VII
「あぁ…どうしてこうなるのよ…。」
私は屋上のベンチに寝そべり、今日の疲れを全て吐き出すような大きなため息を吐く。
日差しは既にだいぶ傾き、フェンスが大きな影を作っていた。
「お疲れ様なのです。涼のところへ行かなくてもいいのですか?」
「いや、今はいいわ。少し休みたいの。」
リーンの問いかけに返答するのも、今は少し煩わしく感じてしまう。
私は全身の力を抜き、目を閉じた。
——遡ること一時間ほど前
凛は作業を再開するためにどこかへ消えた圭を探して学園の中を歩き回っていた。
「ったく…なんで見つからないのよ。」
高等部の校舎内はほぼ全て回り、残すところはあと少しだけだった。
凛は自販機でジュースを購入し、側のベンチに座り込む。
ジュースを飲んで一息つくと、廊下の向こうから茶髪の女の子がスキップしながら現れた。
「あ、凛ちゃん。やっと会議終わったよ〜。」
「伊吹さん、お疲れ様。何か良いことでもあったの?」
華は傍目から見ても上機嫌だとわかるくらい嬉しそうに笑う。
彼女は夏休みに入る直前に下の名前で凛のことを呼ぶようになっていた。
凛は少し横にずれ、華が座る位置を開けた。
「憧れの人に挨拶ができたの。それで、頑張ってねって言われたの。まぁでもそれだけなんだけどね。」
「憧れの人…ねぇ。よかったじゃない。」
凛は憧憬という感情に疎い。他人と関わらないように生きるために他人は必要異常に観察することなく、極力接しないようにしていたため、他人に情を感じる以前の問題だったのだ。
「反応薄いなぁ…。凛ちゃんにとっての篝君みたいなものだよ!ほら、想像つくでしょ?」
「いや、むしろわからなくなるわね。」
「もう。素直じゃないんだから〜。」
華はニコニコしながら凛に抱きつこうとする。
しかし、凛は手を伸ばして華の顔を鷲掴みにして抱きつかせないように遠ざけた。
「ああ、もう!いけず〜。なんだなんだ篝君専用かー?」
「そんなに仲良く見える?そこまで関係を疑われるのなら涼との付き合い方を変えるけれど。」
「冗談だって〜。可愛いなこのこの。」
華はめげずに手を凛の方へと伸ばす。
凛はため息を吐くと立ち上がり、空き缶を近くのゴミ箱へと投げ入れた。
「じゃあ、私は柳君を探すのを再開するわ。伊吹さんは先に教室に戻って作業を再開しておいてくれないかしら。」
「わかった!任せて〜。」
凛の言葉に笑って頷くと、華は荷物を抱え直し、足取り軽く階段を駆け上っていった。
その後も学園内をくまなく探したが、どこにいるのか不思議なぐらい圭を見つけることができなかった。
自棄になった凛は、さすがにいないだろうと思って捜索対象から除外していた体育館へと向かう。
それが功を奏してか凛は渡り廊下から校舎の外を歩く圭と思しき人物の後ろ姿を見つけることができた。
「なんであんなところにいるのよっ!」
凛は散々探し回ったことにより疲れた身体に鞭打って走り出す。
しかし圭はそれに気づくことなく校舎の裏への道を曲がって姿が見えなくなってしまった。
「逃がさないわ!」
凛はいつもなら注目を浴びてしまうため絶対にしないことだが、開け放たれた窓から飛び出し圭を追いかけた。
走る凛を見かけた生徒は皆一様に陽光をはね返す髪の煌めきに目を奪われ、思わず感嘆の息を漏らした。
校舎の裏に着くと、ボソボソと話し声が聞こえてきた。
「散々手間かけさせて…作業量を倍にしてあげるわ…。」
(凛。少し待つのです。これは…告白というやつではないのですか?)
(告白?そんなの今することかしら?)
(で、でも…少し待つのです!)
「わ、私!ずっと柳君のことが好きでした!もし良かったら付き合ってください!」
切羽詰まった可愛らしい女子の声が凛の耳に届く。
今まさに圭に声を掛けに行こうとしていた凛は身を硬くした。
(ほら、言った通りなのです。)
(私だってこんなの盗み聞きしたくなかったわよ…。)
凛は校舎に身を預け腕を組んでため息を吐く。
彼女自身告白されることに苦手意識を持っていたのもあり、告白を盗み聞きしてしまっている今の状況も相まってなんとも言えない複雑な気持ちを感じていた。
「ありがとう。俺に好意を持ってくれたのは素直に嬉しい。けど、俺好きな人がいるから君と付き合うことはできない。ごめんね。」
圭は普段の軽薄な態度とは全く異なる真摯な答えを返す。
「じゃあ、柳君の理想のタイプってどんな人ですか?私、諦めたくないんです!」
(これだから嫌なのよ…。相手のことを考えずにただ自分の要求だけを伝えるなんて…自分勝手だとは思わないのかしら。)
凛はイライラと足を踏み鳴らす。靴の底とコンクリートのぶつかる音が規則的なリズムを刻む。
「そんなに俺のことを好いてくれるのは本当に嬉しい。けど、俺にとって好きな人はその人だけだから、君がどれだけその人に近づいたとしても俺は君を好きになることはないんだ。」
(あの少年、はっきり言ってしまったのです。びっくりなのです。)
(泣いちゃう…か?)
