閑話IX〜X
警察の無線が車両に備え付けられた機械から特有のノイズの音を発する。
盗聴電波であるため音質は良くないが、男の声が車内に響く。
「えー、こちら現場。切断された盗難バイクの残骸あり。他被害ありません。目撃者もなし。情報規制、現場封鎖は完了しました。繰り返す…」
運転手の総白髪の上品な雰囲気の男は無線の電源を切ると、クラシックの音楽をかけ直す。
そして後部座席に乗った黒髪の少女に話しかけた。
「どう思われますかな?お嬢様。」
「わからないわ。けれど、疑わしいとは思います。」
「左様ですか。それで、旦那様はなんとおっしゃられたのですか?」
「好きなようにやれ…と。いつも通り、力で排除せよとの通達がありました。」
少女は眉根を寄せて心底悲しそうに呟いた。
「そうでございましたか…。私はお嬢様がご無事で帰って来られる事が一番の望みでございます。」
「ありがとうございます。けれど、そんなに心配して下さらなくても大丈夫ですよ。」
「あ、いえ、決してお嬢様の力を疑っているわけではありません。」
老紳士の焦る様を見て、少女はとても愉快そうに笑う。
「ふふっ。わかっておりますよ。ところで、あとどのくらいで着きそうですか?」
「あ、はい。もう目と鼻の先でございます。」
黒いセダンは警察車両が居並ぶ中を当たり前のように通過して行く。
車を止めた男は後部座席のドアを開けて少女の手を取り、降車を手伝った。
「では、お嬢様、お帰りをお待ちしております。」
「はい。お送り頂いてありがとうございます。」
少女は使用人である男にも礼を尽くし丁寧に腰を折ると柔らかく微笑んで黄色いテープに囲まれた中へと入っていく。
「ここは立ち入り禁止ですよ!戻ってください!」
少女に気付いた若い警官は市民を注意するのと同じように少女に退避を促す。
「おいそこの若いの!その方は俺が呼んだんだ!ちゃんとお通ししろ!」
そのやりとりに気付いた壮年の刑事が怒鳴りつけると、若い警官は顔を真っ青にして少女に頭を下げた。
「す、すみません!現場は初めてなもので!」
「いえいえ、構いませんよ。お疲れ様です。」
少女は優しく若い警官に優しく笑いかけるとすぐに壮年の刑事に近づいていった。
「東條様。これはお早いお着きで。」
「いえいえ、松尾刑事もお疲れ様です。」
松尾という刑事は嫌味ったらしく哄笑いながら少女に挨拶をしたが、少女は全く意に介すこともなく微笑む。
つかみどころがなく、それでいて揺るがない少女の姿に刑事達は恐れと妬みを抱いていた。
「お疲れだなんてとんでもない。それにしても、これから御当主様にお伺いを立てようとしたところですのに。どこから情報を?」
「私にも独自の情報収集の伝手くらいございます。前はどなたかがミスをなさったようで大々的に新聞に報じられてしまいましたので…。」
「ぐっ…!」
松尾は奥歯を噛みしめる。
少女は自分よりも1/3くらいしか生きていないにもかかわらず、皮肉も言っても笑みを崩さず、さらに探りを入れても逆にカウンターという対応に心のどこかで彼女に対して負けを認めてしまっている自分がいるのが腹立たしかった。
「で、では、現場確認の方宜しくお願いします。」
「はい。承りました。」
少女は懐から扇子を取り出すとバイクの残骸に向けてかざし目を瞑る。
他人から見ると何をやっているのかわからないことではあったが、少女は擬似的な過去視を行っていた。
(これは…前の時とは違う。桁違いの魔力の痕跡…!)
