かなわない相手
高位な身分を持つ成人男子様3人が、一通りの話と軽食を終えるのを私はそっと待っていた。
…コノヒトタチニ、コレイジョウカカワッテハイケマセン
「で、アーシャマリア嬢はいつから私付きの事務官として働いてくれるのかな? 考えたことも無いって言うから考える時間はあげたよね。十分な給料は支払うし、官舎に部屋も用意する。私に近いものとして待遇も良くなるよ。」
ーーギロン
私は首だけを金髪が眩しいお方へと回した。
手に持ったお茶をこぼさなかった自分を褒めたいね。
今から言うことは不敬罪でも、反抗でも無い。と私は思う。
自分より上の階級の人に、自分の意見を言ったって良いよね。
ちょっと手が震えてきたかも…もしも、不敬罪になっても命までは取らないよね。
「ルーデンス殿下、私が直属の部下になることはあり得ません。なりません。お断りします。」
私はお茶をサイドテーブルの上に置き、立ち上がって、殿下達を見下ろすようにして、淡々と言っていた。
「一庶民として市井で暮らすのが私の願いです。私は貴族戸籍から名が排除されて、平民戸籍への移動の申請がなされているはずです。ロベルト様から私がまだ貴族戸籍から名が抜かれていない仮平民と伺いました。申請の手続きを途中で止めたのはルーデンス殿下ですよね。」
「そう、申請書類を王様が受理しなければ、戸籍は変わらない。だから王様に受理をちょっと待ってもらっている。私の部下になるなら貴族でいた方が良いのでね。」
「詭弁です。法律に沿って行われた事をねじ曲げるのは王族であっても許されません!」
金色の髪をかきあげ、翠色の瞳が私を面白い物を見るように細められる。
ロベルト様とランセル様はジッと私達を見比べている。
…あぁ、息が上手く出来ない。冷や汗まで出てきた。
王族への説教なんてするもんじゃない。会った事なんて無くても貴族として王族への忠誠は幼い頃からたたき込まれている。不敬罪のことも嫌と言うほど教育されている。
直接的な暴力を受けたフローレ様の事が今でも苦手なのとはちょっと違う。
してはいけないことをしている感がハンパない。
でも、だからって私は言うことを聞くしか無いの?
「ちゃんと最終的には受理するよ。じゃあ、言い方を変えよう。貴方は王家に従い尽くしたかな?」
ルーデンス殿下の言葉が頭の中に染み渡っていくようだ。
『貴族は王家に守られる代わりに、従い尽くす』……あぁ、そんなのもあったわよね。
この基本条文によって私の命はサウザント家で守られてきた。社交界デビューで無事に育った姿も貴族界に披露した。
確かにそれに対して、従い尽くすことでの恩返しはしていない。
私を見つめ口角だけで微笑むルーデンス殿下の顔を見て、私はゆっくりと首を振る。
床へ目が行く。
冷や汗は止まったけど、頭の血が足下に下がって来ている気がする。
うまく頭が働かない。
このままじゃ、平民になれない。
何か考えなくちゃ。考えなくちゃ。言わなくちゃ。
「…何らかの形で恩返しはするつもりです。」
「私の処で働けば、恩返しになるよ。」
頭が上げられない。
喉がカラカラだ。
後ろ盾も身分も何も無い私はうなずけば、この圧迫感から逃れられると分かっている。でも、うなずきたくない。
唇を噛む。血の味がする。
「強情だな。」
「殿下はいじめっ子だ。」
「ふん、ロベルトがうまく説得出来ないから私がここまで悪役になっているんじゃないか。アーシャマリア嬢、あと10日、時間をあげよう。その間平民としての生活を楽しむがいい。10日後にまたここへ来るように。お茶会をしよう。」
強張った表情のまま、私は貴族の最上礼をとり、一人で部屋を出た。
表に居た護衛騎士に声をかけ、スタスタと王宮の入り口を目指す。
◇◇◇
侍女や兵士など何人にも場所を聞いて、何とか王宮の入口まで戻って来た。
馬車止めを目指す。
でも馬車止め近くで足がもつれ、座り込んでしまった。したたかに膝を打ってしまって痛いハズなのに、痛みをあまり感じない。
あれっ?と思って、石畳に向かって握り拳を打ち付ける。何度も打つ。
「…夢でも見てるのかな、やっぱり痛くないや。」
右の拳を見れば、手袋は血が滲み土で汚れていた。
馬車止めに到着しても、まだエデンバッハ家の馬車は居ない。
私は移動して、そばの芝生に膝を立ててボーッと座る。ドレスだけどいいや。ロングだから下着は見えないよね。
膝を抱え小さく丸まる。
(何でルーデンス殿下はこんなに私にこだわるんだろう? 期限が決まっているなら部下として働いても良いかもしれない。でもルーデンス殿下の側にいれば否が応でも機密とかに関わる機会が出てくるだろうし。機密を知った人物をスンナリ手放すだろうか? 半分しか貴族の血を引いていないからいざとなった時に切り捨てやすいと思っているのか。…。)
「こういう事も2回目のせいか、前回よりはダメージ少ないよね。王族相手によく頑張ったよ私。願い事ってなかなか叶わないから、望むのかなぁ。……よいしょっと。」
遠くから馬車止めへと近づいてくるロベルト様の姿を目にして、私は立ち上がった。
「何してるんだ? 行儀が悪いぞ。…ほら、土産だ。」
「あっ…。」
ロベルト様が土産として私に渡した小箱の中には、先ほど目にした小ぶりな色とりどりのマカロンとシュークリームが入っていた。
あの人達に『私が平民になりたい』っていう気持ちは分からないだろうが、私の落胆ぶりは伝わっていたようで。少しは慰めようとしてくれたようだ。
「全部もらって良いんですか?」
「一人で全部食べる気か? …まあ、食べたいなら食べれば良い。」
「では、遠慮なく全部頂きます。」
小箱から漏れ出る甘い香りが私の鼻腔をくすぐる。小箱を胸の前でそっと抱きしめる。
甘いものは尖った心を丸くしてくれるよね。
◇◇◇
迎えの馬車が来て、ロベルト様と共にエデンバッハ家に戻った。
その後、私は着替えると直ぐさまエデンバッハ邸を出て、めんどり亭へと向かったのだった。ミルクティー色のドレスに薄荷色のコートを纏って。
堂々巡りで重いです。
早いとこクールデンに帰りますかね。




