フェアリーの抱擁
実はボビルスさん達が夕食を調理している時にお願いしてエメリーさんへの手土産に揚げドーナツを作ったのだ。
手土産を買いに行く時間も無かったし、この辺りでは手頃なお菓子は売っていない。
一般庶民にとってはデザートはたまーに食べるお楽しみの高級品だ。砂糖をまぶした揚げドーナツならきっと喜んでくれるはず。
皇国警備隊の食事のデザートは果物ばかりなのだ。
それでも料理で使う小麦粉と牛乳に卵、砂糖はある。ふくらし粉となる重曹だってある。
毎日デザートを食べていた貴族でいた時に厨房を手伝った時の知識を総動員して揚げドーナツを作ってみた。材料費はお給料から引くってことで。
始めて油で揚げものをするおっかなびっくりな私の姿を見て、見かねたボビルスさんが手伝ってくれた。
夕食の片付けも終了し、揚げドーナツを持ってエメリーさんを訪ねることにする。
少しだけどお裾分けとして厨房で働く皆の分も残してきた。
取りあえず、見た目はまあまあ、我ながらふっくら美味しそうに出来た。味もチャンと食べられる。皆が喜んでくれたら良いなあ。
月明かりで明るい道が気分を明るくする。手にはドーナツ。甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
ディックさんとのことは何でも無いこと。何にも起きていないのだから。セーフ。
◇◇◇
「アーシャ、いらっしゃい。」
会うなりムギュウとエメリーさんに抱きしめられた。
華奢な外見を裏切るようにしめつけてくる。
…苦しいです。…エメリーさん。
「…」
驚きと締め付けられたことで声が出ない…手に持っている容器を見せつける。
エメリーさんは容器を受け取ることで私から離れてくれた。
中を見て「わぁ。」と嬉しそうな声をあげたくれた。うん。ドーナツ作って良かった。
「もう、子供達は寝ちゃったから、このドーナツは明日のおやつにするわね。」
とっても大事そうにドーナツを抱えて棚にしまってくれた。
明日は食堂の手伝いの後は忙しくてボビルス家で一緒に過ごす時間は無い。子供達ランダとリリルがドーナツを食べる姿が見られないのは残念だな。
椅子に腰掛ければ、目の前に温めたミルクが置かれた。
「何だか色々あったって事だけボビルスからちょっと聞いたけど。話したいことがあるなら何でも聞くわよ。さぁ、まずはミルク飲んで落ち着いてね。」
エメリーさんの優しい声音が嬉しい。とんがっていた心が丸くなっていく気がする。
ミルクが身体を温めていく。
「まだ詳しいことは話せないんです。それで変なお願いなんですけど、私を抱きしめて頭をなでてくれませんか?」
キョトンとしたエメリーさんが可愛らしい。ほんと黙っていればフェアリーよ。
私をジッと見つめる。
私はコクンと頷いて、ポニーテールをほどき、エメリーさんに近づいた。
そっと大事なものを抱きしめるようにエメリーさんの腕が私を包む。
あー、母さんを思い出すな。子供に戻ったようで、自然と口角が上がる。
エメリーさんの鎖骨の辺りに頭をよせて、ジッとする。エメリーさんの手が私の髪を撫でていく。
「…」
「…」
あれっ、自然と涙が出て来た。
ホロホロとホロホロと。
エメリーさんはただ黙って私を抱きしめながら、頭を撫でてくれた。
うん。王都へ行っても頑張れる。
涙は心を洗い流してくれる。どんより曇った心の雲が取り払われる。
エメリーさんに頼んでよかったよかった。
◇◇◇
翌朝、早起きしていつものように食堂で朝食の手伝いをした。
もう、すっかりいつものアーシャちゃんの復活です。
ディックさんが話しかけたそうなんだけど、無視無視。私は忙しいんですよ。見てわかるでしょ、いつもの私に戻ってますよ。
朝食の片付けまでして、厨房の皆に「しばらく休む」ことを伝えて、宿へ帰宅。
荷造りは昨晩に済んでいる。
黒いカバンの一つには持っていく荷物が入っている。もう一つの黒カバンには残していく裁縫道具や母の形見の洋服、今着ている赤いチュニックと青いズボンとかを入れる。
一張羅のミルクティー色のドレスを着て、薄荷色のコートを羽織る。ドレスのままでは平民ばかりの街を歩くと浮いてしまうから、コートで隠した。
残していく黒カバンをボビルスさん宅に預けに行く。
子供達が「ドーナツ美味しかったよ!」って言ってくれたのはすっごく嬉しかった。戻ったらまた何か作ってあげよう。
宿で再び身支度を整える。髪はおろす。片側に流して、下でゆるく結んでおく。
あー、昼ご飯食べる時間無かったわ。しょうが無い。
経営者の老夫婦に今日までの代金を払い、出発だ。
「皇国警備隊の門の前で迎えられるのは困るわね。」
そう、これ以上ロベルト様達と関係があると思われるのは避けたい。
門をバックにして離れるように歩く。少し歩いて辺りに建物が無いところで止まる。人影も無し。
ここでロベルト様達の馬車を待てば良いよね。
ボーッとしていれば、遠くから黒塗りでピカピカの馬車が一台こちらに向かってやって来る。
(あっ、来た来た。)
背筋を伸ばして道路脇に立っていれば、目の前で馬車は止まった。
(うわぁ、紋章は入っていないけど立派な馬車だわ。さすが宰相伯爵家。)
馬車の扉が開き、にこやかにランセル様が降りてきた。御者が私の黒カバンを受け取る。
「さあ、乗って。」
扉をランセル様が押さえる。私はドレスの裾をちょっと持ち上げて馬車に乗り込んだ。
緊張した気分はまさに戦場へ向かうと言ったところか。
馬車の中には当然のようにロベルト様が座っていた。私は仕方なく正面に座る。
最後に乗り込んだランセル様はロベルト様の隣りに座った。
(うげぇ、このメンツで何時間馬車で過ごすの?)
私にとって拷問タイムの始まりです。




