03 人形と密書
「……これを、どうしろと?」
呆然自失となったせいか、そんな言葉が勝手に漏れた。これはあんまりではないかと、テレジア伯爵に縋るような視線を向けた。
「遊ぶしかないであろう。エリーゼ殿と共に」
テレジア伯爵の冷静な声が、私の儚い逃げ道を押し潰す。
私はまじまじと、手の中にあるものをもう一度見てみた。
精巧な作りが美しい少女を象った人形が、不気味さを減らすべく絶妙にデフォルメされた顔に何とも言えない微笑みを浮かべている。
実際に存在するならばどれ程の金が掛かるのかというようなきらびやかな衣装を纏っていて、その余りの過剰装飾振りに感心するよりまず引いてしまう。何もこんな、鬼気迫るものを感じさせるほどにフリルを重ねなくても良いではないか……。
この人形は、この黄金丘の館に滞在している少女、エリーゼの父親であるシュルストーク男爵の名義で贈られてきたものである。
男爵はわざわざご丁寧にも、デザインの異なる二体をセットにして寄越して下さった。つまりその意味するところは、先程テレジア伯爵が言ったように「エリーゼと二人でこれで遊んでください」という事だ。
元々エリーゼは療養を目的としてカルディア領へとやって来たが、名目上は私の遊び相手として招いた客分という扱いである。
しかし今まで彼女とは、遊ぶどころか見舞いするだけの関係に留まっている。エリーゼの体調が良くなかった事もあるが、単に私が忙しいので見舞い以上にエリーゼに時間を割く事が出来なかった為だ。
だが、そんな事をシュルストーク男爵が知る由もない。領主貴族のうちの男爵というのは土地の所有権だけを認められた地位であり、社交界にも殆ど出てくる事の無い彼は私の忙しなさも、人形遊びに興味も無いということも知らないのだ。
とはいえ人形というのは、十歳前の女児への贈り物の中では非常にオーソドックスなものである。世間一般から見ておかしいのは、遊びたくないと思ってしまう私の方だろう。
そんな私の個人的好みなど知るかとばかりにテレジア伯爵はさっさと執務室に引き上げていってしまった。
残された私は、再度げんなりとキラキラしい人形に視線を落とすのだった。
どうするか、これを。遊ぶのか、私がこれで。
頭を抱えて、いやまてまてと考え直す。
……要はエリーゼがこれで遊び、その遊びに付き合う者がいればいいのではないか。その遊び相手というのが私である必要は無いのではないか。
ラトカにでも渡そうかと考えつつ、私はなんとなく手の中にある人形の、布の密集したスカート部分の最初の一枚を摘んだ。無駄に凝っている衣装は、布の重なりで見えなくなってしまうところにまで刺繍が入れてある。一番上の布にびっしりと縫い込まれた金糸の薔薇が、光を弾いてチカチカしている。
「……ん、」
よくよく見ると、その刺繍はどうにも不思議な模様を象っている事に気付いた。普通繰り返されるであろう筈の、一部分だけが他と異なっているのだ。
もう一枚布を捲って、やはりそこにも同じような刺繍が施されているのを確認する。
これは何の模様なのか、と首を傾げて暫くそれを眺めていると、ふとその奇妙な部分の模様が文字ではないかと思えた。
適当なところからそれを文字と捉えて読んでみると、単語の間に空白が無いため非常に読み取り辛いものの、どうやら意味のある文章らしい。
「成程、密書であったか」
刺されていた文字を全て書き取った紙に目を落としながら、テレジア伯爵がそう呟いた。
「エリーゼ殿にお伺いしたところ、どうやらこの薔薇が暗号文を示すそうです。部屋から出られないエリーゼ殿の為に、シュテーデル子爵が遊びとして謎解きをさせていたらしく、暗号文等はに必ずその薔薇が記されていたと」
病弱で、ベットからすら降りれずに日々を過ごす事もあるエリーゼを、彼女の伯父のシュテーデル子爵は殊の外可愛がっている。姪が何の楽しみも無く部屋に篭るという状況を避けようと、その場を動かずに遊べるならばあらゆる玩具を用意してくれた、とエリーゼ自身から聞いた。
シュテーデル子爵自身に娘が居ないから、その分姪に愛情を注いでいるのかもしれない。そこへ更にエリーゼの体の弱さが周囲の過保護さに拍車を掛けているのだろう。そんな環境でよくもあれほどに純粋無垢な少女が育ったものだと、妙な所に感心する。
「それで、何と書いてあったかは分かったのか?」
「はい。単語の区切りさえ注意すれば、それほど難解なものでもありません。内容は北方貴族の動きについての警告でした」
北方貴族、という言葉にテレジア伯爵がほんの少しだけ煩わしそうに顔を歪めた。
「ノルドシュテルム家を中心として、幾つか過激な組織が集っているそうですね」
「愚かしい事だ。今更カルディア領を貶めた所で、取り上げられた金が戻ってくる訳ではないというのに……」
伯爵は疲れたように一つ、深く息を吐いた。
落ち着いてきたと思えばこれだ。報せをくれたシュテーデル子爵はありがたいが、厄介事は歓迎出来ない。ただでさえカルディア領は人手不足で仕事が多いのだ。
先日の貴族院で相対した北方貴族達の、悪意の篭った視線を思い出して陰鬱な気分になる。これからこの密書の内容が事実であるか裏付けを取らねばならないのだが、間違いは無いという確信があった。