XVII
爽やかな朝、涼と圭、凛、レイラの4人は学園の屋上で圭が買ってきたジュースの缶を傾けていた。
「なんかそういう格好似合わないな。」
「放っておけ。」
「まだ慣れていないからそう感じるだけよ。私は似合っていると思うわ。」
「あ、ありがとう…。」
レイラが大人しい格好で、しかも首から入校許可証を下げている絵面は涼にとって可笑しくもあり、嬉しいことでもあった。
「で、話ってなんだ?なんか大事な話とか言ってたが…坂井ちゃんと付き合ってるとかなら驚きもしないぞ?」
「違うって言ってるでしょう。そんなつまらないことを言っているから悠ちゃんにも振り向いてもらえないのよ。」
「ゴホッ!?」
凛の強烈すぎるカウンターに圭はジュースを吹き出しそうになり咳き込む。
涼は咎めるような視線を凛に向けたが、凛は悪びれもせずに冷たい視線を真正面から返した。
「いきなり本題に入ることになって悪いが、圭は人ならざる能力がこの世にあるって言ったら信じるか?」
「信じていないわけじゃないけど、少なくとも懐疑的ではあるな。当然、あると証明できるのなら信じるけどさ。」
「ならこれでしんじられるか?」
涼はいきなり掌に蒼炎を出現させる。
圭はあまりに非常識な出来事に言葉を失った。
しかし、圭以外のそこにいる者は誰も表情1つ変えず、まるで当然のことのように受け入れているという非日常が存在していた。
「それ、手品でもなんでもないのか?」
「ああ。これが人ならざる力だ。凛。」
涼が凛に目で合図すると、凛はこくりと頷く。
今度は凛が手に持っていた空き缶を、手のひらから宙に浮かばせた。
手のひらから吹き出した風で長い金髪がゆらゆらと揺れ、本当に現実とは思えない美しさを見せた。
「マジかよ…。どういうことだ?レイラも何か関係しているのか?」
「ああ。話せば長くなるが…セフィロトの樹って知ってるよな?」
「おう。旧約聖書の話だな。10個のセフィラがあるんだっけ?」
「そうだ。ケテル、コクマー、ビナー、ケセド、ゲブラー、ティファレト、ネツァク、ホド、イェソド、マルクトの10個。それに加えてダァトという隠されたセフィラもある。」
「それなら調べたことがあるぜ。」
圭は気になったことはすぐ調べる性質であるため、大体のことはよく知っている。
「それぞれに守護天使がいるだろう。俺はその中の1体と契約して能力を得た。」
「んん?話がいきなり飛んだな。つまり、天使というものはこの世に実在するってことか?」
「俺が知っている限りではそういうことになるな。」
「へー…。」
圭は驚いた表情のまま間の抜けた声を出す。
だか、涼がするべき話はただのファンタジーの世界のことが現実で起こり得るということだけではない。
どうやって能力が使われてきたか、これからどう使っていくか、それに伴うリスクを説明する必要があった。
「これはただの前置きだ。前、俺は圭にどうしても叶えたい願いはあるかと聞いたよな?」
「ああ。まぁそんなに大それたことを言ったつもりはないけど。」
「それはわかっている。この能力は願いによって手に入れたものなんだ。強く、自分の命を懸けることができるほどに強く望みを抱いた者がこの能力を得ることができる。」
「能力を得たからって願いが叶うってわけじゃないだろ?」
「話が早くて助かる。この能力は他人を倒す、端的に言うならば殺す手段として存在している。」
「……。そりゃ、天使はセフィラの数だけいるんだよな…。そいつらで競うってわけか。」
「その通りだ。願いを叶えるためには自分が最後に1人で生き残るか、他の全員の能力を失わせなければいけない。」
「わかりやすく生存競争ってわけか…そうなって当然か。」
圭は今の話を信じたくはなかった。
だから凛に視線で問いかけた。
しかし、凛は悲しげに視線を伏せるてしまう。
それは涼の話が真実であることを告げているのと同義であった。
「願いを叶えるためならば、人間は簡単に理性を失う。実際にレイラも、凛も最初は俺を殺そうとした。」
「…………。涼は何を?」
「ん?なんだ?」
「お前は何を望んだのかって聞いてんだよ!」
圭はおもむろに立ち上がり、涼の襟首を掴んだ。
興奮で涼の顔に唾が飛ぶ。
だが2人ともそんなことは気にしていなかった。
「お前は、今の暮らしに何か不満があるのか?なぜ俺に何も相談してくれなかったんだ!?答えろよ!」
襟首を掴んだまま涼を強く揺する。
レイラが止めに入ろうとしたが、涼はそれを手で止めた。
しかし圭には許せなかった。
少しでも悠に家族を失うリスクを背負わせてしまうことが。
「俺は何も望んではいない。」
「じゃあなんで契約なんてしてんだよ!」
「俺は巻き込まれただけだ!自分から望んで契約なんてしていない!」
「そんな言い訳が通用するかよ!お前にもしものことがあったら!どれだけ悠ちゃんが悲しむのかわかっているのか!」
