図書館職員のノワール伯
お読み頂きありがとうございます。
年越しの人気の少ない日に王立図書館を訪問した時は、石積みの図書館は音をみんな吸収したかのようで石壁は冷やかであった。でも、今日は同じ図書館なのに石積みの壁が温かみあるように感じる。気候が違うせいばかりでは無いだろう。私の心持ちが違うことが大きいのだと思う。
だって、以前以上に図書館に来られたことが嬉しいのだもの。
建物に入れば、思っていたより来館者は少なかった。良い天気なので、庶民は皆洗濯やら畑仕事やら各々の仕事に勤しんでいるのだろう。自由な時間のある本好きだけがここに今居ることになる。うん、濃厚な本の匂いがするのは良いね。
王立図書館内の壁には相変わらずたくさんの絵画が飾られていて、その一部が変えられていて、今回も私は絵画に見入ってしまった。
「人物画に風景画、静物画。相変わらず色々な分野の絵を飾ってあるわよね。どうしたらこんなタッチで筆が使えるのかな。絵を選考する基準があるのかしら…殿下に聞いてみたいものよね。」
近づいたり離れたりして絵を鑑賞するのは私1人しかいない。本を読む時間が減ってしまうので、気になる絵だけ数点だけ移動しながら鑑賞している。
王宮にも廊下や階段にデーンと絵画が飾られているが、じっくり観ていると不審人物と思われそうで、未だに鑑賞できないでいる。ここでならどう見てたって良いよね。
「ご婦人、何か良い絵画がありましたか?」
何時ぞやと同じように背後から私に声がかけられた。こんなことをする人物には1人だけ心当たりがある。たぶんその人であろう想像しつつ振り返れば、やはり黒髪空色の目のノワール伯がにこやかに立っていた。
黒髪おかっぱで茄子色の事務服を着た私が誰であるか、知るはずが無い。知られる必要は無い。だから離れるべきである。
「素敵な絵がたくさんあるのですね。」
貴族というには素っ気ない一言だけ言葉を返し、私は曖昧な微笑みを浮かべ口元を手で隠し「オホホ」とその場を立ち去さることにした。アーシャマリアを知る人物に会うのはダメダメだ。
背を向けた私に声がかかる。
「今日は地理の書棚には行かないのですか? レディ・アン。」
んん? 冷静に冷静に…私、まだ名乗っていないよね。心に渦巻く不審の嵐を押し込め、平静を顔に貼り付けて私はクルリと振り返る。
目の前には穏やかな雰囲気を纏ったノワール伯がニコニコして立っているのみ。私は悟った。
(この人もルーデンス殿下の仲間達の1人なんだ…)
「殿下から今日貴方がここを訪ねるということを伺っていましたのでね。お会いできるのを楽しみに待っていたんですよ。……失礼……素晴らしい装いですね。予め知っていなければ貴方だと気が付かないところでした。」
和やかにノワール伯は失礼の無い程度の距離を保ちつつ、サッと私の全身を見つめ確認した。その瞳は私を責める訳でも咎める訳でも無く事実を確認しただけであった。穏やかな物腰と話し方は「この人は敵では無い」と私に十分理解させるものであった。かといって殿下の知り合いって時点で味方とも限らないのだけど。
ノワール伯は「王都と皇国の地図はすでに用意してある」と私に告げ、貴族しか入れない場所へと私を案内していく。
(これじゃ、ついていくしか無いよね。)
すれ違う人が何人もノワール伯に会釈していく。普段から身分に関係無く図書館に来る人物に接しているようで、貴族・平民関係無く挨拶を返していく。
(皆に好かれる良い人なんだろうな。でも殿下の仲間なんだよなあ。必要以上に近寄るのは危険っと。)
そうこうするうちに、貴族しか入れない場所に到着です。
ノワール伯と一緒だったせいか受付に身分証を提示することもなく、中に入ることが出来た。
書棚の側の大きな机の上に、何冊かの本と大きな筒状に丸まった用紙が置いてある。どうやらあれが予め用意してあったものらしい。
筒状の用紙を広げて見れば、それは大きな王都の地図だった。
「きれい…」
王宮と主要な建物は絵で描かれ、建物は四角で表され、上位地区と下位地区の境目は太い黒線で書かれ、各地区ごとに色分けされている。地図の中心には王宮へ向かう大街道、枝のように続く道路、血管のような路地。細かな文字で地名がびっしりと書いてある。一番面積を占めるのはもちろん王宮だ。前宮に中宮、後宮は大まかに描いてあるが詳細が省いてあるのは国防のためだろうか。あと気になるのは真っ黒な部分があること。道路までは描いてあるみたいだけど、その周りは真っ黒に塗りつぶされている。…ここどこ?
…ああ、治安が悪いっていうスラム街ってところだろうな。
私は茄子色の服のポケットからあらかじめ書いておいたメモを取り出し、地名を確認していった。
地名をつぶやきながら地名を探していれば、横からノワール伯が補足するようにどのような土地柄か説明をしていく。ほー、ノワール伯は博識ですね。
警備に関する用語の本をめくり、私が質問をすれば、ノワール伯は更に蔵書を持って来て説明してくれる。この人、司書のレベル越えてるよ!
ひとしきり勉強の様な時間を過ごせば、私にとってノワール伯は尊敬するしかない人物となっていた。この人辞書みたい。
(こんなに勉強したのは久しぶりだわ。あー、頭が破裂しそう。でも頭が良くなった気がするわ。)
私は首をグルグルと回し、手で肩をグニグニと揉んだ。貴族の令嬢ならこんな所でしない仕草だけど、今の私はレディ・アンだもんね。
「知りたいことは知り得ましたか? これから私が言う言葉は独り言です。要らぬお節介かも知れません。良かったら聞いてください。」
不安げな水色の瞳がかすかに揺れたように見えた。ノワール伯は言葉を続ける。幸い私達以外に周りに人は居ない。周りにあるのは本ばかり。
私はどこかで聞けることを望んでいたのかも知れない。聞けることを知っていたのかも知れない。
自然と背筋を伸ばし、これからこぼれる言葉に耳を傾けていた。
ノワール伯は名前のような黒い人にはしたくないのですが…書いていると貴族というだけで裏のある人物になってしまうようです。
以前、ノワール伯からエイドス様呼びの許可をされていましたが、日がたってしまってノワール伯呼びに戻ってしまったってことで…エイドス様呼び忘れてましたorz




