ボビルスさん
開いた扉からヌウッと顔を出したのは、頭のてっぺんだけ隠すような大きさのフェルトの帽子をかぶった男性だった。
おでこと耳の感じが王都のマスターと似ている。
…あっ、この人が食堂長かな。
「俺に面会したいってのはお嬢ちゃんかい? ちょっと手が離せなくて遅くなった。すまない。」
急いでソファから立ち上がり、丁寧なお辞儀をする。
「王都から来ました。アーシャです。めんどり亭のマスターから手紙を預かっています。手紙を読んで、出来ましたら内容をご検討おねがいします。」
手紙を手渡しする。再度深く深くお辞儀する。
ここで私の今後が決まる。良い返事が欲しいところだけど…
手紙を読んでいる間に、ちょっと温度は下がってしまったが、ソファに座ったフェルト帽の男性のためにお茶を淹れる。
マスター兄の前にカップを置く。
そして対面に座って私はじっと読み終わるのを待った。
ボーッと見やれば、窓の外の少し遠くには、うっすらと白いもやがかかったような樹木が並んで見える。
(桜かな?)
まだ固いであろう蕾が煙って見えるのだろう。
ーカチャリ。ズズッ。
お茶を啜る音が聞こえて、部屋に意識を戻す。
おっと、今はこっちに集中しなくちゃ。
「ここに書いてあるのがお嬢ちゃんって訳だな。」
腰をかがめて、私を見極めるように黒い瞳で見つめられた。
ゆっくりとうなずき、私も見つめ返す。
それからマスター兄は両手をギュッと握り、天井に顔を向けて、ウンウンと一人うなずいた。
「おっしゃ、宿でも下宿でも仕事でも保証人になってやるよ。紹介してやる。あいつの食材に関する目利きは確かだからな。まあ、人間にだって確かだろうよ。…訳ありのお嬢ちゃんらしいが、何も言わず引き受けてやる。あいつのあんたを見る目を俺は信じたんだ。あんたを信じたあいつを裏切らないでくれ。」
「食材と同じ扱いですか。それに訳ありって…私、別に悪いことしてません。素性に関してはあまり話したくないだけで。時期が来たらちゃんと説明します。」
貴族で無くなった今、黙って下を向いていることはできない。自分を正当に評価してもらわなければ。胸を張る。
ウンウンと頷かれ、あっけなく私は受け入れられた。
「それじゃあ、俺はボビルスだ。よろしくな。知っていると思うが、ここの食堂長をしている。ちょっとまだ仕事があるから、食堂で続きの話をしよう。」
ボビルスさんの後を追って、面会室を私は出た。
黒いカバンはボビルスさんが持ってくれた。
そのまま玄関ホールを戻り、外へ出て、東側にある一階建ての別棟の食堂へ向かった。
◇◇◇
数十分後、何故か、私はジャガイモの山に囲まれていた。
井戸の周りで2人の警備隊士と3人でひたすらより分け、小粒のものをタワシで洗っている。
隊士も遠征とかで食事の支度が出来ないと困るので、交代で食事の手伝いに入るのだ。まあ、こういう当番は下っ端がなる。
食堂に着いて、ボビルスさんが料理士見習いに下ごしらえの指示を出した後、さあ、まずは住むところの話をって所で、バタバタと駆け込んできた隊士が居たのだ。
「野外演習をしていたら、ジャガイモをたくさんもらった。」とかで急遽、今晩の食事にジャガイモの素揚げが追加されることとなり、あまりの量の多さと大量に使うと言うことで手伝いを申し出た結果が…ジャガイモの山に囲まれているという訳だ。
ここの警備隊に常駐しているのは300人ほどとのこと。身体を使う仕事をしている人達であること、若者が多いことを考えると、1人当たりジャガイモ10個として…最低でも3000個は用意しなくてはならない。
たくさんのジャガイモに囲まれていると、お屋敷でトムさんに意地悪されて皮むきをずっとしたことを思い出す。
ちょっと思い出し笑いして、顔がにやけてしまった。
そんな私を見て、ちょっと顔を赤らめたのは隊士さん2人。
警備隊などという場所柄、女の人は少ない。いても男子並みの行動力を持つタフネス女子ばかり。
本当はにやけていたのに、ニコニコしていると捉えた隊士さん達、私への好感度は急上昇するのは当たり前。イモを洗っていただけなのに、料理ができると勘違いをされてしまったのは私のせいでは無い。妄想力の強い隊士さんですこと。
ジャガイモ洗いから、そのまま夕食の手伝いをすることになったのは良かったと言うべきか。
言われるがままに、野菜を切り、渡し、片づける。調理して味付けはもちろんボビルスさん。
渡された白いエプロンが私のイメージアップにもつながったようで、6時からの夕食の配膳時には私の前に長蛇の列。私はトレーを渡すだけなのに。私から手渡しされたくて並んでいるとは、なんて非効率。
(トレーくらい自分で取れば良いでしょうに。ボビルスさんが言うから渡しているけど。ええい、接客の練習だわ。)
こんなにニコニコと長時間していたことは生まれて初めてだ。
トレーを渡して見ていれば、皇国警備隊の幹部らしき人の中には何人もの貴族がいらっしゃる。幸い、国防の最前線を退いたような高齢の方が多く、貴族としての私を気にかけるような人はいなかった。単に1人の娘と認識して「新しく入った娘かい?」と聞いてくるばかり。
幸先良いわ。ここクールデンなら私を1人の平民として皆見てくれそう。
隊士の人波が消えた8時を過ぎた頃、ボビルスさんは私にも夕食を分けてくれた。
リンゴの甘酸っぱいソースのかかった分厚い豚肉のソテー。ホクホクの素揚げのジャガイモ。キノコと青菜のバター炒めが添えられている。さらにニンジンの甘みの引き立っているポタージュで彩りはバッチリだ。
食堂の厨房の隅で料理士見習いの方達と一緒にいただく。
私以外はまかない料理だ。
私は手伝ってくれたから、そのお礼だそうで。かなりのボリュームある警備隊士のメニューです。
うん、さすがマスター兄の作った食事。美味しい。
食事を完食すると、厨房の後片付けは料理士見習いの方達に任せて、私達は近所だというボビルスさんの自宅近くの宿屋へ向かった。
薄暗い夜道だが、体格の良いボビルスさんが一緒なので心細いことは無い。お腹もいっぱいで、むしろ安心感でいっぱいだ。
「俺の知り合いって、警備隊の奴らは認識したから、困ったことがあったら頼ると良い。」
あっ、さっきのトレー渡しって…そういう意味があったんだ。
ボビルスさんの知り合い認定されたんだ。ボビルスさん、結構顔が利くみたいで助かること多そう。
「マスターにお礼の手紙を書かなくちゃ。」
ボビルスさんの背中を見ながら、私は小声でつぶやいた。




