馬車の中は密室
今乗っている馬車の乗り心地は、いつぞやの荷車の乗り心地とは雲泥の差があった。いや、比べること自体が無謀だろう。
馬車に乗り込み簡単な挨拶をした後、どんな拷問的訊問が繰り広げられるかと思っていたのに、無言の時間が続いていた。
(まぁ、穏やかな時間が過ごせるのは助かったわ。)
ロベルト様は腕を組んで眼をつむり、何か考えているようだ。
ランセル様は初めは外を見たりしていたが、今はどう見ても寝ている。まあ、良いけど。
私と言えば、背筋を伸ばしお行儀よく座っていた。表情は無表情を装っていたけど、心の中は嵐が渦巻いていた。
(そう、私、落ち着かないのよ! だってお兄様や父以外の男の人とこんな狭い密室になんて居たこと無いんだから!)
第三皇子とその取り巻きの方達。キラキラビッグフォーとでも呼べば良いのか。
王政において主力を将来担うと思われ、且つ見目麗しく上級貴族、誰もが知り合いとなり仲良くしたいと願う相手。しかも独身。
こんなのと一緒にいたら、私が貴族と思われていても令嬢達からは良くて総スカン。下手したら変な男をけしかけられて傷物にされかねない。平民と思われたらそれはそれで命の保証が無いかも…それくらい令嬢の嫉妬は怖い。怖いものらしい。
そういう意味でも私の心の中は色んなものがグチャグチャ入り乱れていた。
それにサウザント家のアーシャマリアがいなくなったことはもう貴族平民関係なく知れているだろう。どのように伝わっているかはわからないが。
その私が戻ったと分かったら、しかも第三皇子達の側に居るとなったら、混乱は避けられない。
まったく何で私を第三皇子は呼びつけたんだか…
考えろ、私。
権力に対抗できる力は、何?
法律?
まあ、目の前に法律にまで介入出来る見本がいるけど。
それでも時間があるときに図書館に行きたいな。法律の本が読みたい。
自分の身は自分で守る。
それが出来ないなら平民になる必要は無い。貴族という血に守られていれば良い。
「あのう、このまま王都へ行くとして私は『めんどり亭』に泊まれば良いですか?」
ロベルト様の琥珀色の眼がギロッと開いた。
「私の屋敷へ泊まってもらう。」
「はぁ?」
(私の命を縮めるつもりですか。)
「そのままでは王宮で皇子に謁見できないだろう? 支度はこちらで用意する。」
私の眉間にシワがよる。
貴族だった私ならこんな表情は見せなかっただろう。
でもこの人達、私の気持ちなんて何にも分かっていないし。どんだけ嫌なのか分からせるためにも、貴族で無くなったはずなんだから、感情は出す。
「支度の中に私の髪色と違うウイッグを用意してください。いなくなったはずの私がロベルト様のお屋敷や王宮をウロウロしていると思われたくありません。」
「私の屋敷の人間はそんなこと他言しないが…そうだな用意しよう。」
ほぼ対等な感じで会話する私とロベルト様をランセル様は不思議そうに見ていた。
「へぇ、ロベルト相手にハッキリ言うお嬢さんを初めて見たかも。頭も良さそうだな。確かにディック同様に、俺たちに媚びは売らなさそうだ。」
人当たりの良さそうな口調でランセル様が私の顔をジッと見て言う。
それでも短髪黒髪黒目は気さくな感じを与えてはいるけど、王宮近衛隊の騎士様なのだから、見た目通りではないだろう。危害を与えると判断されたらバッサリと除外されそうだ。
あー、怖い怖い。なんでそんな世界に再び関わらなければいけないのか。
けれども会話をすれば情報が手に入る。
世界の違う上級貴族の皆さんのことなんて、貴族年鑑でしか知らない。
心の嵐を押さえつけ、情報収集しなければ。
「ディックさんとはお知り合いなんですか?」
「ああ。」
「俺たちは士官学校で一緒だったんだ。ディックは平民だけど優秀でね。学校では身分が関係無いからその時の延長で今も会うと学生の時のように話をするんだ。一緒に王宮で仕事したかったんだけど、彼は警備隊を志願してね。今では警備隊の出世頭だ。…それでね、君も分かったと思うけど、ロベルトとディックは水と油だ。何だか相性悪いんだよね。そのくせ会えばお互いに絡むんだよ。」
プププとランセルさんが笑う。
反対に口元をへの字にゆがめるロベルト様。
「ランセル、余計なことは言うな。」
「君はディックと仲が良いの? どうして警備隊で働いているの?」
…上手いな。誘導尋問と一見気づかれないようにして聞き出すと。ウェラー隊長、あなたの何倍も上手ですよ。
何も気づいていない振りして返答を返す。
「まだ知り合ったばかりなので、仲が良いというわけではないです。もう知っているとは思いますが、身分が変わったことを知られずに新天地で生活しようとしたときに、めんどり亭のマスターから警備隊の食堂のお兄様を紹介されたのです。それから食堂で働いていました。単なる食堂の下働きとそこに食事に来る隊員の関係です。」
「あのマスター口の堅さは感心できるな。貴方の居場所を探すのは中々に苦労しましたよ。」
「それでしたら探すことはおやめになされば良かったのに。」
「苦労した甲斐があることを祈っていますよ。」
何なんだ? 苦労した甲斐って…周りに指示出して、実際動いて探したのは別人でしょうに。権力使って思い通りにしているくせに。言葉で対抗できるだけの情報が私には無い。私の感情を第三皇子に訴えれば解放されるのか? その保証もない。
考えるほど不安に囚われていく自分がいる。
ええい、余計なこと考えないようにしなくちゃ。
私は背負いカバンから刺繍枠がはめられたスカーフを取り出した。薄く図案がスカーフには書いてある。図案は桜。淡いピンクの花びらを刺繍針で刺していく。
ロベルト様とランセル様が不思議なものを見るような目で見ているのを感じる。刺繍しているところくらい見たことないのか?
まだ王都に着くまでは時間がある。
ただ座っているだけでは時間がもったいない。宿題のスカーフを仕上げなくてはね。
刺繍していれば心は落ち着くはずなんだから。




