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18 冬と新入領民・上

 不気味な程何事も無いままに時間は過ぎていく。


 立太子の騒ぎも、時が経つにつれて徐々に水面下へと沈んで行った。

 社交のシーズンが終わり、王都を賑わせていた領主貴族達が自領へと戻れば、どれほど衝撃的な話であろうとその話題性を保つ事は難しくなる。

 かと言って完全に沈静化したわけでもない。あの騒ぎは宮廷貴族を中心とした派閥形成の引き金として、確かに爪跡を残したという。


 他の領主貴族の例に漏れず、私とテレジア伯爵も夏の終わりには王都を辞してカルディア領へと戻って来ていた。

 警戒していた北方貴族には特に動きも見られず、ノルドシュテルムに出入りする怪しげな修道女達についてのファリスからの連絡も無く。秋の収穫や、相変わらず量の多い仕事の数に忙殺されながら動いていると、気が付けばもう秋が終わろうとしている。


「もう直ぐ雪が降りそうだな……」


「ああ、もうそんな時期か。一年は早いな」


 秋の最後の月にもなると、カルディア領の空気はキンと冷たくなって、いつ雪が降るかというような気温になる。雪が振り始めたら、暦に関わらず冬の始まりだ。


 王都から戻った後は黄金丘の館から殆ど出る暇も無く、毎日あちこちに手紙を飛ばし、資料や報告を纏め、書類を作り、テレジア伯爵の指示を仰ぎ、講義を受けたり弓や剣の稽古を受け……まぁ、そんな風に日々を送っていたからか、季節が過ぎるのに殆ど気が付かなかった。

 気が付かなかった癖に、いざそれを体感すると疲れのようなものを感じて、ふっと軽く息を吐いた。白い靄となったそれは、目の前で冷たい空気にすぐさま融けて消える。


 厚い毛織りのクロークに包まって、クラウディアを連れて東へと馬を歩かせる。本格的な冬入りの前に、新入領民の村の様子を見なければならない。


「覇気がないな、エリシア殿。疲れているのだろう?テオの所で少しは寛げれば良いが」


「エリザです、クラウディア殿」


「うむぅ、すまぬ」


「……そうですね。少し、疲れました」


 疲れてはいない等と虚勢を張る気力も無しにクラウディアの言葉に頷く。クラウディアも少々くたびれた表情で、それもそうだろう、と返してきた。


 今年の夏前に体調を崩してからというもの、テレジア伯爵の具合はあまり良くなっていない。当然彼が出来ない仕事を放っとく訳にもいかず、手分けして熟す事になる。

 私一人ではどう頑張っても手が回らず、ギュンターとクラウディア、それから領軍の中で最年長であるカルヴァンという兵士を組ませて領軍関係の仕事を任せる事にした。残念ながらギュンターもカルヴァンも殆ど読み書きが出来ず、書類制作はほぼクラウディアに一任されているのが現状となっている。


 意外とクラウディアも忙しいもので、彼女は領軍全体の指導教官としての仕事もいつの間にかテレジア伯爵から振られていた。彼女は個人の戦技以外に、戦術や用兵術にも明るい。利用しない手はないという事だろう。

 お互いに明らかにオーバーワークだ。人手の足り無さがきつい。


「エリーゼが外れたのも痛いですね……」


 どうしようもない事は解っていても、ついつい溜息が漏れる。


「あの子は一度洗脳されている。仕方ない」


 クラウディアは慰めのようにそう言った。

 エリーゼ──ラトカは、秋の間中ずっともう一人の『エリーゼ』の従者として遠ざけ、監視の下に置いている。

 ノルドシュテルムと、過去にラトカに反貴族思想を植えつけた修道女集団が繋がっている。向こうがラトカの存在に気付き、どうにかして付け入る隙を見出すかもしれない。それ故の警戒だ。

 解ってはいる。それを考え、実行したのは私自身だ。なのに、その事にはいつまで経っても感情がついていかない。


 それは、カミルにした事と何が違っているのか。


「…………。」


「……エリザ殿?」


 ゆるり、と首を降って心に募る暗い感情を四散させた。


「……いえ。明日の帰りに、ネザ村に寄って帰ろうかと思いまして」


「ああ、あの娘達。少しは心の傷が癒えていると良いが」


 クラウディアが頷いて、そこで会話が途切れる。後の道中はずっと無言に包まれた。




「御館様!よく来たな」


 出迎えなのだろう、村の入り口に立っていたテオメルが左手を上げて私達に声を掛ける。私とクラウディアも軽く手を上げてそれに応え、挨拶を交わす。


「やぁ、テオ。久しぶりだな。冬の準備はどうだろう?」


「久しぶり。まだ辛うじて元気そうでなによりだ。冬の準備か……。順調だ、と言いたい所だけどな」


 日の下で見ると、カルディアでの一夏を過ごしたテオメルは肌の色を随分と濃くしていた。元からやや赤みがかっていたのが、今や収穫期の小麦のようだ。


「灌漑工事が思ったより進んでない」


 テオメルの簡潔な報告に一つ頷いて、村の門を潜る。この辺は他に人里が無い為、防犯の為に塀を作らせた。

 内側には奥の端から無骨な石造りの建物が数軒と、あとは基礎部分のみが広がっている。同じく石畳を敷いて作られた道だけが幾つも作られており、まだ手付かずの手前側には遊牧民の天幕と、貴族院で掻き集められた簡易天幕とが所狭しと並んでいた。


 これが新入領民の村の現状だった。

 王都へと移る前に見た時と比べ、建物は六軒増えている。だが、六百人の村民が生活するには全く足りない。本来ならば五人前後で暮らす為の建物に、今はその倍近くの人間が入っているのだという。それでも未だ、四百人近い人々が天幕暮らしを余儀なくされていた。


「今は『イエ』と天幕(ユルソー)には老人や子供を優先して住まわせているけど……」


「冬の間に土台の上で天幕暮らしをさせるのは無理だな。折角我が領の民となったのに、一年でミソルアの元へと送り出す訳にもいかない」


 この辺りは春になると、黒の山脈(アモン・ノール)からの雪解け水で川や湖の水位が上昇し、氾濫してしまうことがある。

 その為建物の床を高く造り、セラ川や湖水地の治水工事を行っているのだが、新入領民は子供や老人といった労働力の低い者が多く、またそういった事には慣れていない事もあって、なかなか上手く作業が進んでいないようだ。

 その上、この村は他の村から距離があり、黄金丘の館からも最も遠くに位置している。深い雪に閉ざされるカルディアの冬で、簡易住居の村が孤立するのは危険だ。


「……よし。すまないが、新入領民の皆には今年の冬もまた直轄地で過ごして貰おう」

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