04 馬車の中で
面倒な相手に目をつけられたな、と私は内心で溜め息を吐いた。
ノルドシュテルムは北方を代表する大貴族の家系であり、当主は侯爵位を持つ。三代前には王族から降嫁があった事もあり、王都との一応の繋がりもある。
金貸しでその財力を保っているという事から評判はかなり悪いが、それ故に逆らえない貴族は多い。
さらに北方を代表する貴族達は遡ると大抵がノルドシュテルム家の分家筋であり、北での影響力は王家よりも大きいという。
かつてより北の地は、アークシアで最も重要度の低い地として扱われてきた。
他国と地続きとなる所は黒の山脈が横たわり、北方は波の荒い海に面する地で、どちらも北方を天然の要塞たらしめている。
海上貿易に出るにも位置が悪い。東に行けば他国があるが、北の大部分は長くデンゼル公国の支配下、或いは対立していたリンダール王国の領土だった為だ。彼等の領分をそのまま過ぎる航海技術は未だ無い。
凍土も多く、そうでなくとも土地が痩せているため、全体的に貧しい地域といえるだろう。
そういった理由から、アークシア王国建国当時まで北の地を治めていたのはノルドシュテルム家唯一つであった。細かに治める必要がある地を優先して人を配置していった結果、北方は最後まで一人の貴族も派遣されずにいたのだ。
広大な土地を当主一人の身で治めるのは不可能であり、ノルドシュテルム家は当主の下独自に土地を分割して治め始め、つい百二十年程前にその統治機構がそのまま王国の諸侯制度に当て嵌められて今に至る。
そんな土地を治めるノルドシュテルム家が王家と関係を結べたのは、単に金銭的な要因だ。
まず、北方ではノルドシュテルムに金が集まる。最も栄えている都市が侯爵領の城下街であり、人と物が集まるからだ。
次に、北方には使われもしない防衛補助費が毎年出されていた。長い事貯め込んだそれを元手に、今度は周囲の領地に金を貸し始め、その利子だけで領地の経営に必要な分を賄っていると噂される程収入を得ているという。
王族からの降嫁は王国の利にならないノルドシュテルム家の財産を中央に戻す為の苦肉の策だった、とテレジア伯爵が言っていた事を思い出す。
アークシアの王族は二家からなり、王位継承権が王族の手を離れる事を防いでいる。
そのうちの王家ではない一方、メルリアート家の娘一人と引き換えにして、国庫に入ったのはノルドシュテルム家の資産の約三分の一程度であったらしい。
当時それを決定した『宮中』にいたリーデルガウ侯爵から聞いた話だとテレジア伯爵が言うのであれば、間違いは無いだろう。
資産は減ったが、王族に繋がりのある貴族が取り巻きを集めて敵意をぶつけてくるのだ。勘弁してほしいと思ってしまうのも仕方のない事ではないか。
そもそもその原因は貴族院が北方に出していた防衛費の半分をカルディア・ユグフェナ・ジューナスの三領地に分配する事を決定した為である。使われない費用を確実に使うであろう所へと回した貴族院に間違いは無い。
北方貴族達が目の敵にしているのはカルディア家、つまり私だけであり、ユグフェナ王領を治めるエインシュバルク王領伯やジューナス辺境伯に対して動こうとしないのは、単なる逆恨み、或いは八つ当たりであると言っているようなものではないだろうか。
「そう憂鬱そうな顔をせんでも良い」
ガタゴトと揺れる馬車の中、向かいの席に座るテレジア伯爵がフンと鼻を鳴らした。隣に座るクラウディアも頷いて同意を示す。
「どうせすぐに片が付く。ジューナスやユグフェナにとってもカルディアには早く領内を整えて貰わねばならぬ上、それまでの方針は表向きテレジア伯爵が決めている事になっているのだ。資産しか武器の無いノルドシュテルムが、テレジアとジューナス、エインシュバルクの三家を相手取って動くには利がないのである」
「それはノルドシュテルムの方も最初から承知している事でしょう。分かっていて尚動くという事は、他に協力する勢力があるのでは?」
私が懸念しているのは、そのノルドシュテルム以外の勢力の方だ。
ノルドシュテルムには、金と取り巻きの北方貴族達以外には何も無い。それだけでは何の脅威も感じない。しかし、協力関係が誰なのかによっては、掻き回される可能性はある。ノルドシュテルムの豊富な資金が如何にして使われるかというのが問題だと思えるのだ。
「国家の動きをひっくり返す程の何かとノルドシュテルムが繋がりがっていると思うのか」
テレジア伯爵が片眉を上げて私の懸念を確認する。
北方から西南の領地に費用を与える事に決めたのは貴族院の通常集会でのことあであり、そこで決まった事は国内の全貴族によって決められたものという扱いにな。つまり、国の方針という事だ。
ちなみに、貴族院は子爵以上の領主貴族と伯爵以上の宮廷貴族で構成されている。それ以下の身分である貴族は参加する貴族を代理として間接的に関わるという事になっている。普段私が貴族院に出席しないのは、テレジア伯爵を私の代理として立てることが出来る為だ。
「しかしそうでなければ、保守的な北方貴族が貴族院の決定に横槍を入れる様な真似をするでしょうか?」
反語的な返しになってしまったが、伯爵はふむ、と頷いた。王都の宮廷貴族達とは異なる意味で保守的な北方貴族達は、只でさえ少ない自分達の影響力が薄まるリスクに対して注意深く在ろうとする。
そんな彼等がノルドシュテルム家を中心に一つに集まろうという事は、確実にこちらにダメージを与える何かがあると考えた方がいいのではないだろうか。警戒するに越した事は無い。
テレジア伯爵はふいに視線を窓の外に移した。
流れていく景色を眺めながら、何事か思案しているのだろう。
話はこれで終わりだろうと私も伯爵から視線を外した。懸念している事が伝わっただろうから、二人もそれを踏まえた上で北方貴族に注意を払うようになるだろう。
ところが。
「……ノルドシュテルムもそろそろ代替えの時期やも知れぬな」
暫くしてテレジア伯爵がぽつりとそう呟いた。
それが予言となるあたり、やはりこの伯爵は恐ろしいと再確認した。