地図作り
親切な彼の正体が、スラム街モストダークの次期ボスのウェイであることはルーデンス殿下に報告した。
思った通りスラム街に入る時には監視がはいって、王都のお役人が仕事で来た時は何だかんだと追い出されているようだった。だからウェイのことを探ろうとしてもモストダークの有力な住人としか分からなかったらしい。探るって行為をする時点で排除されたみたい。
かといって、だれもスラムには入れ無いかって言うとそうでもなく、スラムの住人にそれなりに信頼された王都の住人は行き来出来ている。まあ、ようはコネを持っている人ね。
ちょっとはウェイの力で私は守られるかも知れないけど、今まで行った場所で一番治安が悪いところに出掛けるんだもの、今まで以上に自分の身に気を付けるしかない。
私の一番金目の持ち物であるフローレ様から頂いた赤い宝石が付いた指輪は官舎に置いていくことにする。ネックレス状にしてあった皮紐から指輪をはずし、靴下の中に隠す。靴下を含めた一泊分のお泊まりセットをつくり、黒い大きなカバンの中にしまう。同様に余分の現金もしまって、このカバンをクローゼットに置けば完成です。これならちょっとは分からないと思いたい。
背負いカバンには地図作成に使うスケッチブックを入れる。目で見て、道の組み合わせをメモして、実際の街並みをスケッチする。地図作りのプロでないから、王立図書館で見たような現地が想像できるようなきれいな地図は作れないだろうけど、道だけはちゃんと正確なものを作りたい。
辻馬車代と食事代分だけを身に付ける。盗られた時は歩いて帰れば良いし、食事を抜けば良いだけだ。
◇◇◇
私は再びモストダークの街に入った。
入って直ぐ、石橋側に居た強面のお兄さんに「ウェイと会いたい。」と訴える。
直ぐさま願いは聞き入れられて、あの大きな邸宅でウェイと再会です。
「こんにちは。アーシャ。こんなに早く再会できるとは思っていなかったんだけどね。」
「善は急げです。こんにちは。ウェイ。」
相変わらす優しげで癒やしオーラが漂っている。…この物騒な場所でってのが、すごいよね。
「モストダークの有力者になるウェイにお願いがあります。ここモストダークの地図を私に作らせてください。」
私は深く頭を下げた。
「地図を作るってことはここのことが外部に知られるってこと? 僕達だけが知る道って便利なんだけど。君に許可を出すことでどんな利点がある?」
「確かに街のことが知られます。つまりモストダークの存在が明らかになります。王都で無視出来なくなるんです。王都側は国を管理し守るために地図を手に入れたいんです。知ってますか? 王立図書館のあるこの国の地図のスラムは真っ黒に塗りつぶされているんです。ウェイの言うところの存在しない状態です。今まではお互いに存在を知りながら無視していましたが、地図をきっかけに王宮と対話をしてはどうでしょう? いきなり王宮側がスラムの統治をするのには無理があります。ウェイ達の力が必要なはずです。例えば、地図と引き替えにモストダークの道路の整備を交渉してはどうでしょう。」
モストダークのインフラはよくわからないけど、道路に関しては土の部分の多くがガタガタだ。ウェイ達、ここの住人では道路の整備は出来ないとみた。
「地図一つで道路全部の整備は無理だよね。」
「だったら、税金を納めてその分造ってもらえば良いのでは?」
「ここに住む人って王都で税金払えなくて流れてくるって知ってる?」
「だからウェイ達がまとめて整備費として払えば良いんじゃない? そりゃ大っぴらに言えないような仕事もしているんだろうけど、それなりにお金あるんでしょ。モストダークの道路がキレイなれば治安も良くなって、違う仕事だって出来るようになるわ。」
はあはあ、一気に言って疲れた。ウェイにうながされてソファに座る。
「地図上で黒塗りの存在しないものとして扱われていたモストダークの存在が明らかになるんです。王都にとって存在が無視出来なくなるんです。それって気分良くないですか?」
言い切った。
ウェイから胡散臭い笑顔が消えた。
「……」
「私は気分良くなります。」
「…地図が出来てもその先の対話や交渉はどうなるか分からない。それでも貴方が地図を作りたいと言うなら僕は手伝いたいと思う。貴方に危害が加えられないよう根回しはしよう。」
私達はガシッと手を握り合った。
同士ね。
◇◇◇
残暑残る秋の初めから、私のモストダークの地図作りは始まった。
私は毎日辻馬車でキッカの住む街へ行き、そこから歩いてモストダークへと通った。
冬は薄くボロいコートを重ね着して、靴下も何枚も重ねてブーツを履いて、帽子にマフラーを装備し、かじかむ手で何枚もスケッチした。どうつながっているか分からない道は何度も歩いて確認して作図した。
野良犬に追いかけられたり、シッシと住人に追い払われたりすることも多々あったが、よそ者に関心の無い住人達も毎日のようにウロウロしている私と段々話すようになり、ウェイが一緒に歩き回ることは少なかったが行き場所の制限を受けることも無かった。
一度ウェイ達と敵対する組織に捕まったが、帰宅しない私を探しに来たウェラー隊長に助けられたこともあった。ボサボサの髪に伸びた髭、何処の誰だか分からないようにして現れた時は純粋に驚いた。隊長の顔の広さと強さを改めて感じたよね。その後、ロベルト様の指示の元、カフールさんが正式に私の護衛として付けられた。ウェイにカフールさんを紹介して「私の側に居るならモストダークに入って良い」という許可を取ったのは記憶に新しい。ウェイは私を守れなかったことを大層悔やんで、仕方なく許可したと言ったところだ。
モストダークで私が貴族であると言うことは誰にも言わなかった。貴族の力は使わなかった。貴族と分かったら距離を取られて地図作りに影響が出そうだし、攫われて身代金でもサウザント家に請求されたら困るからね。
通ううちに、小銭をねだられたり、見かねた私がコートをプレゼントするくらいにはモストダークの住人と仲良くなった。特に女の人、たくましく生きている人もいるけれど、流れ流れて幼子を抱え、食うや食わずの人も少なからずいたのだ。幼子には戸籍なんてない。ウェイと同じ存在しない子だ。母1人子1人なんて見てしまうと自分の子供時代を思い出してしまってね。単なる施しは救いにならないのは知っているけど、私達親子だって誰かの施しで一時的にでも助かった経験はあるのだ。
雪が降ってモストダークに行けなければ住人の心配をし、ひどい風邪が流行れば医者にかかれない住人の心配をして、厳しい寒さを乗り越えられなかった人々のために涙を流した。
一週間に一度王宮治安相談部屋に顔を出し、貴族の生活と極貧の生活のギャップに悶々としながら、5ヶ月ほど私はモストダークに通ったのだ。
すっかりスラムの汚い言葉遣いも覚えちゃいましたわよ。




