05 町屋敷
揺られること二日、馬車は漸く目的地へと辿り着いた。
王都の貴族街の一番外れ、塀の一画は平民街と接しているような、小さく古ぼけた屋敷の前に降り立つ。二階建てのそれは黄金丘の館よりも圧倒的に屋根が低く、見上げるほども無い。
「これか……」
テレジア伯爵が溜息混じりにそう零した。そうして、ちらりと私に視線を落とす。
「お前、これで良いのか?」
「どうせ王都にいる間しか滞在しませんので」
肩を竦めると、伯爵は再度嫌そうに屋敷へと視線を戻した。
私の人生初の買い物であるカルディア家の町屋敷は、つまり、それほど見窄らしいものであった。
ユグフェナ城砦での戦いの、後始末に奔走する日々が一段落着いた後も、私が王都に出入りする機会はそれほど減らずにいた。
夏から秋にかけては貴族院の通常集会があるため、王都が社交シーズンに突入する。普段領地にいる貴族達が王都の町屋敷に生活拠点を移し、人脈を広め深めるべく様々な会を開くのだ。
特に夏の半ばから晩夏までは新成人の社交界デビューやクシャ教の祭事である降臨祭等、人々を寄せ集めるのに十分なイベントがかなりある。
勿論、宮廷貴族として大成したテレジア伯爵はともかく、まだデビュタントどころか準成人すら迎えていない私には、社交シーズンなど後十年近く先話題の筈だった。
……ところがその筈を裏切って、現在我が家の執務室には貴族達からの様々な会への招待状が山と積まれているのだ。
理由は単純、商談の為の顔繋ぎの為である。
リンダール成立の動きに加え、襲撃を掛けてきたデンゼル公国に対する警戒は最高レベルまで高まっている。当然、国内の注目は国境であるユグフェナ、ジューナスとその領の両方に面するカルディアに集中する。
貴族院で三領へのバックアップ、それも金銭の支給という具体的な支援体制が整えられた今、その金の回る先に入り込もうと様々な領の領主貴族達が動いている。
元々から注目度が高く、取引先も殆ど固まっているユグフェナ、ジューナスに対し、此度から新たに東方防衛線に含まれるようになったカルディア領は、それらの貴族にとって新しい市場そのものだ。
軍事的な設備の他にも新入領民の為に賄わねばならない物が多岐に渡って膨大にあるというのも、多くの貴族達がこぞって招待状を送ってくる理由の一つか。
要するに、何処の領も新規顧客の獲得に忙しいという事だ。
蛇足ではあるが、アークシアでは原則的に準成人以下の年齢の子供はホスト役以外での夜会の参加はマナー違反である。
但し私は子供である前に下級子爵であるとの事なので、招待状は容赦なく送られてくるのだ。普通、逆ではないのか。
……以上の経緯から、連日夜会や昼食会が続くというスケジュールが立てられた。未だ小さな身体にはかなりハードなのだが、文句を言ってもいられない。言う相手ももう居ない。
王都滞在中ずっとテレジア伯爵の屋敷に泊まるわけにもいかず、私はこの貴族街の外れにある小さな屋敷を購入した。
大分朽ちているように見えるが、まあ、それほどに長く滞在するわけでもないので問題は無いだろう。外観はともかく内装は業者を手配して調えてある。
ブランド価値が付いていないだけ安いが仕立ての良いアルバス牛皮のソファーに身を沈めて居間を見渡すと、赤煉瓦とウッドの露出が漆喰塗りの壁に温かみを与えていて、そこそこ気に入った。
「エリーゼ、今夜から明後日までの予定」
「え、……ああ。今夜は執務室を整えてもらって……明日は昼に……仕立屋が来るから、採寸。夜は、ええと、モードン辺境伯邸の夜会に参加」
私の傍らに立つ侍女のお仕着せを着せられたラトカをせっつくと、彼はしどろもどろになりながらもスケジュールを読み上げる。最近はベルワイエに連れられて、その仕事を教えられているのだ。
ラトカの事は侍女にするつもりも、秘書にするつもりも無いが、出来る事が多ければ困る事は無い。それにこうしていると嫌でもやり取りが増えるので、少しずつではあるが、打ち解けてきたような感じがある。
「明後日は神殿の法典拝読会があるだけみたいだ。執務室にはもう荷物を運び入れてあるけれど、どうする?」
「茶を飲み終えたら行こう」
「……お茶なんて、メイドに言いつけたっけ?」
「察しの悪い奴だな。お前が今から申し付けに行くんだ」
「ああ……そういう」
ラトカは頷いたが、何だか納得のいかないといった風な表情をしていた。
彼が踵を返し、慣れない様子でロングスカートの
裾を捌きながらリビングから出て行くと、暖炉の横の壁に寄り掛かっているクラウディアが、堪え切れないとばかりに小さく吹き出す。
取り繕う気もないのかそのままケラケラと笑いだした彼女に視線を流すと、彼女は軽く肩を竦めた。
「……何ですか」
「いやぁ、随分楽しそうにあの子とやり取りをしていると思ってな」
引き続き私の護衛を務めているクラウディアだが、黄金丘の館に居た時は警備があるので四六時中側に居させた訳ではない。
ラトカと私の遣り取りを見たのも、初めての事らしい。
「あの子と話している時のエルシア殿は不思議と活き活きしている。やはり歳が近いと、そうなるものなのか?」
「さぁ……どうでしょう。あと、エルシアではなくエリザです」
「む、また間違えたか。申し訳無い」
歳が近いからあのような気安い態度になるかといえば、おそらくそれは違うだろう。
かと言ってどうしてラトカにだけあんなに砕けた態度を取れるようになったのか、それを上手く言葉にする事も出来ずに首を傾げて返した。
「だが、やはり見ている側としては不思議とこう、面白いような、どこかホッとするような気分になるのだ。なんと言えば良いかな……」
クラウディアは言葉に詰まったらしく、そのまま唸り始めた。話はもう続かないだろうと、私は彼女から視線を外して窓の方へと向ける。
硝子の向こう側では、もう空が赤色を帯び始めている。王都はカルディア領よりも日の入りは遅いが、完全に暗くなる前には夕食を終えてしまいたい。
王都だろうと変わらず、灯りとなるのは蝋燭なのだ。日が落ちてからあれこれとやるにはコストが掛かり過ぎる。
宣言した通り、お茶を飲んだら執務室の片付けに取り掛かろう。とは言っても、私がやるべき所など、机の上を使いやすい様に整えるくらいで、すぐに終わるのだが。
ふとクラウディアの唸り声が聞こえなくなってそちらに視線を戻した。
彼女は空色の瞳をじっと私に向けて、酷く形容のし難い、何処か不思議そうな表情をしていた。どう反応をしていいのか分からず、思わず固まる。
そうしたまま何度か瞬きをした。
「ああ、そうか!エリザ殿が心を開いているような感じがして、落ち着くのである。護衛対象が警戒していると、私も警戒してしまうのでな」
突然得心がいったというように、満足気な表情でクラウディアが言った言葉に、私は胸のあたりが凍りついたような錯覚を覚えた。
「……エリザ殿、どうかしたのか?まさかまた私は名前を間違っただろうか」
「……いえ、そうではありません」
硬直した筋肉を軋ませながら、どうにかそう絞り出して首を横に振る。
彼女の言葉に今更分かった自分の内情に、今度は私が呻き声を上げたいほどだった。