こうして私はつくられた
沢山のブックマークありがとうございます。ビビりな私は大変恐縮しております。今後も温かい目で見守っていただけると嬉しいです。
母は風邪を長引かせたある朝、気が付いたら亡くなっていた。心臓麻痺だったのだろうと検死にきた医者に言われた。
思い返せば、私と一緒の生活と離れての生活を繰り返すことが、結果ダイエットを繰り返していた様なもんで、身体に負担をかけていたのだと思う。
髪の色が薄くなったのは年のせいよなんて言われていたが、違ったのかも知れないし分からない。
だから私はちゃんと食べる。
社交界デビュー後、私の「貴族としての教養」を身に付ける学習の時間は無くなった。ドルシエ先生から、教養が身についたとの報告を受けてのデビューだったようだ。姉達は引き続きマナーや上品にみえる仕草の勉強を続けていたけどね。
この頃、私のお屋敷にふたつきに3週間という変則的な滞在は無くなり、時々父から頼まれた仕事をするために1日、2日泊まる形になった。仕事といっても、私が読んでも差し支えない書類の清書と計算だけで、主に庭師小屋から通いで洗濯と掃除をしに行った。
学習の時間が無くなって、いっきに開放的な気分になって、内職頑張るぞーと思っていた。
そんな矢先の母の死。母がいなくなり、悲しみは大きな喪失感としてずっと私にまとわりついた。
感情が欠落したくせに、ふとした時に気が付くと、涙が勝手にこぼれていた。
葬儀の参列者は父と二人のみ。街外れの共同墓地に母は葬られた。
母に親戚縁者はいなかった。いれば父の屋敷の中で囲われる愛人のような生活は選ばなかっただろう。事業に失敗した商人の娘…と聞いたことがある。そのせいか勉強して知識を持つことの大切さ、手に職を持つことの有り難さを知っていたように思う。
ホロホロと涙をながす父を見ていると、父なりに母が好きだったのだと理解した。私にはまだ恋愛感情は分からないけど。
「屋敷で暮らさないか?」
「お言葉は嬉しいですが、今までと同様に暮らしたいです。」
丁寧すぎるほどの礼を言葉に添えた。親に向かってこんな礼をとるなんて、嫌味な自分に笑える。
生活のすべてを一人でするのは大変かも知れないが、居心地の悪いところに居る時間は少ないほど良いに決まっている。母との思い出多いこの庭師小屋で暮らしたい。とつとつと訴えてみた。
父はちょっと悲しそうな顔をし、残念なことに私の願いは叶わなかった。貴族の小娘一人で住まわせる訳はないよね。
庭師小屋の片付けをしたあと、私はお屋敷の部屋に移った。
…葬儀後、誰もいなくなって初めてワンワンと私は思い切り泣いた。
◇◇
ゲランお兄様は父の領地管理の仕事の手伝いを主にしていた。あと数年して、結婚すれば実質領主になると思われる。残念ながら、理想が高いのか、まだ婚約者さえ居ないのだが…これは禁句だ。
私の社交界デビューのエスコートをしてくださったのはゲランお兄様だった。フローレ様と同じような冷ややかな眼差しに私が慣れることは無い。初めての公式の場でのダンスは嬉しさよりも、ゲランお兄様の足を踏んだらどうなるかばかり考えて終わった。その後、私は一度も公式の場に参加したことは無い。
社交界デビューは貴族戸籍に所属する者は必ずしなければいけない事項の一つだ。
戸籍に名があるのに16歳までに参加しないと、存在を抹殺されたものとして、その家に王家の名のもとに調査が入る。その時点でもアウトだが、本当に殺していたり虐待していたことが発覚すると、それなりに罰せられる。
貴族は王家に従い尽くすことを求められるが、それなりに守ってもらえるのだ。
まあ、私の扱いもあまり良くは無かったが、命の危険が無く、色々勉強する機会を与えられていたから、恵まれていたほうなのだろう。
フローレ様にお会いする機会は夕食の時以外あまりなかった。フローレ様が夜会に参加していれば会うことは無かった。
私のことを目にしたくない意向の元、私が遠ざけられたからだ。
お屋敷に私がいるとき、家族の誰かが居れば、私はお屋敷の食堂でその人と共に食事をすることができた。誰も居ないときは、使用人のまかない飯を分けてもらい自室で食べた。ちゃんと食べなくちゃいけない。これは鉄則。
お屋敷に住むようになった私がお願いすれば一応は使用人達も用事をきいてくれるようになった。だけど私も余計なお願いはしないけど。基本自分のことは自分でする。母の教え通りに。だから相変わらずベッドシーツと下着は自分で洗濯して、自室の掃除はしていた。
お姉様達はお年頃になって、お茶会や夜会への参加で忙しいようだった。
流行のドレスを仕立て、流行の小物を身に付け、自分磨きに余念がなかった。
流行遅れになったドレスの中でも、今ひとつのものが私へのお下がりドレスとなった。いつまで経っても嫌がらせは終わらない。社交の場へ顔を出さない私には着れるドレスというだけでよいのだ。お屋敷で家族に会うときだけドレスが必要なだけだから。
掃除、洗濯などの時には袖や裾の広がっていない侍女の服で十分なのだ。
フローレ様やお姉様方が私のことを「家から出たがらない社交に興味の無い偏屈な娘」と噂を広げてくれたのは、私にとっても願ったり叶ったりだった。
社交の場には行かないものの、その時その時に合わせて、自分をどう見せれば良いか、どう振る舞えば無難にやり過ごせるか、は十分に訓練されて上手くなっていた。家族の前ではやや俯き加減に立ち、逆らうこと無く取りあえず従う。心の中でどう思っていても。
半分だけとはいえ貴族の娘である私は街へ一人で出掛けるなんて許されなかった。私1人のために馬車が出されるなんてこともない。
でも幼い頃から母とは何回も街へ行っていたのだ。こっそり外壁の崩れた一角をよじ登り、屋敷を抜け出す。普通の貴族の娘なら決してしないだろう。思い出の道を歩いて行く。侍女の服をちょっといじって形を変えて、刺繍をすれば街着のようになった。髪は後ろで一つに結べば良くいる街娘だ。
こうやって昔なじみの洋品店に顔を出し、もう内職は出来ないことを伝え、代わりにハンカチに刺繍したものを見せて買い取ってもらい、小遣いを稼いだ。
街を散策することで心の平穏を取り戻した。町娘として会話をすることで表情を取り戻した。
やっぱり庶民が自分には合っていると思う。
やっと1話目に近づいて来ました。めざせ!口が悪いけど明るくて健気な女の子!