穏やかな春の日に
花迎えの月、25日を迎え私は17歳になった。思いがけず、今年の誕生日は大勢の人に祝ってもらうことになった。
結局、花迎えの月末まで私は王宮治安相談部屋に勤めていた。夕方はしばらくの間、官舎の裏庭でモストダークのメモ書きとスケッチを燃やしていた。身体中が燻されてしまったのは仕方ない。
月末まで勤めていた為、ルーデンス殿下達からまで私の誕生日を祝ってもらうことになってしまった。流行に詳しいレイヤード様お勧めのケーキを皆さんと食べるはめになるとは…お酒が効いていて、大変美味しかったのだけど…良い思い出が出来たってことにしておこうと思う。
何処まで本気か分からないが、辞める直前までルーデンス殿下には引き留められた。
最後にロベルト様から、「私が貴族から平民になったこと」が記載された書面を見せられた。国王の印がチャンと捺してあった。ロベルト様が責任を持って貴族戸籍課に提出してくださるそうだ。
レイヤード様には、絵の勉強をしないかと誘われた。
ランセル様とはまたクールデンで会う機会がありそうだ。
そうそう、最後の最後にルーデンス殿下から複雑な意匠の入った金の指輪をもらった。これを見せれば簡単に王宮に入れるらしい。「平民として暮らしていて、何か文句を言いたくなったら会いに来い。」と言われた。…うーん、私、皆さんに一応気に入られていたのかなあ? 貴族と平民をつなぐ者になれるなら、まあ良いかな。深く考えると怖いので、それ以上は考えないようにしておこう。高位の高貴な方々に近づくのは色々危険だもんね。
皆さんへの送別の品はいつものイニシャルを刺繍したハンカチです。カフールさんにも渡しましたよ。
官舎で仲良くなったナターシャさん、ハーミイさん、マリエッタさんには盛大なお誕生会ってのを開いてもらった。私の部屋で、食べ物とケーキとお酒を持ち込み、朝までワイワイ話をして最後は雑魚寝したのよ。ここん所ずーっと汚い格好して、部屋に居ないときばかりだったことを責められたけど、誰かに心配して怒られるってのは本当に嬉しくってね。延々と怒られちゃったけど。綺麗な櫛と化粧品を皆からの誕生日プレゼントとしてもらったこともすごく嬉しかった。
誕生会の後、官舎を去ることを告げたら、今度は皆に泣かれた。「二度と会えない訳じゃないけど、せっかく仲良くなったのに。」って。でも、ディックさんの元で働くことを言ったら、泣きながら「ロベルト様に続いてディック様とは羨ましすぎる。」と怒られたのには参ったなあ。
皆は官舎の側の桜の木の下で、花見しながら私の送別会を開いてくれた。笑ったり、泣いたりと忙しい会となった。そのまま私の部屋に夜はなだれ込み、朝まで女子会したのは本当に楽しかった。
女子3人への送別の品として色違いの桜を刺繍したスカーフを用意した。送別会の思い出と一緒に私を思い出してくれるといいな。スーザンさんにはイニシャルを刺繍したハンカチだけどね。
めんどり亭にももちろん「ロベルト様の所で働くことを辞めた」ってことを伝えに行った。
マスターにエイダさん、事情を知りつつあるウェラー隊長にはきちんと報告しなくちゃね。詳しい話は私の誕生祝いも兼ねて後日にって事になった。まあ、このメンバーとはこれからも長いお付き合いになると訳だし。だって王都に来たら絶対にめんどり亭に泊まるもの。
◇◇◇
いつものように食堂で最後の食事をして、スーザンさんに挨拶をして、ほぼ1年前と同じ旅立ちの格好で私は官舎を去った。
ポニーテイルにミルクティー色のドレス、薄荷色のコートに背負いカバン。両手には黒い大きなバック。バックの中身がパンパンに膨らんでいるのが以前と違う所だろうか。
重いカバンでヨロヨロしながら、わずかに残った桜の花びらが舞う王宮の門を出れば、ディックさんが迎えてくれた。黒い警備隊服に深緑色のマントは相変わらず目立っている。
