ターニングポイント
15歳を迎えた頃も、父の仕事の手伝いとして書類の清書や計算をしていたが、丁寧な仕事ぶりが好評を得たようで、渡される書類の分野が多岐にわたるようになってきていた。
父の管理する領地は王都にあるお屋敷から馬車で半日もかからない。他貴族と比べるとやや狭めの領地だが、河川に恵まれた近郊農業地として潤っていた。比較的王都に近い場所にあったので、少なくても週に1度はゲランお兄様と父は領地へ出掛けて行った。
帰ってくるとむこうで上がった報告を書類にまとめるわけで、その手伝いが最近の私のおもな仕事だ。
友人がいない私なら報告書の内容が他に漏れることもない。お茶会や夜会に行くことも無いのだから。
それにまあ、一応これでもサウザント家の一員なので、ちゃんと守るべきものは守りますよ。ここまで養ってもらったしね。
刺繍の時間がとりにくくなったのが残念だった。優先順位1位は父に頼まれる仕事だ。
…単純な数字の羅列であっても、おなじような書類を扱っているうちに、自然と何を表しているか私は学が少ないながらも理解してしまった。口にも顔にもそんな素振りは出さないけど。少ない情報から大事な情報を見つけるのは得意なんだな。色んな意味でそうやって暮らしてきたからね。
きちんと仕事をこなしているうちに、父やお兄様からそれなりの信頼がもたれるようになったようだ。
ゲランお兄様の目は相変わらず冷ややかだが、直接書類の指示を受けることもあった。お兄様から直接話しかけられたのは久しぶりだったので、驚きですぐに返答できず、舌打ちされたけど。
そんな中、王都の王立図書館までおつかいを頼まれた。
私が日々の生活の合間にお屋敷の図書室に通っているのを父は知っていたのだろう。単に解らないことを調べに行っていただけなんだけど。持ち出し目録はほぼ私の名で埋まっていたから、本好きと思われたのかもしれない。
目録をよく見れば、「植物百科」とか「染み抜きのコツ」とか定番「貴族年鑑」って書いてあったんだけどね。基本、私以外のサウザント家の皆は、必要な本は自室に持っていたから図書室に行かなかっただけだと思う。
ご褒美も兼ねていたのだろう。
昼食後執務室に顔を出すと、父にメモを渡され言われた。
「王立図書館でこの本を借りてくるように。暗くなる前に帰ってくれば良い。」
「…わかりました。」
「馬車に乗って行くと良い。」
思いがけない父の言葉に驚いて私はとっさに返事できなかった。こういう時は流石に顔に表情がでてしまう。さぞ、驚いた顔をしていたに違いない。
身支度を整えて玄関に行くと、御者が不本意そうな顔で私を待っていた。本来ならそんな態度は貴族からしたら咎めるべきだろうけど、私は長年の習慣でお屋敷の者に対して強く出ることができない。「お願いします。」と最小限の言葉しかかけることが出来なかった。
馬車に乗るのは社交界デビューの時以来だ。それも今回は1人で。
馬車の中は私だけ。ジッと乗っているだけでは勿体ない。窓のカーテンの隙間からそっと街を覗き見る。はしたないとたしなめる人もいないし。初めて見る景色ばかりだ。ドキドキが止まらない。こんな気分は久しぶりだ。
王立図書館は貴族が多く住む上位地区と平民が多く住む下位地区のちょうど中間に建てられている。誰でも利用ができる。専門書から絵本まで、多くの本が蔵書としてあると聞いている。貸し出しには身分証が必要だが。
私も図書館の場所は知っていたが、お屋敷からはちょっと遠くて、徒歩で行くには時間が足らなかった。普段お屋敷を抜け出して行っていたのは30分ほど歩いていける範囲の下位地区の一画だけ。どれだけ私が興奮したかわかるだろうか。
馬車停めで私は降りた。
「4時にここに来てください。」御者の言葉に頭を下げて答えた。
芝生の間に続く石畳の道を歩いて行くと王立図書館の正面に出た。
立ち止まり建物を見上げる。大きい…
口元がにやけるのが自分で解る。慌てて下を向いた。いくら流行遅れのドレスを着ていても、端から見たら貴族の娘でしかない。にやけ顔はまずいだろう。何事も無い顔をして図書館の玄関へ私は入っていった。
無骨な石積みの建物で、窓は少ないが明るい屋内であった。何万冊の本があるのだろう。本独特のにおいがする。
図書館内部の案内図を見てみると、2階建てで地下もあることがわかった。
普段、貴族というと家族にしか会っていないので、貴族らしき人とすれ違うだけで緊張してしまった。会釈でやり過ごす。でもつい、髪と目の色でどなたか、貴族年鑑の記載を思い出してしまったことはすごいことだよね。
父から頼まれた本は貴族しか立ち入れない場所にあるようだ。さっさと用件を済ませてから他を見ていこうと決めて、私は歩き出した。
父からの紹介状を示し、貴族しか入れない場所に立ち入る。
他の場所と違い行き交う人は殆どいない。
頼まれた本は税収に関するもので、法律の棚にあるようだった。
さすがに沢山の本が並んでいる。大きな棚で8つも場所を占めている。
私は目的の本をすぐに見つけたが、その近くにやけに使い込んだような分厚い本があった。思わず分厚い本に手を伸ばして手に取る。丁度側にあった椅子に座ってページをめくった。
貴族に関する法律の本だった。
「…見つけた。」
何でそのページを開いたのかは解らない。
息が止まるかと思った。
気が付くと父から頼まれた本を抱きしめ馬車停めに立っていた。まだ迎えの時間まで間はあったが、立っていることしかできなかった。
投稿スピードが今後遅くなります。申し訳ありません orz