07 新たなるものたち
次の日の早朝、まだ朝日も登らぬ時刻、私は馬上にいた。
王都を出て東へと街道を駆ける。隣にはパウロ、反対側には少女の如き服装でベールを被ったラトカ、後方にはクラウディアと、彼女の馬に乗せられたベルワイエも居る。
パウロの早馬が隣国から領内に侵入した盗賊団の知らせを齎したのは昨晩の夜の事だった。
ユグフェナ王領の魔物の森の縁沿いに身を隠して、ジューナス辺境伯領を繰り返し出入りしながらのの侵入であったらしく、領境線を越えられてしまっては領軍には手足が出せない。
ユグフェナ、ジューナス領軍に挟まれた盗賊団が逃げ込む先は地理的にカルディア領唯一つしかない。
エルグナードが先手を打って知らせをくれたため、領内には既に領軍が散り、有志のシル族が捜索に出ているという。領民に被害が出る前に捕まれば良いが……。
出席する筈だった教会の行事もキャンセルとなった。司教を迎え、教会と直接的な繋がりを持つようになった今、極力教会本部への出入りはしておきたい所だったが、今回に限っては仕方ない。戻った後にカバー出来れば良いが。
そうでなくとも、なるべくなら王都を出たくなかった。間の悪いことにテレジア伯爵の体調も悪い。
シーズン中、つまり王都に国中から貴族が集まる時期なのだ。ノルドシュテルムの者達も王都にいる。王都から離れている間に、どんな話が流されるのか分かったものではない。
第三者に即時に否定や弁明が出来ないという事は、それだけで不利だ。
黄金丘の館を通り過ぎて、領の丁度中央部、新しい領主の住居が立とうとしている地へと馬が脚を止めたのは、もう夜も更けた時間だった。
建物の基礎だけが出来ている、周囲より一際高い丘の上。東側には黒の山脈から流れる川が通っている。
西の領境線となっているルクタ川と対を成す、セラ川。上流にはシリル村がある。そして川の向こうには、平べったい湖水地帯が広がっている。
「着いたか、御館様」
馬から飛び降りた瞬間、アルトラス語が背後から聞こえた。振り向けば独特の文様が織り込まれたチュニックに身を包んだ、シル族の男が走り寄ってくる所だった。
「ああ、今戻った。領内はどうだ、テオ」
テオ──テオメルという名のその青年は、私と直接やり取りを行うよう、シル族側から選出された者だ。年若い戦士の一団を率いている事もあり、話す機会は必然的に、シル族の中では最も多くなっている。
「今は俺達が中心になって、セラ川から東を捜索してる。連中、まだ川は渡ってない筈だ。領軍の奴らは村と、川沿いを守ってる。ギュンターさんの指示だ」
「そうか。……湖水地帯は痕跡が残り安い。それでもまだ見つからないという事は、恐らく領内から一度出ている。王領の追手を巻いた時と同様、ジューナス辺境伯領の領境線を跨いでいるのかもしれない。……向こうの領軍と連携が取れれば……、」
ちらりとベルワイエに視線を向けると、彼は首を横に振った。
「黒鳩を飛ばしたのですが……ジューナス夫人からのご回答は『領内の問題はそれぞれに対応を望む』との事でした」
彼の言葉に、私もテオも憮然と頷く。シーズンで領地を留守にしているジューナス辺境伯に代わり、その代理を務める夫人はカルディア嫌いで有名だ。
父の性癖や、私にも受け継がれた容姿を取り上げて『悪魔の一族』と呼んでいる事を、彼女は隠す気も無いらしい。その癖父母の最大の犠牲者であるカルディアの領民にまで嫌悪感を露にしているので、単にカルディア領が嫌いなのだろう。詳しいことは知らないが、彼女の父と私の祖父の間柄は犬猿の仲と称されていたという話だ。
「テオ、まだシル族に動ける戦士はいるだろうか?」
「……ああ、工事の為に半分は残してる」
「工事は後回しだ。動かせる者をすべて動かす」
テオは頷かなかった。一歩前へと踏み出すと、跪いて私の肩を掴む。彼は恐らくそれほど力を込めはしなかっただろうが、小さな私の肩はミシリと軋む音を立てた。
痛みを噛み殺す。頬の筋肉すら、ほんの少しも動くのを私は自分に許さなかった。テオの睨むような眼光を真正面から受け止める。
「俺達の住む場所が整うのが、これ以上遅くなるのは了承出来ない。それとも何か、新入領民である俺達の事より、元からいる領民が大事か?同じ様に扱うと言ったのはあんただ」
ただでさえ予定していたものよりも大幅に工事は遅れている。監督者であったカミルの死、人手となる筈だった農耕民達の死、新たな監督者である私の外出。慣れない建材を使う作業に、これまでとは全く異なる環境と生活様式。
彼の言い分は最もな事だった。そして彼がこれ程熱くなる理由も、私は知っていた。
テオメルは、シル族の氏長の一人だ。デンゼルでの逃亡で失われた長達に代わり、他の氏族が立てたのは一世代前の老人ばかりだった。この領へと移り住んだ八つの氏族の長の中で唯一年若い彼には、氏族の枠を超えてシル族全ての期待が寄せられている。老いも若いも関係なしに、だ。
私は肩に置かれたテオの手の上に、自分の小さな掌を重ねた。
「テオメル・ティーリット、君達の住居が何時までも整わないで困るのは、私の方も同じだ。……何も、私は王都で遊び歩いている訳じゃない。作業を止めても問題は無い」
テオは一つ、ゆっくりと瞼を閉じて、開く。
石のようなグレーの瞳に、あちこちに焚かれた松明の炎が踊り揺れている。
「……何か、対策が?」
「木工で名の知られたカールソンの領主に話をつけてきた。一月後には六十人、工房が丸ごとここへ来る。難航していた船や桟橋、家具は彼等が作る。建材の材木も彼等が加工を。機織り機や糸車も頼んでおいた」
そう、私は何も、王都で遊んでいる訳では無い。そんな暇も、権利も、私には無いのだ。
「分かってくれ。受け入れておいて勝手な話だが、元からいる領民達の私に対する感情は良くない。私は彼らを守らねばならないし、その為に君達を戦いに駆り出す。……君達から戦士としての生き方を取り上げないのは、単にその矜持を尊んでいるだけではないんだ」
肩に置かれたテオの手から完全に力が抜けた。彼は私の瞳を見ている。彼の瞳に、火の灯りと共に私の血のように赤い瞳が見える。テレジア伯爵のように私を見透かす目ではない。彼は私の瞳に映る彼自身を見ていた。
後ろで成り行きを見守っていたクラウディアに促されて、テオは立ち上がる。そうして私に向かって、深く頭を垂れた。
「……失礼な事をした。御館様の指示通り、戦士達を全て動かす。彼等を西へ」
「助かる。……感謝する」