「どうですか?何お分かりになられましたか?」
松尾はできるだけ情報を引き出そうと下手に出ながらも、自身の欲望を隠そうとはしなかった。
「いえ、まだわかりませんね。今回はこれで失礼します。父から連絡があると思いますが、ただの単独事故として処理なさるよう、よろしくお願いします。」
「は、はぁ…。わかりました。」
「では、私はこれで。」
「ちょ、ちょっと!」
少女の後ろ姿に手を伸ばすも、彼女の背中に松尾は触れられなかった。
彼女の背中は出世や権力争いといった闘争で穢れてしまったその手で触れるにはあまりにも神々しく、輝きを放っていた。
「お前ら…残骸を回収して封鎖を解除。新聞社には単独事故だとの情報提供を行え。」
「はい!」
若々しい彼らの返事を聞き流し、松尾はポケットから取り出した煙草に火をつける。
「こりゃまた上に怒られるな…。」
吐き出した紫煙は青々とした空へと溶けていった。
少女は黄色いテープを抜けると、車へと戻った。
「お待ちしておりました。お嬢様。ご無事で何よりです。」
男は胸に手を当て恭しく一礼すると後部座席のドアを開けた。
「別に戦うわけではありませんのに…。」
「いえいえ、私は現場までは行けない身ですし、不敬な輩がいないとも限りません。」
「ふふっ。ありがとうございます。」
少女が後部座席へ腰を落ち着けると、ゆっくりと車は発進した。
窓の外には白峯市ののどかな風景が流れる。
それを少女はどこか慈しむような目で見つめていた。
「お逢いしたいですか?」
「あ、いえ。そんなことはありません。」
「申し訳ありません。御当主様から固く禁止されているもので…。」
「そうでしょうね。もう何年逢えてないのでしょう…。」
少女は窓の外から目を離さない。
「もう10年程になります。元気でやられているそうでございます。」
「それも人伝てでしょう?本当のところはわかりません。」
「お嬢様…。」
高速道路へと入った車はさらに速度を上げ、少女が見つめていた景色は遠く小さくなってしまった。
「私は、籠の中の鳥ですね。」
「そんなことは!」
「そうですか。でも、私は使用人の方々が陰でそう言っているのを知っていますよ。」
「…………。」
「貴方は私の専属運転手としていつもいつも私に尽くしてくださいました。それこそ物心がつく前から。貴方はお父様も信頼を寄せているはず。」
「そんなことは…ございません。」
唸りを上げるエンジンとは対照的に、車内には痛いほどの沈黙が流れる。
BGMにかけていたクラシックが滑稽に思えるほどに。
「貴方は…彩の居場所を知っているのではないですか?どんなことでもいいんです。教えていただけませんか?」
「…お嬢様。申し訳ありませんが、私は彩様の居場所を存じ上げておりません。この街にいる、ということだけはお嬢様と同じように御当主様から伝えられました。」
「では!なぜ彩は本家から勘当などされてしまったのですか!?」
少女の眼には涙が溢れ、そっと頬を伝って服を濡らす。
運転手の男はバックミラーでそれに気づくとすぐにハンカチを取り出し後手に差し出した。
「涙をお拭きください。御当主様は一子相伝のため仕方がないことだとおっしゃっておりました。」
少女はハンカチを静かに眼にあて、涙を拭った。
「やはり、その理由しか知らされてませんのね。でもそれなら分家や親交のある家に嫁がせるなりすれば良かっただけなのに…。」
それ以降男は何も話すことはなく、少女も暗くなっていく窓の外の景色をぼんやりと眺めるだけだった。
「雅、少し話があるからここへ来なさい。」
「はい、お父様。なんでしょうか?」
「実は、彩の事なんだが…彩とはこれから別々に暮らすことになった。」
「どういう意味でしょうか?私の双子の妹の彩ですよね?今日も一緒にお稽古をしたところですが…?」
「前々から決まっていたんだ。今度の日曜日、そこからお前と彩は永遠に会うことはなくなるだろう。だから、ちゃんとお別れを言っておきなさい。」
そうだけ言うと父は行ってしまった。
正直、言葉の意味が理解できていなかった。
彩を失うということを。
私の最大の理解者である彼女を理不尽に奪われるということを。
それから日曜日まで、私は特に何をするでもなかった。
彩自身も何をするでもなく、いつも通りの1日を一緒に過ごしただけだった。
月曜日、私が起きると彩は私の前からいなくなっていた。
屋敷のどこを探しても、いつも一緒に遊んでいた公園に行っても、私は彩を見つけることはできなかった。
私は失意の中で家に帰り、来年から通うためにと少し時期尚早ではあったが誕生日に買ってもらったお揃いのランドセルが1つ無くなっていることに気付いた。
それを見た途端、彼女が本当にいなくなってしまったことを理解した。
私には血筋による力がある。
けれど、彩の痕跡を私の力を以ってしても見つけ出すことはできなかった。
だが私にはわかる。
彼女が私と逢いたがっていることを。
彼女もまた私を失ったことを悲しんでいることを。
彼女が望んで私から離れたはずがないことを。
私は必ず———
「お嬢様?お嬢様?お屋敷に到着いたしましたよ。」
「あっ…うーん…ありがとうございます。」
座席で寝てしまったことにより、身体を起こすと関節がポキポキと音を鳴らす。
「お疲れですか?」
「いえ、大丈夫です。今日は遠いところまでありがとうございました。」
「仕事ですので。では、ゆっくりお休みください。」
「はい。ありがとうございます。では。」
男の乗った車は静かに走り出し、すぐに見えなくなる。
少女は既に暗くなった空を見上げ月に向かって手を伸ばした。
指の隙間から光が漏れ、少女の眼に溜まる涙がキラキラと光を反射する。
「私は必ず…彩を取り戻す。」
手を下ろし、踵を返した彼女の眼には、既に涙は浮かんでいなかった。
今回はここまでとなります。
読んでいただきありがとうございます。
本編に関係ないじゃん…と思われる方もいるかもしれませんが、後々関係あるので今は待ってください。
誤字、脱字やわかりにくい表現等ご指摘ください。
感想、評価いただけると幸いです。




