14 貴族院の紛糾
テレジア伯爵から聞かされていた通り、王太子の件についての動揺は大きなものだった。王都中何処へ行ってもその話がされている。勿論貴族院でも議題として取り上げられた。
「宮中ではプラナテスへの影響をどのようにお考えなのか」
「リンダール情勢が不安定な今、友好的なプラナテスを刺激してどうするのだ」
「だがリンダール連合公国が成立すれば、デンゼル公国の存在により敵対するやも」
「であれば寧ろ、公女の立場を捨てぬ王妃殿下の王子を取り立てるのは危険ではないか」
「そもそも今この時期に王太子を定める必要は無い筈だ。アルバート王子の準成人までには後四年もある」
議論が始まった途端にこの混乱具合である。貴族院は王家の継承に対して直接関わる事は出来ないが、上級貴族院を通して間接的に関わることならば可能だ。白熱した貴族達は、不毛な言い争いが一段落すると参議として上級貴族院に席を置くエイドナー宮廷伯にその矛先を向けた。
一体どのような経緯があり、理由があって王太子の継承が決まったのか。
エイドナー卿は自身も少々困惑気味にその問いに答える。
「今回の立太子の件に関しては、王家からの予告があったのは二月も経たぬ間の事なのです。参議や宰相は全員反対の立場を取っていたのですが、王族と教会の方々は王妃殿下を除く全員がアルフレッド様の立太子に賛同しておりました」
「馬鹿な。アルバート様の優秀さを一番に認めているのは王家の方々の筈。メルリアート家の者はさて置いても、テュール家の全てがアルフレッド様を推すというのは……」
信じられぬ、と声を上げたのはジューナス辺境伯である。国内で最も重要な領地を治める領主であるため、その発言力は下手な上級貴族院の議員よりも高い。
真っ向から反論されたエイドナー卿は、蛇に睨まれたカエルの如く竦み上がってしまった。
まあまあ、とそれを宥め取り成すのはエインシュバルク王領伯である。こちらはジューナス辺境伯と同じく国境防衛の要であるユグフェナ王領と城砦を任されてはいるが、王領伯の地位は世襲の権利を有さないため王家への影響力はそこまで高くない。自然と役回りは王都と地方の貴族との橋渡しが主なものになるらしい。
議会の紛糾を横目に、テレジア伯爵が静かに国外の情勢について説明を始めた。大人の貴族達に比べ、私の知識が圧倒的に不足しているため、貴族院に出席しているときにこうして伯爵によるプチ講義が開催されることは多い。
「リンダールの情勢は、現在最も重要な場面を迎えていると言ってもいい。リンダール連合公国成立の圧力を四公国から受け、リンダール王国が国家としての機能を失いつつある。王国の滅亡は即ち連合公国の成立を意味する」
「四方を四公国に囲まれていますからね。連合公国側としては中心地として抑えねばならない地という事ですか」
「それだけではないがな。四公国には国力の差が無い。中央をどの国が支配するかが、連合公国を成立させるにあたって最大の障害になっている」
「王国を取り込み、政治的な影響力を持たせない旗頭にするという事ですか?」
それはかなり興味深い制度ではないだろうか、と思う。前世と違ってこの世界では、王という存在にはには国政を左右させる力があるのが当たり前の事だ。リンダールの場合、四公国が一つに纏まる為だけに一つのトップを立てるので、そのトップには象徴としての役割以上のものはほぼ確実に与えられないだろう。
「成立させた後はどうなるか、と思うがな」
「さあ……選帝侯と皇帝家の制度を利用するとか?」
「なかなか柔軟な発想だが、中央宮廷内の権力争いは激化するであろうな」
「国の頂点の継承というものにはどの国も頭を悩ませるのですね」
まさに今のアークシアのように、と付け加えると、伯爵は俄に笑った。
その顔色は未だに青白い。床から出られるまでには回復したようだが、まだ本調子ではないようだ。今日の通常集会に出席する為だけに無理を押して出てきたようだ。
「リンダール連合公国の成立が近いのであれば、やはりプラナテスを刺激するのは良くはないのではありませんか」
「難しい所だ。確かに四公国の中では、プラナテスは唯一の友好通商条約を締結した国ではある。が、デンゼルは敵対国であり、ジオグラットとパーミグランとは殆ど交流が無い。プラナテスとの関係を悪化させれば、関係が良くない方に傾くのは必至であろう」
そこまでならば理解は難しくない。第二王子アルフレッドの立太子に対し、貴族達が最も心配しているのがその部分だ。
特にプラナテスとの国境に面しているジューナス辺境伯は、この件に対して神経質になるのも仕方の無い話だろう。
「だが先程誰かが述べたように、王妃殿下がプラナテスの公女としての地位を保持している事にも問題がある」
しかし、第一王子アルバートを次期王と定める事も問題があるというのには、不勉強なのか理解が追い付かない。伯爵の言葉にも理由を探して頭を捻らせるが、どうしても分らない。仕方がないので、理由を尋ねる。ジューナス辺境伯に面し、東部の国境防衛線の一端を担う領の領主であるからには、知らぬは一生の恥どころでは済ませられないのだ。
「……それは、どうしてですか?」
「ふむ。そうだな……プラナテス公爵の襲爵権は直系男子にのみ与えられるものではなく、その血族の男子全てに与えられるものなのだ。嫡男が優先されるとはいえな」
直接的な答えではなく、私が自力で答えに辿り着くために必要だと思われる情報が与えられるのも、いつもの事だ。テレジア伯爵は思考力を鍛える事に重きを置いているらしい。
王妃が公女の立場を捨てていないという事は、プラナテスでの権利の一切を放棄していないという事……なのだろうか。そうすると、その息子であるアルバート王子にもプラナテスの権利が与えられる……?
「つまり、王妃殿下が公女の地位を捨てていないので、アルバート王子にもプラナテス公爵の襲爵権があるという事でしょうか」
「プラナテスの法によればそうなる」
「なるほど。それは、問題ですね」
アルバート王子が王太子となれば、アークシアはプラナテスをほぼ確実に持て余す。たとえプラナテスが王子を利用して何かをしようとしなくてもだ。
王妃がアークシアへ嫁いで来た頃には何の問題も無かっただろう。だが、今はリンダール連合公国の存在がある。アークシアと拮抗できる国力を持つ国の支配者の血をアークシア王家の血として受け継いでいくのはかなり危険だ。
やっと納得がいって、頭がすっきりとする。疑問が無くなれば自分の意見も持てるので、つまらない貴族達の言い争いも真面目に聞く意欲が湧くというものだ。
わたしの意見というのは、つまり、王家はリンダール情勢を鑑みて立太子の時期を考えるべきだった、という事だ。少なくとも最初の方に誰かが言っていたように、アルバート王子の準成人までは待つべきだったのではないか。
「…………ん、」
そこに、ふと、まるでフラッシュバックのようにある記憶が思考の海を浮かび上がってきた。
それは全く実感の湧かない、本に描かれた物語のような前世の記憶の欠片であった。
(リンダール連合公国の大公女エミリアは、隣国であるアークシア王国での結婚を望まれ、自分の夫を探す為に王国の貴族が集う学園に入る事になる……)
──そうだ。確かあの乙女ゲームのプロローグがこんな文章から始まっていた筈だ。
だからといってそれが確定した未来の話であるとは、私は思わないが。どんなに貴族院が紛糾しようとも、アルフレッド王子の立太子は覆らないのだろうという、漠然とした確信はどうしてか感じたのだった。