聞き上手
モストダークから帰った翌日、私は気分転換するべく王宮へは行かないで、自主的に休日を満喫することにした。
何かもう疲れちゃったのよ。
「めんどり亭に行ってエイダさんに会うのは絶対でしょ。お風呂に行くも良いよなあ。」
ポニーテイルのしっぽを揺らしながら、通い慣れためんどり亭への道を歩いて行く。昨日早寝して、今日は遅起きして身体の疲れはすっかりとれた。でも朝食は食堂で食べ損なった。屋台で買ったフルーツ盛り合わせを代わりに摘まんで食べている。
めんどり亭に入れば、すでに朝食が終わり、宿泊客も大半が出立して、店内には後片付けと掃除の音だけが響いていた。
「……」
カウンターの中からマスターが私を無言でじーっと見つめている。何か私の顔に付いている? いつも以上に視線が刺さる。
「こんにちは? 今日はエイダさんは何時くらいに出勤ですか?」
「遅番だ。」
ふむ、午後からか。それならその間にお風呂に行こうかな。私は「また来ます。」と言ってめんどり亭を出た。
◇◇◇
以前街を歩き回っていた時に見つけた大衆浴場、すごーく広い湯船があって、男女別に大勢で入浴するらしい。
気になっていたけど恥ずかしい気持ちの方が上回って、お風呂に入りに行こうとは思えなかったんだよね。でも、全身スッキリしたい今、行くなら今でしょ!
ーーーー結果、入って来ました。
ホカホカです。色んな意味でテンション高いです。まだ心臓ドキドキしているよー。身も心もピカピカ、心機一転ってこの事よね。
布で身体を隠しつつ、広ーい湯船に浸かり、幾人もの女性と並んで身体を洗う…未知の世界でした。大量のお湯ってすっごく気持ち良いのね。色んな体型の方がいましたわ。うふふ、私なんて、まだまだお子様体型です。
◇◇◇
再度、めんどり亭に戻って昼食を頂く。
魚をフライにしたものをパンに挟んだものと絶妙なお酢加減のピクルス、インゲンとコーンのバター炒め。相変わらず、良い仕事してますね、マスター。
あー、久しぶりに美味いと実感出来るご飯だわ。一口食べるごとに、ウンウンと頷いてしまう。ニコニコ笑顔が止まらない。幸せを感じるってこういう事よね。
食後の紅茶はマスターの分も一緒に自分で淹れて、ゆっくり薫りを楽しむ。ゆったりと食後を過ごすのも久しぶりだわ。
美味しい食事に心身ともに満たされた頃、エイダさんはやって来た。
「こんにちは、アーシャ。あら、今日はやけにまったりしているのね。でも…なんか私に言いたいことあるでしょ。眼が訴えてるわよ。ねぇマスター、今日は残業するからその分今、時間をちょーだい。」
エイダさんはマスターの返事を聞かず残業は決定事項として、いつものように私の隣りに椅子を寄せて座った。
「思い出したくない過去の自分と似たような状況の人を目の前にして、なんとかしてあげたいって動くのは自己満足なんでしょうか?」
「ふーん、それって自分のこと? 自己満足でも何でも、出来範囲でするなら良いんじゃない? …アーシャ、何かしようとしているでしょ。後押しの言葉が欲しいなら言ってあげるけど、見た感じ、もうすることは決まっているみたいね。」
エイダさんに言わせると、何かを決心しているように見えるらしい。深刻そうでありながら、スッキリしてもいるようで。
決意は出来た。
それなら早く行動した方がいい。
「エイダさん、聞いてくれてありがとうございました。また、来ますね。」
◇◇◇
私は休日を切り上げて、王宮へ戻った。まだ皆、仕事している時間だ。変身しなくちゃね。
ーーージャーン、久しぶりのレディ・アンの登城ですわ。
「ごきげんよう、皆様。本日はお休みしますと連絡致しましたが、ルーデンス殿下にお願いがあって登城いたしました。お話の時間をとって頂きたく思います。」
扉を護衛の騎士に開けてもらうや否や、私は言い切った。王宮治安相談部屋にいたのはルーデンス殿下にロベルト様のお二人だけ。
ロベルト様や護衛騎士の何だという怪訝な視線は無視して、頭を垂れる。
ただ1人一切動じていない様子でルーデンス殿下は執務机から立ち上がり、私をソファに招いた。
「今ここで良いのかな? レディ・アン?」
「はい。ありがとうございます。」
ソファに2人向き合い、視線を合わせて微笑みあう。
自分をしっかり持って主張しなければ、目の前の意外としたたかな皇子から欲しい言質は引き出せない。
「すでに私の動向に関する報告がルーデンス殿下には行っていると思います。思うことがありまして、私にスラム街モストダークの地図の作成の許可を頂きたいと思います。王立図書館にある地図のスラム街は真っ黒に塗りつぶされています。つまり国側はスラムの様子を充分に把握していないってことですよね。国の役人はスラム側に受け入れがたく地図の作成は困難と予想されます。」
「今までスラムの地図は無くてもどうにかなってきた。今さら無くても問題はないと思うが。」
「地図の閲覧を許可した者にだけ許しているんですから、地図の重要性は知っています。国の中に知らない場所があるのは不本意なのではないですか? 今まではスラムの地図を作りたくても作れなかったのかも知れません。ですが今、作ることが出来る可能性があるのです。見逃すには惜しいと思いませんか?」
ルーデンス殿下の眼がキランと光る。口角が上がる。…食いついてきた?
「地図作成の先に何を企んでいる? まあ、いい。向こうはお前が地図を作ることを了承しているのか?」
「いえ、まだ話をしていません。まずは許可を殿下に頂こうかと思いまして。地図を作るとなれば、こちらでの仕事は出来なくなりますので。」
「向こうが作っても良いと言ったなら、作って良い。地図優先の仕事で構わない。ただし、1週間に1度は進捗状況を知らせに登城せよ。」
目の前には、フンと鼻で笑っているルーデンス殿下の姿がある。
えっ、ええっーーーー
希望通った? 通っちゃった。
ーーガタンーー
「殿下!」
椅子を倒し、立ち上がってしまったロベルト様が遠くに見えた。
「親切なイケメンと仲良しになったんでしょ。なるのかな? 彼の力と貴族の身分をうまく使うと良い。後は君の努力しだいだ。スラム街は広いよ。」
覚悟は出来てる。
ルーデンス殿下が「今日はお土産無いの?」なんて言っているわ。ロベルト様に至っては、苦虫を噛み潰したような顔で私を見つめている。「何で自分から苦労を背負いに行くのか?」と眼が訴えている。
地図作成は目的の第一歩。
私だから出来ることと信じて行くしかない!
私は立ち上がり、貴族の最上礼をとり、優美な微笑みを浮かべた。




