契約
ルーデンス殿下の宣言からしばらくの間、「平民になることを認める」って言葉が本当?と疑うくらい、いつもと同じ毎日が続いていた。どうやら私が知らない間に色々と手続きは進んでいたらしい。
私も王家に献上した絵地図の下書きとなった巨大な紙をウェルに届けるべく、モストダークの入口に来ている。それも馬車で。カフールさんと更に2人の護衛騎士さんまで居たりする。そして今日の私の姿はポニーテイルにミルクティー色のドレスなのだ。つまりルーデンス殿下の遣わした貴族の娘って立場です。
カフールさんは何処にでも居そうな地味な感じの人だと思っていたけど、ルーデンス殿下が付けてくださった護衛騎士さん達と一緒に並んでも遜色ない存在感で、「もしかしてすごく出来る人なのでは…」なんて今更思ってしまった。
「おい、お前達、何の用だ。」
案の定、モストダークの門番的怖いお顔のお兄さんが私達に声をかけてきた。地図作りの最初はともかく、その後は黙って私をモストダークに通してくれていたので、久々に聞く重低音バス声は背筋を色んな意味でゾクゾクさせてくれる。
「あのう、少し前に毎日通っていた私、アーシャです。ウェイさんに今日の訪問は伝えてあると思うのですが。私達を中に入れてくれませんか?」
ジロリと私を上から下まで見ると「あぁ。」とお兄さんは通してくれた。入口から先は馬車ではなく、徒歩となる。折りたたんでもまだ大きい紙はカフールさんと護衛騎士の1人が持ってくれた。もう1人の護衛騎士さんがさりげなくロングコートの上から剣を押さえて居るのが私でも分かる。
(そんなことしてると、ここでは挑発になっちゃいますよぉ。)
粛々と馴染みの路を進んで行く。異質な私達の行進はモストダークの住人の人目を引いた。
◇◇◇
「で、これが地図の元になった物だと。了解した。受け取るね。」
「確かに渡しましたわ。私の出来る範囲で詳細に調べた結果が記入されています。もうすでにウェイ達には分かりきった事も多いとは思いますが、お役に立ちましたら嬉しいです。これを元に作成した絵地図は王立図書館に保管されますので、機会がありましたらご覧ください。キチンとした手続きをすればウェイ達モストダークの住人でも閲覧出来るようにしてありますので。また何かありましたら殿下にご連絡ください。」
以前通された応接間に私達はルーデンス殿下の遣いとして通された。何かずっと怪訝そうな顔でウェイが私を見ているのが気がかりなんだけど。
正式にモストダークのボスとなったウェイは以前より憂い顔が通常になったようだった。白金色の髪の姿は相変わらずの王子さまだけど。
(陰のある王子も世間には受けるわよね。)
「分かった。それではルーデンス殿下の遣いとしての君との会話はここで終わりだね。…君のその姿、それが本来のアーシャなのかい?」
「ん?」
(本来のって…身ぎれいにして、少々上等の服を身につけているだけなんだけどな。)
「貴族であるってことですか? 一応、今はそうです。言っていませんでしたか? 貴族と平民の間に生まれたのが私です。私の存在も中途半端で希薄だったんですよ。私もアーシャとして以前お願いした返事が欲しいです。モストダークの入口付近の建物のどれかを貸してください。」
「住む場所の無い女性に提供すると言っていたよな。」
「そうです。あと、ゆくゆくは文字を教えたり、刺繍を教える学校にします。」
「ボス、入口にそんな奴らが出入りしたらここの治安が!!」
「入口だからこそ、モストダークだけで無くサバリールや他の地区の住人も出入り出来るのよ。ルーデンス殿下と対談したんでしょ。殿下がインフラの整備を始めれば、いやでも人の行き来は起きるわ。私は行き場の無い女性が再び自分を取り戻す場所を作りたいのよ。雨風を避けられる場所が欲しいのよ。大体、あなた達男はか弱い女を保護なんかしないでしょ。ここでは特に男優先なんだから。」
ウェイはちょっと考え込んだ。シンとした室内にわずかながら緊張が走っているのを感じる。
「君に言われて、当たってはみた。僕達の持っている建物の一つに貸しても良いものがある。安くは無いよ。慈善事業じゃないからね。お金はあるのかい?」
私は首にかけてある革紐をドレスの中から引っ張りだして、首から外した。革紐には赤い宝石が付いた指輪がある。以前フローレ様から別れの際にもらった指輪だ。貧しい庶民のために使ったなんて知ったら不機嫌になることだろうが、今の持ち主は私なのだ。有効に使わせていただきますね。
「まずは、これで。かなり値打ちのあるものだと思います。」
ウェイに向かってツーと机の上を滑らす。手にとってしげしげと指輪を見るウェイ。その表情は真剣だ。
「一時的に金を払ったって、こいつがその先まで払うか分かったもんじゃねえ。」
ーーバアン
私は両手を机に叩き付けた。
「私、アーシャマリア・オルグ・デュ・サウザント、半分とはいえ貴族である私のプライドにかけて信じては貰えないでしょうか?」
周りの雑音は無視無視。今私が説得しなければいけない相手は、ウェイただ1人。真剣なのに綺麗な微笑みを浮かべて彼をじっと見つめる。
ウェイの頭の中で色々な思惑が高速で渦巻いたことだろう。ちょっとして、はにかんだような優しい声で返事がされた。
「僕はアーシャを信じるよ。それにこの先も家賃を払いに来てくれるんだろう? 君が来てくれるなら大歓迎だ。」
(貴族では無いアーシャを信じてくれるの?)
私としては最初で最後の「貴族であること」をカードとして遣ったのに…単なるアーシャの方が信用されるなんて。
「ふふ。」笑っちゃうよ。やっぱり貴族でいる必要なんて無いんだ。肩の力が抜けたのが分かる。
「ありがとうございます。私もうすぐ貴族で無くなるの。これからもよろしくね、ウェイ。」
モストダークで地図を作るにあたって助けてくれた女性達に少しは恩返しができると思うと純粋に嬉しかった。
建物は確保できた。中身に関してはルーデンス殿下の元で稼いだお金をあてればいい。もちろん私だって慈善事業で宿泊場所を作る訳ではない。刺繍や文字を教えて仕事が出来るようになったら返してもらう。払えないときは家事労働での支払いだ。今後を想像すればキリが無い。
「えっ。」という顔をしたウェイを部屋に残し、意気揚々と私は王宮に帰ったのだった。




