22 今の答え
「エリーゼ、エリザ。ここにいるのか?」
「……テレジア伯爵?はい、エリザ様はここにいらっしゃいます」
咄嗟に何も反応できずにいた私の代わりに、ラトカが扉の向こうに返事をした。
静かに扉が開けられて、疲れを滲ませたテレジア伯爵が何故かラスィウォクと共に部屋へと入ってくる。ラスィウォクがやんわりとテレジア伯爵を押しているようにも見えた。そのせいか、伯爵もやや困惑気味の表情を浮かべている。
「……何か、ありましたか。テレジア伯爵」
嫌に硬い声が出た。動揺が続いているらしい。テレジア伯爵は私に視線を向けると、途端に片眉を吊り上げた。
「……いや、それは私が知りたい。ラスィウォクが私をここへ呼んだのだ」
「ラスィウォクが?」
「そうだ。……こんな事が以前にもあった。ユグフェナでの戦いが起きた日の事だ」
当のラスィウォクは扉の前に陣取り、そこへ座り込んでいる。それでは誰も扉を開けられないではないか。話をしろという事なのだろうか。戸惑う私達三人に、ラスィウォクはわふっと一つ鳴いてみせた。
私達は暫くお互いを窺いあった。そうして、軈てテレジア伯爵が最初に声を上げた。
「扉の前で少しばかり、話を聞かせて貰ったが」
ラトカが気まずそうに唇を引き結ぶ。私も同様に気まずい思いだ。第三者に聞かれたくない話題であった事は確かだった。
「エリーゼの言った事は、間違いではないであろうと私も思う。エリザ、お前は確かにエリーゼにカミルを重ねている」
伯爵からも言われてしまえば、違うと言い張るのはもう無理だった。認めるしかない。苦々しくも頷くと、伯爵は言葉を続ける。
「近頃は私も、あまりお前の事を見てはいられなかったが、分かる事もある。お前はカミルの死から、同じことを繰り返すのを恐れている」
──目の前が、罅割れたような気がした。ラトカとカミルを重ねていた事よりも、さらに知られたくない、知りたくもない事を、テレジア伯爵は言おうとしている。
「同じこと?」
「左様。人を信じられず、結果死なせた。お前は今、それを恐れるが故に無理やりにも人に信を置こうとしている。そうであろう、エリザ?」
老人の眼光は鋭い。しかし、そこには何の感情も含まれてはいない。怒りも、哀れみも、何も。
全身からどっと力が抜けて行って、私は腰かけていた寝台にそのまま倒れ込んだ。ラトカの目を見るのが怖かった。片腕で目元を覆い、一つ深く息をする。
「……はい。その通りです」
これも、突きつけられれば認めるしかない事だった。
「クラウディア殿でさえ気づかなかったので、誰にもわからないだろうと考えていたのですが。流石、私の事をよく知っておいでですね、テレジア伯爵」
伯爵は言葉を返さない。
「とはいえ、私も伯爵にこうしてはっきりと言われるまではその事について確信は無かったのです。知りたくないと見ないようにしていたのでしょう」
無様にも、私の声は震えていた。淡々と喋っているのが逆に滑稽に感じられた。
「……どういう事?」
ラトカの声に、肩が勝手に跳ねる。声を聴いただけではそこに含まれる感情は読み取れない。
今度は私が自嘲の笑みを浮かべる番だった。
「カミルが死ぬまで私は、人を信頼する事など意味もないことだと思っていた。いや、私には無理だったという方が正しいか。何にせよ、有体に言えば人間不信だったという事だ」
片足で勢いをつけて体を起こす。ラトカは私をまっすぐに見ていた。──瞳に、侮蔑の色を込めて。
「伯爵が『死なせた』と言った通り、カミルが死んだのは私が彼を信頼出来なかったせいだ。森林狒狒の声に惑わされた私を庇ってカミルは死んだ。……信頼出来ないとはいえ、死なせるつもりなど無かった」
「……だから、今は逆に人を信頼しなければと考えている?」
「ああ、そうだ」
私が頷くと、ラトカは瞼を閉じた。呼吸を大きく行っている。眉間に皺が寄り、拳を握り締めているところを見るに、感情を抑え込んでいるらしい。
「──そうかよ」
絞り出されるようにして、たった一言。冷たい声だった。まるで鏡を見ているような感覚だった。感情を凍らせるその動作が、冷えた声音が、不思議なほど私に似ている。
くるりとラトカが背を向ける。扉の前のラスィウォクが横へと退いた。通れるようになった扉を開けて、ラトカは静かに部屋を出て行った。
黙って成り行きを見守っていたテレジア伯爵が溜息を吐く。
「相も変わらず、難儀なものだな」
「…………。」
「どうにかしてやる事も出来ぬのに、口を出すのもどうかとも思ったが」
「……いいえ。ラスィウォクが、失礼致しました」
どうせ伯爵が言わなければ三人とも部屋から出して貰えぬままだったに違いない。ずっと黙っていればいつかは出してくれるかもしれないが、それを待つほど私も伯爵も暇ではないのだ。
テレジア伯爵が部屋を出ていくと、ラスィウォクと私だけが取り残される。ラスィウォクはそっと私に近づき、足元に伏せた。耳を伏せ、尾を垂れさせて、じっと私を見上げる。
「……怒っているわけでは、ないよ」
力ない言葉が洩れると、ラスィウォクは私の脚へと鼻先を摺り寄せた。
「おい!情報を話したら助けてくれると言った筈だろッ!!」
基地の禁錮室へと入れられた男は、涙声混じりにそう叫んでいた。兵士によると、ずっと叫び続けているらしい。つい先程までは扉を殴りつけていたようだが、痛みに耐え切れなくなったのか、今は叫ぶだげとなっている。
「奴は何を喋った?」
一先ずは男の方は置いておいて、禁錮室の前に控えていたギュンターとクラウディアにそう尋ねる。移送中、それから禁錮室に入れられてすぐの頃には、男は自主的に盗賊団の目的を話していたという。
「……ある女に会い、その者に協力するのが目的だったらしい」
「ある女?」
「デイフェリアス、というらしい。落ち合う場所はオーグレーン領。ノルドシュテルム派の主要地であるな」