「それはわかっている!俺だって今すぐにでも逃げ出したいと思ったこともある!けどな、俺は凛やレイラを助けたいとも思ったんだよ!」
2人は取っ組み合いの喧嘩のようになっていた。
レイラは成り行きを見守ることにして、冷めた目でそれを眺めていた。
凛は男同士の激しい言い合いを目の当たりにしたのは初めてであったため珍しくオロオロしていた。
「お前はお人好しか?お前にとって1番大切なものはなんだ!家族だろ?なんで自分を省みない?」
「悠はこの世で1番大切だ!けどな、他の苦しんでいる者を見捨てる理由にはならない!」
「…自分の限界も知ることも大切だ。どんなに力を持っていたとしても全てを守りきることはできない。」
「そうならないようにやっているんだ。」
「間違ってるとは言わない。けど、感情的にはお前のやっていることを俺は認められない。」
「………。もしも俺に何かあったら、悠のことは頼む。」
「っ!?」
反射的に圭は涼の顔を思い切り殴った。
それを言われるのだけはどうしても許せなかったのだ。
涼は頬を抑えながらゆっくりと立ち上がる。
「2回目か…。やっぱり痛いな。」
「お前…。ふざけるのもいい加減にしろよ。」
「俺は死なない。いや、死ねないよ。信じてくれとは言わない。けど、お前は言ったはずだ。"本人が望むならチャンスは与えられるべきだ"って。」
「そうだな。確かにそう思うよ。」
「なら、凛やレイラにチャンスが与えられるのを、お前は認めなければいけない。彼女達は願いによる救済を求めた。しかし、それは同時に他人を傷つけることを義務付けられたようなものだ。」
「……だから?」
「自分の願いを叶えるために他人を傷つけていいなんて道理はない。そこから救われて、別のチャンスを与えられることをお前は否定できないだろう?」
「………。確かにそうだ。」
「感情的に納得できないのはわからないわけじゃない。けど、俺は知ってしまった以上見逃したくはない。」
「ならもう俺は何も言わない。けど、これだけは約束しろ。1、死なない。2、他人を傷つけない。3、拾うか捨てるか判断すべき時はちゃんとしろ。」
「だけって言いながら3つじゃねぇか。」
「それくらいやらないと気が済まないからな。殴って悪かった。」
「別に構わない。逆に目が覚めたよ。」
「一件落着というわけか。良かったな。」
レイラは空き缶をにこやかに握りつぶし、ゴミ箱へと投げ込んだ。
「圭、取り急ぎやって欲しいことがある。」
「なんだ?」
「レイラに日本語を教えてやってくれ。」
「?もう喋れてるじゃねぇか。」
「あれは魔力によって出来るようになってるだけだ。常時能力を使い続ければ、敵にはバレてしまう。」
「ずっとここにいるよって信号送ってるみたいなものか?」
「まぁそう思ってもらって構わない。とりあえず、彼女にはお前が必要だ。」
「はいはい。わかりましたよ。」
系は呆れたように大きくため息を吐くと、レイラを伴って屋上を出て行った。
これから職員室に向かい、色々手続きをしなければならなかったからだ。
涼が圭に話すという試練を終え、緊張の糸を解くように大きく息を吐いた。
空からはさっきまで忘れていた陽射しが容赦無く照りつける。
何も喋らなかった凛にふと視線を向けると、凛は悲しそうな目で涼を見ていた。
「怖いの?」
「何が?」
「全てよ。このことにまつわる全て。」
涼は表情を崩して笑う。
どうしても言葉出して認めることはできなかった。
しかし、その笑みは肯定を意味していた。
彼は今まで1人で戦ってきた。
この戦いにおけることではない。
社会の全てに対してだ。
弱みを見せず、誰にも頼らず、常に明るく振る舞う
どんなに難しいことか。
どんなに辛いことか。
「怖くはないよ。俺は怖いなんて言えない。始めたのは俺だから。」
「でも、逃げ出したいって言ってたよね?」
「忘れてくれ。もう立ち止まることはできないんだから。」
涼はゆっくりと踵を返すと、屋上の扉に向かって行く。
しかし涼はドン、と後ろから衝撃を受けた。
「振り返らないで!」
凛は後ろから涼に抱き付いていた。
それは優しく、弱々しかった力ではあったが凛の鼓動は涼にも聞こえていた。
涼は無理に振り払うことはせずに立ち止まった。
「あ、あー…できれば離れてくれると嬉しいんだが。」
「これは、そういうのじゃなくて、…その、涼も弱みをもっと見せてもいいのよ。貴方には味方も、理解者もいる。全てを1人で背負わないで。」
「そんなに簡単にはいかないよ。変わるというのは怖いものなんだ。」
「それでも!努力だけはしてみて。」
「……考えておくよ。」
「そう。」
凛は涼の腰に回した腕を解いた。
そして涼は振り返らずにそのまま屋上から出て行った。
いや、振り返れなかったというのが正しいだろうか。
涼の顔は緊張と嬉しさで真っ赤に染まっていた。
屋上に1人残された凛はベンチに力なく寝そべった。
「これは暑さのせいよ…。そう、暑さのせい。」
彼女の顔もまた、羞恥で真っ赤に染まっていた。




