貴方の名前
今、私の目の前にいらっしゃるのは、何度見ても癒やされる美しさを持つ『親切な彼』です。ルーデンス殿下達に見慣れている私が太鼓判を推すわ。誰が見てもステキと思うはず。だって何て言ったら良いかな…ただ優しいだけでなく、人を見下していないと言うか、良い人感であふれているのよ。
貴族年鑑を頭の中でいくらめくっても、彼に該当するような人物はいない。だから貴族ではないと思う。…整ったお顔立ちは断然貴族に多いのだけどね。ほんと、どこの誰なんだろう?
ドキドキする胸を押さえて彼の前に立ち、私は丁寧に頭を下げた。
「先日は転んで膝を痛めた私を辻馬車まで運んで頂きありがとうございました。とても助かりました。私、ぜひ、もう一度会ってお礼を言いたかったんです。」
「困った人を助けるのは当たり前のことだから。そんなに力まないで。膝を怪我した君のことは覚えているよ。少し今日は感じが違う気がするけど…その様子なら、もう膝は大丈夫みたいだね。(ニコッ)」
「は、はい。おかげさまで、もう何ともありません。」
優しくされることに慣れていない私だから、なんだか背中がムズムズする気がする。柔らかいテノールボイスが心地良い。
気が付けばキッカが、私の前掛けの裾をクイクイと引っ張っていた。私がかがむと、ニヤニヤして耳元で質問してきた。
「この人が探していた人? すげー格好いいな。お姉ちゃん、一目惚れしたのか?」
「前半はアタリ。後半のはハズレ。」
私はキッカを自分の身体から引きはがした。微笑ましそうに彼が私達を見ている。
「質問しても良いかな? なんで君たちは、そんなに一生懸命に僕のことを探していたの?」
コテッと首を傾げて、彼は一歩私に近づき、顔をグイと近づけた。
思わず後ろに下がる私。
「どうしても貴方の名前を知りたかったんです。そして、この子は私の手伝いをしてくれたんです。」
「僕の名前を?!」
「そうです。だって、皆に親切にしても名前は誰にも言わないでいつも去っていたでしょ。皆の知らない貴方のことを私は知りたかったんです。」
知りたかったのは本当の事。ルーデンス殿下達に『親切な彼』が何処の誰か探れと言われたことは言わない。
(こんな良い人っぽいなら、若い娘のお願い聞いてくれるよね。)
心細げに見上げるようにして、私は彼の返事を待った。
「君のお願いは聞いてあげたいけど、僕はこの世に存在しない人なんだ。僕の名前なんて無意味なんだよ。…君、僕が何処の誰だか知りたいんでしょ。でも探せないよ。存在していないんだから。」
はかなく、自嘲するような微笑みを浮かべて彼は言葉を吐いた。
そのままクルリと私達に背を向けて「それでもお礼の言葉は嬉しかったよ。」と言うと歩き出す。
頭が働かなくて動けなかった私は、無理やり足を動かして追いかけた。彼の背に向かって手を伸ばし、必死に声をかける。
「ま、待ってください。貴方にとっては無意味でも、私は貴方の名前が知りたい。だから、名前を教えてください。」
彼は驚いた顔をして振り返った。そして嬉しそうに笑うとしょうが無いと名を教えてくれた。
「僕の名前は、ビーアウェイ。遠い国の言葉で「いない」って意味らしいよ。あまり好きな名ではないから、ウェイって呼んでほしい。君の名は?」
「ウェイね。私はアーシャ。私にとってウェイは目の前にちゃんと存在しているわ。無意味なんかじゃない。」
「アーシャか。可愛い名だね。」
キャー、可愛い名だなんて初めて言われたわ。勝手に顔が熱くなってきた-。
「ウェイは自分の存在を分かって欲しくて色んな人に親切にしているんじゃないの? 実際、貴方の親切で多くの人が助かっているわ。私もその1人よ。私も貴方のように誰かの手助けがしたい。私にあなたの手伝いをさせてくれない?」
熱くなった私はいつの間にか熱くウェイに語りかけていた。…あれえ、冷静な私は何処にいった?! キッカの視線が痛い。こいつ何言ってる?!的視線で見ないでえ。
親切な彼の名を突きとめるだけのハズが、私まで親切な彼女になろうとしている。まあ、一緒に居れば彼が何処の人なのか、何をしようとしているのか分かると思う。純粋にこの人のこともう少し知りたい。なぜ、自分が存在しないとか無意味と言うのか知りたい。それにルーデンス殿下の指示もこなせるし、一石二鳥よね。私の頭の中でどんどん捕らぬ狸の皮算用的思考が膨らんでいく。
「…君の存在で何か変わるかも知れないね。僕を探るなら探るがいいよ。明日、9時にここで会おう。小さなナイト君も来たかったら来ると良い。」
今度こそ、ウェイは去って行った。
去り際に彼が右手を挙げると、どこからともなく4人もの屈強な男が現れて、彼を囲んでいく。
(なにあれ…)
ちょっと引けてきた。私、早まった? 関わっちゃいけない人だったかな?
自分を存在しないと言い、自分の名を無意味と言う人。あんなにキラキラしていて存在感があるのに。身に付けているものだって、派手ではないけど粗末なものでは無いし。貴族に準じるかそれ以上に裕福とみた。仕草は貴族でないと思うけど、気配りは十分出来ている。十分に恵まれた生活をしているはずだ。
彼が何処の誰だか知るのも大事だけど、自分の存在価値を分からせたいと私は思ってしまったのだ。お節介と思われてもしようが無い。
「キッカ、今日もお手伝いありがとうね。明日はどうするの?」
「俺、明日も来るよ。なんか楽しそうじゃん。」
「家の手伝いはしなくて良いの? キッカの仕事があるでしょ。」
「ちゃんとやっているって。」
ふむ。まあいっか。
「明日もよろしくね。」
私はべっ甲色の飴の残りを駄賃としてキッカにプレゼントした。眼を見開いて、飛び跳ねている。
ニコニコとして飴を持ち去って行くキッカを見て、私は久しぶりの充実感を感じていた。
「さあ、明日も頑張るぞ。」