案の定静かな嗚咽と小さく鼻をすする音が聞こえてくる。
凛の表情は自然と苦々しげなものに変わり、思わず舌打ちしそうになった。
「泣かせてしまってごめん。俺にとって、君は君、その子はその子だけだから。」
足音が凛の方へ近づいてくる。
凛は慌てて隠れようとしたが、いかんせん校舎の壁しかないところに隠れる場所などあるはずもなく、角を曲がってきた圭と鉢合わせする形になってしまう。
圭は一瞬バツが悪そうな顔をした後、力なく笑った。
「坂井ちゃん…盗み聞きはダメでしょうよ。」
「ごめんなさい。貴方をずっと探していたのよ。追いかけたらこうなったというわけよ。」
「そっか。それは俺が悪かった。ごめん。でも、もしかして最初から最後まで聞いてた?」
「不本意ながら…。」
凛は申し訳なさから俯いてしまう。
「俺、どう言えば良かったんだろうね…。」
珍しい圭の弱々しい言葉に驚き顔を上げると、既にいつも通りの軽薄な笑みを顔に貼り付けた圭がいた。
「柳君…貴方は——」
「いやー、参ったね。女の子を泣かせるなんて、恨まれてもしかたないね〜。」
凛の言葉を遮り、圭は凛の脇を抜けて校舎の中へと入る。
凛はかける言葉もなく、圭の後ろ姿を見送ることしかできなかった。
——そして今に至る。
私は教室に戻り作業を再開したものの、柳君の態度が気になり、集中することができなかった。
柳君がそれを察し、私に涼を呼びに行かせたのだが、私は涼を呼びに行くことはなく、屋上に来て無為な時間を過ごしていたのだった。
夏の風はいやという程湿気を含み、太陽が沈みかけてるというのに肌に纏わり付くような不快感を与える。
「起きろ。凛。パンツ見えてんぞ。」
誰かが私を呼んでいる。
気持ちよい(決して気持ちよくはなかったが)午後の睡眠の邪魔をする不届き者は誰かと身体を起こす。
硬いベンチに寝ていたため身体の節々が痛みを訴える。
「おい。凛。」
声がさらに近いところで聞こえ、ぼんやりとした視界が徐々にはっきりとしたものになる。
「——ひゃっ!?」
突如頬に冷たいものが触れ、情けない声を上げてしまう。
「ははっ!凛もそういう声出すんだな。」
声の主の涼は大笑いしながら私の隣に座る。
「いきなりそんなことされたらと驚くのは当然でしょ。やめてくれないかしら。」
怒る私を目の当たりにしても、涼の態度は変わらなかった。
「なんかあったみたいだな。俺でよければ話聞くけど。どうする?」
目の前に私の頬に当てたジュースを差し出してくる。
私はそれを受け取り、プルタブを開けてゴクゴクと喉を鳴らす。
「話さないわよ。こんなことする人には。」
「そうか。なら別にいいけどな。お菓子できたから、学校の冷蔵庫で冷やしてるけど食べるのは明日になりそうだ。」
根掘り葉掘り聞かれると思って覚悟していた私は肩透かしを食らったような気分になる。
もしかすると、涼なりの気遣いなのかもしれなかった。
そう考えるとなんだか少しだけ気持ちが晴れてきた。
「そう。って明日も集まるの?」
「って伊吹さんは言ってたけど?なんなら後で聞いてみなよ。」
「わかった…。」
冷たいジュースが熱くなった身体に染み渡る。
(凛。さっき涼にパンツ見られてましたよ。)
「ぶっ!?」
「おお?いきなりどうした?似合わないリアクション芸だな。」
「これが芸に見えるなら相当な頭をお持ちのようね。それより、貴方、私の下着を見たそうね?」
面白いように涼の目は泳ぎ、今まで目と目を合わせていたはずなのに、その面影すらない。
「いや、見てないよ。」
「リーンが言っていたのだけれど、彼女が嘘をついていると?」
「すみません見えました。見たんじゃありません。」
「まぁ、意図しないものなら許すけれど…。」
自分で言っておいて恥ずかしくなってしまっていては世話はないけれど、自分の下着を見たかどうかなど聞くのも初めてなのに…。
「じゃあ、教室で待ってるから、そろそろ降りてこいよ。」
涼は立ち上がると屋上のドアへと手をかけた。
「うん。でも、なんで私がここにいるってわかったの?」
「圭からメールが来てさ。多分学校のどこかにいるから、探して来いってね。」
「そう。ありがとう。」
「いや、別に。じゃあ、先行くから。」
「うん。」
涼は振り返ることなく後ろ手でドアを閉めた。
彼のことは信頼しているし、信用できると思う。
最近、彼のことばかり考えてしまう私がいた。
それを恋と言うリーンもいる。
でも、私は違うと思っている。
これが恋というのなら、涼に何かを求めるものだと思う。
けれど、私は何も求めない。
今のままでいい。
そう心から思える。
私は立ち上がり、涼の見えなくなった背中を追いかけた。
今回はここまでとなります。
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