼を信頼しているがために苦言を呈したり、批判したりすることに全く容赦がない。(たまに殴る)
強い信頼関係がなければこんなことは友達同士でも難しいことではあるが。
「にしても…看板の絵、すごく綺麗だな。メイド喫茶全く関係ないけど。」
「俺もそう思ってた。綺麗なのは綺麗なんだけどな。誰が描いたんだ!って問い詰めたいくらいだ。」
「いや、俺たち作業しているところまで見てたじゃん。」
「いやそれもそうなんだけどね。なんかイメージと合わないと言いますか…。」
それもそのはず、2-Aのメイド喫茶の看板には何故かリアルな鯨の絵が描かれており、海を表現している青い余白には店名である「シーサイド」と白い文字で書かれていた。
2人はしばらくニヤニヤしながら看板を眺めていたが、突如背後に生じた殺気にも似た気配に真顔になる。
「何?なんか文句でもあるのかしら?」
「いやいや、何もないですよー。」
殺気の発生源である凛がキッときつい目で涼を睨む。
蛇に睨まれた蛙になってしまった涼はそそくさと逃げ出し、教室の窓拭きに加わった。
圭は相変わらずの2人に肩すくめて笑うと、自分も凛に睨まれる前に机のセッティングの監督を再開した。
凛はそのまま圭の近くの椅子に腰掛けて、足を組んだ。
「にしても、柳君の家にレイラが養子として…ね。なかなか面白いじゃない。」
「坂井ちゃんはレイラと仲が良いのか?」
「仲が良いってわけじゃないけれど、多分仲良くできそうね。」
「ふーん。そうなんだ。…あっ、それはもうちょっと左の方がいいかな〜。」
圭は指示を出しながら喋り続ける。
「でも、俺はもっと坂井ちゃんと気が合いそうな人を知ってるぜ。」
「悠ちゃんかしら?もう悠ちゃんとは仲が良いと思うのだけれど…。」
「いやいや、それが違うんだなー。」
圭はニヤリと笑いながら立てた指を左右に振った。
その芝居がかった仕草に若干イラっとした凛は無言で冷めた視線を圭に向ける。
「あぁ、すみませんね。ふざけたわけじゃないんですよ。」
「で、誰なの?」
「生徒会長。名前はね…佐倉…なんたらとかいう人。」
「生徒会長がどうかしたのー?」
凛が驚きで言葉を発せなかったところに、華が凛に後ろから抱きつきながら話に割り込んだ。
彼女は無類の生徒会長好きとして、生徒会長の関連の話題には異常に食いつきが良かった。
「いや、俺は佐倉会長と坂井ちゃんが気が合いそうだなーって思ったからそう言っただけ。」
「佐倉会長と凛ちゃんが?んー…そうなのかな?」
「私はあり得ないと思うわ。大体何?あんな人気者と私が気が会うわけがないじゃない。」
「いやそれなんか卑屈…。」
凛は首に回された華の腕を力ずくで引き剝がしながら冷たく笑った。
凛のブレない態度に圭は呆れたように笑うと、その場を離れ自分も机の最後のセッティングに加わりに行った。
「いくら凛ちゃんでも会長をバカにしたら許さないよ!」
華は凛の隣の椅子に正座で座ると、凛の方に身を乗り出し、眼前で鼻息荒く抗議した。
「別に生徒会長を貶しているつもりはないわ。思ったことを言っただけ。気に障ったならごめんなさい。」
「あ、そうなんだ。こっちこそごめん。でも、なんで気が合わないと思うの?佐倉会長は優しい人だと思うし、友達もかなり多いよ?」
「だからよ。誰とでも合う人なんているわけ無いじゃない。そういう人は私みたいに極端に尖ってる人とは合わないものよ。」
「そうなのかなぁ…?」
「そういうものよ。」
子供のように首をかしげる華に凛は慈しむように笑う。
華もそれにつられて笑うと、凛はその間に立ち上がって涼のところへと行ってしまった。
圭と凛が生徒会長の話をしたお陰(せいとも言う)で華は、最近の楓が何か悩みを抱えているように感じたことを思い出した。
実は、華は文化祭の準備期間が始まった時からこの機会に楓との距離を縮めようと1人で勝手に意気込み、校内で会った時は必ず挨拶、会議が終わったら必ず挨拶、というように少しでも印象に残るよう頑張っていた。
しかし、最初からリストで確認していたのか楓は自己紹介をする前から華の名前を知っていたし、特段気にかけるでもなくただの後輩として扱ってくれていた。
「やっぱり私じゃダメなのかなぁ…。」
「何が?」
思わず溢れた言葉に机のセッティングを終えてきた圭が目ざとく反応する。
「いや、なんでもないよ。」
「ふーん。まぁ、別に良いけど時には自分の気持ちを素直に伝えることも大切だと思うよ。」
「急にどうしたの?というかなんの話かわかってるの?」
「いや、わからないけど。」
「もう。また適当なこと言ってー。」
華が少し拗ねるように顔を背けると、圭の目は何かに閃いたかのように輝き始めた。
「もしかしてー、恋の悩みかな?」
「もう!なんでそうなるかなー?」
「え?だって。」
圭は顎をしゃくって教室の全体を示した。
不思議に思った華が怪訝な視線でクラスを見回すとなんとなく良い雰囲気になっているクラスメイトが何人か確認できた。
確かに、例年文化祭などの大きな催事の前には学園全体が浮ついた雰囲気になり、それをきっかけにして付き合い始めたり、ぐっと距離が縮まったりする人達はいた。
だが華はその内に数えられる人物ではなかった。
「いや、確かにそういう人は何人かいるけれど。柳君から見て私ってそういうタイプに見える?」
「いや、全然。」
「そうだよね。ならよかったー…ってじゃあなんで茶化したの!?」
「なんか深刻そうだったから気分が和むかなーって思って。」
「ふふっ。ふふふふふ。」
「いきなり笑い出してどうしたんだ?」
「いや、柳君ってすごく優しいんだね。」
笑いすぎで潤んだ目元をぬぐいながら華は微笑んだ。
圭は頭を掻きながら恥ずかしそうに視線を逸らす。
それを見た華は優しい微笑みから悪戯っぽい笑みに表情を変えた。
「というかさ、そんなこと私に言えるのかな?」
「は、はぁ?なんの話だよ?」
「ふっふーん。焦っちゃって。柳君だって自分に素直になれてないんじゃないのー?しかもせっかく悠ちゃんとデートしたのに何もしなかったんでしょ?」
「俺の場合、事情が事情だからな。」
「まぁそれはわかるんだけどさぁ…。」
「だよなぁ…。って、え?なんで?」
「え?なんでって……あっ!」
華はしまったと言わんばかりにハッとした表情で口をつぐんだが、時すでに遅し。
できることなら数秒前の世界に戻りたいと切実に願った華であった。
表情は笑っているのに目が全く笑っていない圭は立ち上がり、座ったまま動けない華にゆらりと一歩近づいた。
「涼かな?涼から聞いちゃったのかな?」
「…………。」
底冷えするような声に、華は今度は恐怖によって潤んだ目で頷いた。
決して彼女の本意ではない。
恐怖と動揺が彼女にうなずく以外の選択肢を与えなかったのだ。
華が肯定するのを確認した圭は無言でそのまま涼のところへと去って行く。
華は心の中で涼への謝罪を何度か済ませ、目をつぶって手を合わせた。
「なぁ、いいんちょー!これどうすればいい?」
「んー?どうしたの?」
今しがた謝った事を3秒後にはもう気にしていなかったが。
今回はここまでとなります。
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