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06 林檎のジュース

「やぁ、久しぶりだねカルディア子爵。今日は来てくれてありがとう」


「こちらこそ、本日はお招き頂きまして誠にありがとうございます、モードン卿」


 始めて身に纏った王国式のドレスに悪戦苦闘しつつ、侍女姿のクラウディアを伴って夜会の席の主催者に挨拶に向かう。大食堂の奥に立っていた、昨年顔見知りとなった美しい辺境伯は、私の姿を認めるなり、随分と砕けた調子で朗らかに声を掛けてきた。


「今回はドレスを纏っているのだね。良く似合っている。騎士の礼装も凛々しくて好ましいが、時に女性らしい姿で印象付けることが出来るというのは君の強みになるだろう」


 モードン辺境伯は穏やかにそう私のドレス姿を評する。今まで公式の場に出る時は騎士礼装だった事もあり、話題性と併せて会場にいる貴族達の視線が確かに集中してくるのが感じられた。


「そう思えて頂ければ何よりです」


「悪い気はしないよ。貴女のそれは侮りではなく、信頼の証なのだろうから」


 彼が嬉しそうに笑うのに合わせて、その銀の髪が小さく揺れる。誤解無くこちらの意図を読み取って貰えた事に安堵した。


「今日は、テレジア伯爵は如何されたのだろう?」


「それが、どうも少々体調を崩してしまったようで……。疲れが出ただけだと仰ってはいたのですが」


 領内の仕事に加えて連日社交が続き、止めに二日間の馬車移動は流石に老体に堪えたらしい。

 明らかに働かせ過ぎているのは自覚しているのだが、何せ彼にしか出来ない仕事はまだまだ多い。人手を増やす決断の時期は過ぎ、誰を人手として取り込むかを決めなければならない時期になったらしかった。


 モードン辺境伯は背後のテーブルを振り返り、ワインの杯を二つ引き寄せた。そこに別々の瓶から白ワインに似た液体を注ぐ。

 差し出された杯を受け取ると、私の分はどうやら林檎ジュースであるらしいという事が分かった。思わず見上げた先で、辺境伯は上品に微笑んでみせた。山のような招待状の中で、わざわざ子供用の──つまり、私専用の──飲み物が用意されていたのは初めての事だった。


 やはり奇特な人だ、と思う。息子と同い年の子供であるというだけで、カルディアの娘である私に偏見どころか親切を持って接するのだ。

 父と家族の残した悪名の面影は未だ濃い。彼等は背教者であり、貴族の面汚しでもあったのだから。

 貴族院の決定があるからこそ表立っては聞こえてこないが、北方貴族に内心のみで同調している貴族は確実に存在している筈なのだ。


 お互いに杯を軽く掲げてから一口目を含んだ。爽やかだが濃い甘さとほんの少しの酸味に、前世でもよく林檎のジュースを飲んでいた事を思い出す。

 モードン辺境伯は私とクラウディアの為に椅子を引き、側に控えていた給仕にクラウディアの分の飲み物も用意させた。

 晩餐の時間にはまだ少し早いが、軽食は並んでいる。ホールで踊る者達の休憩所を兼ねているのだ。

 辺境伯直々に席を勧められては、断る事は失礼に当たる。私とクラウディアは、辺境伯と向かい合うようにして着席した。


「……そう言えば、最近君の従者の姿を見ないね」


 これまで何度か他の家の催し物で会った時の事を思い出しているのだろう。辺境伯はクラウディアに視線を一瞬滑らせてから、そう切り出す。

 カミルの事を聞かれているのだ。

 そう思った瞬間、血濡れたカミルの姿が瞼の裏を過る。

 隣でクラウディアがテーブルに杯を置く音が、小さく、だが鮮明に聴こえた。モードン辺境伯の美しく完璧な微笑みが、一瞬で掻き消える。


「ユグフェナで戦死を」


 声が震えそうになって、押さえ込んだら酷く端的な言葉になった。唇が少しだけ戦慄いた。


「それは、……」


 恐らく正確にこちらの感情を読み取られた。辺境伯の声が、痛まし気に戸惑う。


「……お気の毒に。済まない、悪い事を聞いた」


 哀れと思っている事が充分に伝わる、シンプルな言葉と声色だった。伏せられた視線の先では、恐らく私と彼の息子を重ねている。

 手元の杯を持ち上げて、一口分を喉へと滑り込ませる。いつの間にか喉が乾いていたらしく、二口、三口と嚥下が続く。

 ふと、唐突に辺境伯へと逆に同情心が込上がってきた。彼はこれから先も、自分の息子と近い年頃の子供の全てにこうして心を痛めるのだろうか。もしそうであるならば、何と哀しみの多い人生を送るのだろう。


「彼の善なる魂が、ミソルアの口付けを得られることを祈る」


「……ありがとうございます」


 辺境伯が静かに杯を持ち上げる。彼はそのまま少しの間、言葉を交わした事もない私の従者の為に、その魂の安寧を祈っていた。




 帰りの馬車の中、言葉も無く窓の外を見ていた。

 手の中には飾り紙に包まれた焼き菓子がある。モードン辺境伯が土産として持たせてくれたものだった。


「……貴族のやり取りは暗号や密書が一般的なのでしょうか?」


「そうなのか?」


「いえ……、何でもありません」


 思わず尋ねた問いに対して、キョトンとした表情で応じるクラウディアに、聞くだけ無駄だったと思いながら再び口を噤む。

 焼き菓子を包む紙は数枚重ねになっていて、一番外側の紙の内側にはモードン辺境伯からのメッセージが仕込まれていた。

 美しい文様の飾り紙は、折り目を付けずに利用し、後日手紙やメッセージカードに再利用して送り返されるのが慣例となっている。遅かれ早かれ気付く所であり、また慣例のせいで先にメッセージを書いて送るのは盲点となり、気付かれ難い。


 内容は、ここ最近モードン辺境伯領を通り北方貴族の領土へと行き来を繰り返す者達の事だった。

 留まらず戻らぬ筈の巡回の修道女達の、その異様な行動が、北方貴族の動きとどう繋がっているのか。何故モードン辺境伯が私にこれを寄越したのか。修道女達は何を目的として動いているのか。


 情報が少な過ぎて何一つ繋げることも出来ず、フラストレーションが溜まる。

 息をついて窓の外を通り過ぎていく景色に意識を戻す。向かいの席では辺境伯邸で食べた美食に上機嫌なクラウディアが、陽気に鼻歌を口ずさみ始めた。

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