XV
「やばい…だいぶ遅くなっちまった…。」
ポケットに入れていた携帯は画面のガラスが粉々に壊れており、炎で復元させ電源を入れると、悠と圭からかなりの数の着信が入っていた。
すでに時刻はもう少しで次の日になりそうになっていた。
「これはまずいかもしれんな。まぁ、私には関係ないことだから、高みの見物といこうか。」
ミアはニヤニヤと笑いながら他人事のように言う。
「元はと言えばお前と契約したから…とりあえずアイスでご機嫌とるしかないか…。」
涼の足取りは重く、マンションのエレベーターが上昇している最中も止まっているように感じられる。
玄関の鍵を開け中に入ると、リビングには悠の姿は見当たらず、圭が一人で椅子に座っていた。
「涼、こんな時間まで何をしていたんだ?」
圭の声はいつものような軽い声ではなく、抑えた低い声だった。
「いや、ちょっとな…すまん。遅くなって。」
涼は買ってきたアイスが溶けてしまう前に冷凍庫にしまいながら答える。
「言えないことなのか?いや、今はそれはどうでもいい。少しこっちへ来い。」
「わざわざなんだ…っ!いってぇ!」
涼が言い終わる前に圭の右ストレートが涼の頬に突き刺さった。
全く警戒していなかった涼はもろにそれを受け、無様に床に倒れこんだ。
「どれだけ俺と悠ちゃんが心配したと思っている。悠ちゃんは今は疲れて寝てしまったが、帰って来ないんじゃないかって泣いていたんだぞ。」
すぐに怒りによる反抗的な視線を涼は圭の表情を見て固まってしまう。
圭の表情は苦しげで、その眼は涙が光っており、今にもこぼれ落ちそうになっていた。
静かな怒りの中に、少しの安堵が入り混じった鋭い眼光に射すくめられ、涼は何も言うことができなくなってしまった。
「………。」
「お前には言わなかったが、前だって…お前の帰りが遅くて、心配していた悠ちゃんのことを考えろ。」
「ごめんなさい…。」
涼は謝罪するとともに、自分に対して怒っていた。
考えている以上に悠に心配をかけていたことに気付けなかった自分自身の愚かさを呪い、なぜ今日悠が放課後にわざわざ教室まで迎えに来たのかを理解したからだった。
「わかればいいんだ。俺も殴ったりしてごめん。」
「殴られて当然のことを俺はしたんだ。別に気にはしてないよ。少し痛いけどな。」
涼は頬をさすりながら苦笑する。
しかし、圭の緊張した面持ちは変わらなかった。
「だけど話はそれで終わりじゃない。何をしていてこんなに遅くなったのかちゃんと説明してくれないと納得できないな。」
(きたか…さて我が契約者よ。この状況、どう切り抜ける。)
ミアは先ほど見せた笑みよりもさらに愉快そう口の端を吊り上げる。
美少女にしか見えない見た目も相まって、なんとも不気味でありながらもどこか気品の高さを感じさせる笑みでミアは宙に浮いていた。
(他人事だと思いやがって…。)
「それは…今は話せない。」
「なんでだ?都合が悪いことなら悠ちゃんには黙っておいてやるくらいの譲歩はしてやろうじゃないか。」
「それでも今はどうしても話すことができないんだ…。本当にすまない。」
「………いつか必ず話せる時が来るのか?」
「必ず話すと誓う。だが、今だけは待ってくれないか。」
涼は腰を折って圭の反応を待つ。
圭はしばらく思案げな顔をした後に、仕方ないといったように苦笑した。
「じゃあ今は聞かないでおいてやるよ。」
「すまない。ありがとう。」
「あ、お前が遅くなったから俺今日は泊まるからな。あと、俺の親父にも自分で電話をかけて心配かけてすみませんって話をしておいてくれ。一応心配だから報告だけしておいたんだ。」
「わかった。本当に申し訳ない。」
「じゃあ、シャワー浴びてきてもいいか?というか、順番は俺からでもいいか?」
圭は既にシャツの裾に手をかけていたため、止めるまでもなく涼は了承した。
「シャワー終わったら今度は俺が聞きたいことがあるんだがいいか?」
「ああ、別に構わないぞ。」
「じゃあアイスコーヒーでも用意しておくよ。」
圭はシャツを脱ぎ丁寧に畳むとそのままバスルームへと消えていった。
涼に対する圭の叱責を、現界したままさも楽しそうに眺めていたミアは満足げに頷いた。
「あのように誤魔化すとは。予想とは違って楽しめたぞ。」
