役にたつこと
夏が来た。ここエフェルナンド皇国の夏は、湿度は無いがそれなりに暑い。汗をかいてもすぐに乾くのは助かるが。
今年の夏も、家族の皆は、入れ替わりで領地の別荘に行ったり、帰郷で人手不足の王宮へ手伝いに行ったりしているようだった。お屋敷の使用人もそこに付き添いでついて行く。お屋敷の人間の風通しがいいわ。
でも私はいつものように元客間の自室と庭師小屋と父の執務室の往復をして過ごす。ああ、合間に街も行くわね。
家族の誰もがお屋敷に居ないと、私の食事が調理場のまかないになるのはいつものことだ。その時の父が外出中で使用人が少ない時を狙って、お屋敷の料理人に手伝いを申し出てみた。
料理人は私の顔は覚えている。でも会話は挨拶程度しかしたことが無い。それでも挨拶は返してくれるし、侍女や侍従に比べれば態度も冷たくはない。貴族に料理をさせることは嫌がるだろうが、私が半分平民であることは知っているだろうし、料理をしたことがあると言えば少しは手伝わさせてくれると考えた。
面倒だが侍女服もどきに着替えて調理場に向かう。ドレスを汚すわけにはいかない。エプロンが貸してもらえると良いなあと思う。
父に頼まれていた書類の清書は終わったし、自室のシーツは早起きして洗濯したし、今なら料理の手伝いが出来るのだ。
「すみませーん。料理長はいらっしゃいますか?」
首に赤いスカーフを巻いて少々お腹の突き出た40代くらいの男…彼が料理長だ。身体に対して小さい眼が印象的だ。この人がずっとサウザント家の食事を管理し調理しているのだ。美味しい料理をいつも作ってもらっているのだから、敬意を払い丁寧な言葉使いで良いだろう。
「お嬢様が何のようだ?」
思わずビックリ目になってしまった。お嬢様…私のことだよね。初めて言われたかも。侍女でさえ精々「アーシャマリア様」呼びで(めったに無いけど)、普段は主語無し言葉なのに。
私の身体を上から下まで見つめている。いや見定めている。
私も見返す。
「下ごしらえで良いので、料理の手伝いをさせてください。」
と言って、頭を下げる。人に頼む時には頭を下げるものだ。貴族も平民も関係ないと思う私は、貴族の少数派だろう。
今度は料理長がビックリ目だ。私の言葉と態度の両方に驚いたんだろうな。
私は切々と、以前は母と一緒に料理をしていたこと、料理の腕を鈍らせて無くしたくないこと、今は父の手伝いやお屋敷での仕事が少ないので厨房の手伝いができること、下働きの仕事をすることが嫌でないこと、料理を覚えたいことを料理長に説明した。
初めは料理長は「旦那様にお伺いをたてなければ。」とか「お嬢さんのする仕事じゃない。」とか言っていたけど、私に根負けしたのか「本当に他にすることがないときに手伝ってもよい。」と言ってくれた。あー、良かった。
…裏庭の大きな木の下で私はジャガイモの皮をむいている。こんなに沢山の皮はむいたことが無い。遠くから私を怪訝そうに見る下働きの者の姿が見える。私は黙々と作業する。我ながら下手くそな包丁さばきだ。数をこなせばもう少し上手くなるかな。その前に、食べるところの少なくなったジャガイモの姿は料理長に怒られそうだ。
これは何の料理になるのだろう?
フローレ様とお兄様、お姉様方は領地に避暑に行っている。今晩、父は王宮で泊まりで仕事だ。
ジャガイモは、まかない料理の冷製スープとなって出てきた。
今日は自室では無く、調理室の隅のテーブルで食事をすることになった。料理長自ら、料理の説明をしてくれるというのだ。
「もっと食え。自分が手伝ったもんなんだから、遠慮するな。」
いつも食べるまかない料理はトレーに乗せて自室に持って行った分だけだ。私の食欲は皿1杯のスープで十分に満たされる。
「…嫌がらせであんだけ沢山のジャガイモの皮むきさせたんだ。下手くそだったがちゃんと仕事したじゃないか。本気か試して悪かった。」
料理長の視線が私の手に向かう。
爪には土が入り、血の滲んだ傷がいくつか見える。
口は悪いが、誰かに心配されたのは久しぶりで、胸がホッコリする。
手をさっと隠し、料理長に私は笑顔を向ける。
「良い勉強になりました。ぜひ、また手伝いをさせてください。」
「今度はお嬢さんの手が荒れないことをお願いするよ。」
料理長はトムという名を教えてくれた。
そして私は鶏肉のトマト煮込みを褒め、料理長は味を染みこませるコツを教えてくれた。彼は気さくな人であった。
誰かと会話しながらの食事は本当に久しぶりだった。相手が貴族でも平民でもあまり態度を変えない職人肌の料理長には、別の意味でも感謝していた。心が温かくなる…お屋敷の中でこんな気持ちになるなんて。忘れかけていたかも。
お屋敷の使用人の中に、ちゃんと私個人を認めてくれる人が出来たのは心強い。
◇◇◇
秋が来た。実りの秋だ。
サウザント家の領地も一番忙しくなる。
収穫された穀物や野菜、果物が王都に送られたり、冬越えするための食料へと形を変えていく。
当然、領地と王都のお屋敷の人や物の行き来も多くなり、交わされる書簡も多くなり、私の書類事務の仕事も多くなった。
仕事が多いことは、領地の収穫量が多いってことでイコール増収ってことでして、サウザント家として良いことなのだ。
お兄様は領地に行きっぱなしで、父と私はお屋敷で書類と格闘していた。侍従長まで書簡と書類の分類に呼ばれていた。
フローレ様とお姉様方は領地の特産品を宣伝するために、連日のお茶会と夜会が続いていた。
自室でまとめた書類を父のいる執務室へ持って行くと、お客様が居た。税務官のオスロ侯爵だった。グレーの髪をなでつけ、神経質そうな細い黒目が油断ならない人物であると主張している。
いつもならお客様が来る日は私は自室に籠もって、お会いしないように極力気をつけるのだけど。急ぎの書類があったせいか、お客様がいらっしゃるという連絡はきていなかった。
父とオスロ候の話の邪魔になってはいけないと、素早く部屋を去ろうとした私をオスロ侯爵が引き留めた。
私の作成した書類を褒めてくれたのだ。
そして事務士官として王宮で働くことを推薦してもよいと言うではないか…
私は視線を父へと向ける。そして自分の足下へと向ける。私が意見することはない。
父は眉尻を下げて、オスロ候の申し出を丁重にお断りした。私は外に出せるような娘ではないらしい。
父達は私をこのままお屋敷にずっと居させるつもりなのか?
今の収穫期の仕事の手伝いを頑張って、ご褒美に「平民になりたい」ことを切り出そうと思っていたのに。
私は下を向いたまま、更に深くお辞儀をして執務室を去った。