XIII
「んっ……。」
レイラは寝ぼけ眼をこすりながら身を起こすと、自分がベッドの上で寝ていたことに気づいた。
いつもの安物の硬いベッドではなく、柔らかく、寝心地の良いベットであり、明らかに自分の部屋に置いてあるそれとは違った。
「ああ…?」
自分の身体を見ると、戦いによってつけられたはずの傷や破れた服がまるで夢だったかのように綺麗になっていた。
部屋はギターや本棚以外のものはあまり無い殺風景なものだった。
レイラはベッドからはね起きると、ドアを開けて廊下へと出る。
「起きたのか。」
「お前…っ!!」
そこには菜箸を持った涼が立っていた。
レイラはすぐに後ろに飛び戦闘態勢を取り、いつもはナイフを装備している右太腿あたりに反射的に手をやってしまう。
しかしレイラはそこで自分が魔力を使えなくなっていることに気づいた。
「カガリ、私に何をしたんだ?」
「レイラの契約を解除し、宝石を奪った。」
それを聞いた途端レイラは鬼のような形相で涼に飛びかかろうとした。
「やめとけ。」
しかし声と共に眼前にアメルが現界する。
「アメル…お前、なんで裏切ってんだ?」
「裏切り?なんのことだ?」
全く表情を変えないアメルにレイラは奥歯を鳴らす。
「1つ勘違いしているようだが、俺は神の後継者になりたいだけだ。天使と人間の契約関係などただの利害関係の一致でしか無い。お前が負けた今、俺がお前にこだわり続ける理由がどこにある?」
レイラは何も言い返せなかった。
代わりにレイラの両目から静かに涙が溢れ、頰を伝って床を濡らす。
「私は…負けたのか…。」
アメルは何も言わずに虚空へと溶けていった。
「カガリもなんで私を生かしている?さっさと殺すのが普通だろ。」
「少しこっちに来い。」
涼はそれだけ言うとリビングへとレイラを招き入れる。
レイラをテーブルに座らせ、目の前に食事を並べた。
「なんのつもりだよ?」
「いいから、少し付き合ってくれ。」
レイラはつかみどころのない涼の態度にイライラが頂点に達し、置かれたフォークを手に取り涼の眼前に突き付けた。
「質問に答えろよ。なぜこんなことをする?」
「俺はレイラを殺したくない。故郷を救いたいと願うなら、真っ当な方法でそれを成し遂げるやり方がある。俺はその道を見つけて欲しいだけだ。」
「そんなことを頼んだつもりはない。」
レイラはフォークを下ろし、椅子に座りなおしてカレーを一口食べた。
「けど死んだら終わりだろ?お前は既に2回命を失っているに等しい。別のやり方でやってみてもいいんじゃないか?」
「それは何年かかる?」
「わからない。」
「金は?」
「なんとかするように…考える。」
「計画性がまるでないな。」
「それは…だがお前のやり方でも計画性などなかっただろうが。」
「命を対価にしていたからな。失敗は計画の終わり。はっきりしていてわかりやすいだろ?」
レイラはクルクルとスプーンを回す。
当然だがスプーンについたカレーが飛沫としてテーブルを汚してしまう。
「行儀が悪いぞ。」
「行儀なんて教えてもらったこともないからな。」
レイラはなんでもない事のように言う。
涼は感覚の違いを感じていた。
「…………。俺は、レイラは学校に通って色々なことを学ぶべきだと思う。」
「ほう。それでどうするんだ?」
「力による改革は多くの犠牲を出す。だが社会を平和的に変えていくことは可能だ。時間はかかるし、多くの知識が必要だけどな。」
「それを私にやれと?」
「そういうことだ。」
レイラは呆れたように笑うと空になった皿の上にスプーンを音を立てておいた。
「現実的じゃねぇな。適当に言ってるだろ?」
「現実的になるかどうかはこれからの努力次第だろ。」
涼は自分とレイラの皿を重ね、流しへと持っていく。
「カガリ。お前は何もわかっていない。」
「何がだ?」
「今まで私が殺してきた者に対する償いはどう折り合いをつける?私は自分が故郷を救うことを理由に彼らを殺してきた。今私には力がない。故郷を救うことはできないかもしれない。」
「…………。」