用事が丁度あったとかで、クールデン駐屯地から荷馬車で王都に来ていたそうだ。この位の荷物なら私1人で辻馬車でじゅうぶんクールデンに行けたんだけどね。「お前は1人にしておくと危険だ」とか何とか言われたけど、迎えに来てくれたことに変わりない。
「ウェラー隊長から聞いたぞ。スラムで柄の悪い奴に捕まったらしいじゃないか。隊長が伝手を使ってやっと捜し出して助け出したって聞いたぞ。もう少し遅かったらここにお前は居なかったかも知れないんだからな。」
「まあ、捕まったのは事実ですけど、そんなにひどい扱いは受けていなかったですよ。」
「いや、他の使い道のために扱いがひどくなかっただけだ。大体、殿下はともかく、ロベルトの人の使い方は全くなってないな。ホント、こっちに引っ張れて良かったよ。」
ーーポンポン
私の頭が優しく叩かれた。あっ、以前にもこれあったよね。
ウェラー隊長から色々聞いて心配して私をクールデン駐屯地に引っ張ってくれたんだ。自然と私の頭は下がった。
「ありがとうございます。」
「あん? あぁ。」
「あのー、申し訳ありませんが、クールデンに向かう前に寄って欲しい場所があるんですけど。」
荷馬車が向かったのは郊外の共同墓地であった。母さんに報告とお別れをするのだ。
途中の花屋で色とりどりのチューリップを買う。
殺風景な共同墓地の一角にある母さんの墓前に花を手向け、私は膝を折った。簡素な墓標に眼を向ける。
「母さん、もう知っていると思うけど、私、貴族をやめました。平民になったのよ。馬鹿なことしたわねってあの世で会ったら言われそうだよね。でもこれでいいの。母さんから教わった知識を活かして生きていく方が楽しいんだもん。あの世で会ったら、平民になって良かったわって胸張って言うからね。…また来るわ。」
私が立ち上がると、見ていたかのように一陣の風がスッと通り抜けた。空は青く、薄い雲がかかっているが快晴だ。私の心も晴れ晴れしている。
再び私は母さんの墓標を見つめた。
「おっかさんに報告は済んだか? 親父さんには報告しないのか?」
「サウザント家とは関わりを持たないことになっているので…風の噂で伝われば良いかなと。」
「ふむ。うーん。今回お前を俺の部下として引っ張れたのはサウザント伯爵のお陰でもあるんだよな。そもそも俺の秘書なんてポジションは無かったんだが、他の部隊での前例を見つけて教えてくれたんだ。殿下達の元で危ない仕事をしているってどこからか聞き込んだらしい。俺の持っている権力だけじゃ引き抜くのに説得力が欠けて困っていたんだ。いい親父さんじゃないか。」
ディックさんの葡萄色の瞳が真面目に父のことを伝えている。イーグルアイの怖さが今は全く無い。
私は黙ったまま、独り先に歩き出す。
ちょっと進んで立ち止まり、クルリと振り返る。
「父にお礼の手紙は書きます。会うのは……もう少し自分に自信がついたらにします。その時は母と同じ平民であることを自慢してあげるんです。」
心の底から笑顔が出た。
新しい目的が出来た。
『平民であることを自慢する』
モストダークの学校、刺繍で新しい流行も作りたい。クールデンでの秘書としての仕事、ドクダミ草を使った手荒れ薬の販売、やりたいことや気になることはたくさんある。
「ディックさん、やることがたくさんあるんです。早く行きましょう。」
手招きして、私は荷馬車に向かって走り出した。
ポニーテイルがユラユラ揺れる。スカートの裾がヒラヒラ揺れる。新緑からの木漏れ日はキラキラ。どこからか風に乗って小花がヒラヒラ舞っている。
穏やかな春の日が私の新しい旅立ちの日となった。
Fin
消化不良な部分もありますが、取りあえず完結です。
ここまでお読みいただきありがとうございました m(_ _)m