「そうかよ。それはおめでとうございます。でも正直なところ、話す時なんて来るのかわからないし、どう話していいかもわからない。想像すらつかないんだ。」
「ふむ。良い方法を1つ教えておいてやろう。契約者は、眷属を持つことができる。互いに信頼し、契約者を主として認め従うものもまた天使の能力を使役することができるようになるのだ。」
「眷属…?生憎だが、圭を戦わせるつもりはないぞ。もし俺に万が一のことがあったら、圭しか悠を守れる人はいないからな。」
涼が話を聞くまでもなく断ると、ミアは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「つまらん奴だ。だが、いずれお前は2人を同時に相手することになるかもしれんな。お前のように守るものがある者ばかり敵になると思うな。」
「お前は俺を怯えさせるのが楽しみなのか?その時になってみないとわからないだろ。」
「それもそうだな。では私は消えるとしようか。」
ミアは妙に納得したように何度か頷くと虚空へと消えていった。
ミアがいなくなったことで静寂がリビングを支配する。
涼は携帯を取り出して新へと電話をかけた。
結果から言えば新はかなり怒っていたものの、圭から言われたことをそのまま伝えると、俺から改めて言うことは何も無い、といったように笑うだけだった。
悠にはきちんと謝り、埋め合わせをすることを約束し涼は電話を切った。
圭がシャワーを終えてから涼は交代でシャワーを浴び、寝る支度を終えると圭は既にソファに座って涼を待っていた。
時計の針は1日の役目を終え、また新しく次の日の役割を果たしていた。
圭は涼が持ってきたアイスコーヒーを飲んで一息つく。
「それで、聞きたいことってなんだ?」
「ああ。正直質問の意味がわからないかもしれない。けど、ちゃんと思ったまま答えてほしいんだ。」
「別に構わねーよ。ほら、言ってみろよ。」
圭が放つ雰囲気は先ほどまでとは明らかに違ういつも通りの圭のものだった。
「なんでも1つでも願いが叶うって言ったら圭は何を叶えたい?」
「は?いきなりどうしたんだ。そんなの決まってるだろ。何回でも願いを叶えられるようにするんだよ。」
圭はしてやったりといった顔で自分の言ったことに満足げに頷く。
「いや、お前がそう答えるのはなんとなく予想がついていたけどさ…。」
圭は頭が良い。
それは学校のテストの点がいいという話ではなく、クレバー(ずるがしこい)という表現が近いかもしれない。
「はは。冗談だって。俺は今望みなんかないよ。」
「現状に満足してるってことか?」
「いや、そうじゃない。けど、100%の幸せなんて望む方が難しいと思うんだ。俺は今ぐらいの幸せがずっと続けばいいと思ってる。」
圭は遠い空を見るような目で暗くなった外を窓から眺めていた。
「それだと最終的に望みを言ってないか?」
「そういやそうだな。」
涼がおどけたように言うと、圭も楽しそうに笑う。
「今日は遅いからもう寝ようか。」
「そうだな。じゃあ俺今日涼のベッド使うから。お前はソファで寝てろよ。」
「は!?え?」
圭はそう言い残すと涼の部屋へと向かうため立ち上がる。
涼はその袖をつかみ圭を立ち上がらせまいと力を込めた。
「いやいや、待てよ。俺は家主、お前は部外者。この関係、オーケー?」
「おいおい、誰のせいで泊まることになったと思ってるのかな〜?」
圭はニヤニヤしながらそう言うと、反論に詰まった涼の手を強引に掴んで引き剥がすと、さっさと涼の部屋へと消えていった。
「マジかよ…。いや、俺が悪いんだけどなんか納得できねーよ…。」
(くはは。なかなかやるなあの男。ほら、明日も学校とやらがあるのだろう。さっさと寝たほうがいいのではないのか?)
人を馬鹿にしたミアの笑みが思い出されるような声が頭の中に響き、涼は諦めてソファに横になった。
(誰のせいだと思ってんだよ…。)
(くくく。違いない。)
心の中で恨み言を言ってもミアの心には全く効果がないようだった。
今回はここまでとなります。
そろそろ第1章は完結となります。
誤字、脱字やわかりにくい表現等ご指摘ください。
感想、評価いただけると幸いです。