「お前は許せるか?例えそいつが犯罪を犯していようとも家族を誰かに殺されるんだぞ?」
「それは……。」
「許せないだろ?確かにお前の言うことは正しいかもしれない。けれど、私はもう引き返せないところまで来ているんだよ。」
涼は何も言えずにレイラを見ていることしかできなかった。
彼女はどこか自嘲するように笑い、表情には暗い影を落としていた。
「それにしても、お前も1人暮らしなのか?にしては広すぎるが。」
「いや、妹と2人暮らしだ。今日は友達の家に泊まりに行っている。」
「親はどうした。」
「俺の親は小さい頃に亡くなっている。」
レイラは一瞬驚いた顔をする。
「なぜこんな平和な国でそんなことになるんだ?病気か?」
「交通事故だった。だからと言ってはなんだがレイラの苦しみの一部分くらいはわかってやれる。けど、人を殺すのだけは許せない。」
「お前は生まれがこの国だからそんなことが言えるんだよ。殺すか殺されるか。私達は欧米の奴らに立ち向かうために武装し、奴らは私達を抑えつけるために軍を送る。戦いは泥沼化し、国内でもテロが起こる始末。こんな国の中では人を殺さないとやっていけない部分もあるんだよ。」
「結局お前は人を殺したことについてどう思っているんだ?」
「仕方ないと思ってるよ。多数を救うために少数を犠牲にしたんだ。だが、今の私では多数を救うことは難しい。だからどう折り合いをつけるべきかと言ったんだ。」
「前も言ったが、命に数的な優劣は存在しない。多かろうと少なかろうと人を殺すのは良くない。」
「じゃあなんだ?一生をかけて償うとでも言えば良いのか?」
レイラは苛立ちを隠さずに椅子をガタガタ揺らす。
「お前はまだ死んでいない。時間をかけてでもお前が故郷を救うのが最善の償いだ。」
その後レイラはしばらく涼の出したお茶とにらめっこしたまま動かなかった。
涼も涼で片付けを終えてお茶を飲むでもなくただ座っていた。
沈黙が暫く流れた後、突然レイラが吹き出した。
「ぷっ!あははははは!」
初めて見せた少女の屈託のない笑顔に涼はただ口を開けて眺めていることしかできなかった。
「何がおかしいんだよ?」
「いや、別に何も。」
「じゃあなんだよ?」
「そう急くんじゃねぇよ。乗ってやるよ。お前の案にな。」
「本当か!?」
涼は嬉しさのあまり音を立てて立ち上がる。
「けれど、私の国には学校なんてあってないようなものだから行ったことなどない。しかも金も私が勉強を終えるまであるかはわからない。」
「だから交渉は俺に任せろと言っただろ。俺は少し電話してくるよ。アメル。」
涼が呼ぶとアメルが現界する。
そのまま涼はリビングを出て行った。
アメルが限界したことによって、レイラの表情は自然と険しいものになり、アメルを睨みつけた。
「今更何の用だ。」
「いや、1つ勘違いしてるんじゃねぇかと思ってな。」
「どういうことだ?」
レイラは心底不思議そうな顔で尋ねる。
アメルは翼をはためかせ愉快そうに笑った。
「お前はあいつに感謝するべきだな。2回も命を助けてもらっているだけでは飽きたらず、お前にも魔力を分け与えるとは。」
「なんのことだ?私はもう何も使えないぞ?」
現にレイラが魔力を行使するイメージを浮かべても以前のように水が出現することはなく、何も起こらなかった。
「1つ忘れているな。お前はなぜあいつの言葉が理解できる?」
「あっ…。」
魔力を使うことによって通訳を介さなくても、直接概念伝達をすることができる。
しかし、レイラ自身は今魔力を使うことはできないはずだった。
「わかったか?あいつは本気でお前を闇の中から救い出そうとしている。ただ殺したくないだけならばお前のことは力を奪って見捨てるはずだ。」
「確かにそうだ。」
「これからの人生を第二の人生として生きてみるのもいいかもしれねぇな。」
アメルはそう言って笑うと虚空へと消えて行った。
「そう甘くはねぇよ。アメル。」
レイラは勢いよくコップのお茶を飲み干した。
お読みいただきありがとうございます。




