貴族戸籍課
今日は花迎えの月の25日。私の16歳の誕生日だ。
暦の上では春として数えられるが、実際にはまだ花は咲き始めたばかり。空気はまだ冷たい。
ガラガラと馬車が進んで行く王宮への道には春を告げるマグノリアが咲いていた。空は青かった。
馬車の中で父は無言だった。ただ、恥ずかしくなるくらい私を見ている。たまに何かを言いかけては止めることを繰り返していた。
私は耐えられなくて視線を足下にそらした。沈黙が場を支配していた。
ついこの間来た王宮。
馬車止めの場所は同じ。違うのは馬車止めの近くの無骨な石積みの一画を目指すということ。王宮全体の前宮の右翼側にあたる。
ちなみに舞踏会が開かれたのは中宮で、王宮を警護する近衛隊は前宮の左翼側に居を構えている。
貴族戸籍課の場所を知っているらしき父の後を私はついていった。
前宮には貴族だけで無く、その侍従にはじまり、侍女や商人、平民とおぼしき文官や騎士まで居た。この国に存在するあらゆる身分の者が混在していた。ここで働いているのだ。
前宮右翼の玄関口を入ってすぐの受付で名を書く。階段を昇って2階にエフェルナンド皇国の戸籍課はあった。その最奥に貴族戸籍課は存在していた。
あらかじめ父から連絡がいっていたようで、到着するとすぐさま書類の記入をするように言われた。
さすが貴族相手の部署である。ソファがあり、着席するやお茶が淹れられた。
鼻の下にフサフサとした口ひげをたたえた真面目そうな人物が対応してくれる。
「申請者はアーシャマリア オルグ デュ サウザント様ですね。アレン デュ サウザント様とイリア オルグ様のお子様でよろしいですね。本日をもって成人したということですね。」
「はい。」
「今回の申請内容は連絡頂いていた″貴族戸籍から籍を抜いて、平民戸籍に移す″件でよろしいですか?」
「はい。」
質問に答え、書類の記入を進めていく。
ええと理由ね。となりに父が居るので少々書きにくいな。
″私の扱いがひどくて先がしれている。平民の方がマシだ。″とは書けないし、以前父に話したように″対等に話ができる友人を得て、自分の力で生活したい。″と書く。
後は審査なりを受ければ、現実は伝わるでしょ。ここの職員が調査に入るのかな。
最後にサインして、承認欄に父がサインして…申請書類の完成です。
「では、これを貴族戸籍課でお預かりさせていただきます。後ほど他の課をまわって、最終的に王様の承認を受けて申請受理となります。」
「え、貴方が受け取った時点で受理ではないのですか?」
「ええ、ここはあくまで申請する場であって、審査の最終判断者は王様なのですよ。何しろ、王様あっての貴族、貴族あっての王様ですからね。ですから、決定がでるまでのあなたの身分は、貴族ではない仮平民とでも言いましょうか。」
「はあ。」
予定が狂った。すぐさま平民になるとばかり思っていたのに。
横の父も妙な顔をしている。
「仮の身分証を作りますので、サインをしてください。」
サインはアーシャマリア オルグで良いよね。オルグは母の姓だ。
仮の身分証を受け取り、貴族戸籍課を辞する。申請が受理されたか確認するには再度ここへ来る必要があるそうだ。
なんだか不安が込み上げてくるなあ。
…ううん、気にしちゃダメダメ。ここまできたんだもん。前だけ見なくちゃ。
◆◆◆
サウザント家の親子が立ち去り、貴族戸籍課のドアが閉められた。
直後に部屋の奥の扉が開かれる。
現れたのは長い茶髪の前髪を後ろに撫でつけたロベルトであった。舞踏会の時よりもグッと貫禄があるように見える。
「間に合ったようだな。」
「これで良いのですか? 申請書類を預かるものの、受理は王様の許可が無くては出来ないなどと、無理矢理納得させたみたいで後味悪いです。」
「法律で明文化されているじゃないか。ーー受理された場合に限りーーって。受理の最終決定は王様なのは明らかだ。書類は預かっていくぞ。」
獲物を捕らえ嬉々ととしているオオカミの瞳をしてロベルトは口角を上げた。
「あのお嬢さん、平民になる気満々でいたじゃないですか。ならせてあげないんですか?」
「ならないわけじゃない。でも今ではない。」
書類一枚をヒラヒラさせ、「ご苦労様。」と言ってロベルトも貴族戸籍課から出て行った。
「はあ、第三皇子も人が悪い…」
◆◆◆
馬車止めに父と私は戻った。
「アーシャマリア。大丈夫か? もう引き返すことは出来ないが…。これは私からの餞別だ。私のサインが入っている身分保証書だ。これを見せればどこの商会でも貴族でも雇ってくれるだろう。有効に使うが良い。」
「お気遣いありがとうございます。私も成人の仲間入りをした身です。何とか自分の力で生きていこうと思います。私の願いを聞いてくださってありがとうございました。そしてここまで育てていただきありがとうございました。…ここでお別れです。」
御者から黒いカバン2個を受け取る。
カバンを地面に置いて、父に向かい貴族の最上礼をゆっくりと優雅にした。
「さようなら。」
ハッキリと言葉にする。そして感謝をこめて、丁寧に頭を深々と下げた。
カバンを再度持ち、クルッと振り返って私は歩き始める。後ろはもう見ない。
背負いカバンを背中にしょって、大きなカバンを両手で持ってヨタヨタと歩いて行く私の後ろ姿を父はずっと見送っていた。角を曲がって姿が見えなくなるまで。
「…本当に困った時は私を頼ってくれ、アーシャマリア。」
父は自分にしか聞こえない小さなつぶやきを1人こぼした。
マグノリア=モクレンなんですよね。本当のイメージはヒメコブシなんですけど、文字で見ちゃうとなんか違うなあと、マグノリアにしました。ヒメコブシはモクレン科に属します。




