01 通過儀礼
社会あるところには何かしら通過儀礼というものが存在する事が多いらしい。
王都の王宮を取り囲むように聳えるアール・クシャ教の総本山、ミソルア大神殿にて。暗闇の中何時間も跪いている私は、懺悔する傍らそんな事を考えた。
このアークシア王国の民にとって、七歳というのは人生の一つ目の節目となる。
法による罰を本人が受けるようになるのがこの年齢からなのだ。つまり、クシャ教の法に従い過ごす本格的な誓いを立てると共に、その法を破る事に対し責任を持つ事になる。
領地の平民の子供は自分の誕生祝に近くの礼拝堂に集められて神聖法典の内容を聞かされる程度の儀式となるが、貴族の子弟は別だ。
このミソルア大神殿に連絡を取って儀式を行う日時を定めて赴き、禊を行ってから半日程この真っ暗な部屋で一人孤独に懺悔を行う。その後に神聖法典のある一節を暗唱し、神と神官の前で法への従属を誓う。
同時にこの儀式は、アール・クシャ教会へ正式に入信するためのものでもある。
七歳までは仮入信のようなものだ。七歳までに死ぬ子供の割合というのは非常に高く、またその年齢まではやって良い事と悪い事の区別が付きにくい事が関係しているという。
色濃く浮かび上がった前世の記憶が、宗教など全て胡散臭いものではないかと、私の頭の片隅では常に囁いている。半日も暗闇に閉じ籠り、懺悔を行うという行動の馬鹿さ加減を訴えるその声を、私自身が黙殺する。
ミソルアが実在するかどうかなど、どうでもいい事なのだ。私がアール・クシャ教に属するのには、真実の信仰など一切必要ない。重要なのは、その教義によって秩序立てられた社会に従うかどうかだ。
半年程前、一月近く眠り込んでいた頃に、私はずっと前世の事を夢見ていた。
忘れていた多くの事が、それによって思い出された。だがそれはどういう訳か自分自身の過去の事として受け入れる事は出来ず、まるで読み込んだ小説の主人公か、或いは亡霊の囁きのように感じられている。
私はアークシア王国に生きるエリザ・カルディアであり、日本に生きていた年若い女ではないのだ。
今この暗闇の中、態々私が跪謝請礼というポーズまで取って真面目に今までの自分の罪を振り返っているのは、半分以上、前世の自分との決別をつける意図あってのことだった。
予定通りに儀式を終えると、私は暫く大神殿の聖堂等を見て回る事になった。
大神殿には私の付き添いとして後見人のテレジア伯爵が来ているのだが、彼は彼でここに用があるのだ。
我が領にもやっとクシャ教の儀式を執り行う事が出来る司教がやって来る事になった。その司教の移動について、書類を纏めたり、条件を詰めたりといったことが、今回の伯爵の用件というわけである。
因みに司教、というと前世の記憶から高位の聖職者を思い浮かべるが、アール・クシャ教会においては一般的な教職者を指す。文字通り教えを司る者という訳だ。
神官の案内に従って聖堂に入る。その瞬間、造りの細かさと壮麗な景色に目が回るほど魅入られた。
精緻な石像彫刻と木枠が何処に視線を向けてもこの上ない美しさで組まれ、正面の教壇から二筋の水が流れ出ている。
天井に大きく開けられた丸い窓は花のようなステンドグラスで出来ていて、聖堂内に幻想的な光を落としていた。石像彫刻の瞳に嵌められた宝玉が、その光を受けて輝くのが、殊更に聖堂内部の非現実的な光景を強めている。
教壇の更に上部には聖アハルの遺骸を祀る祭壇があり、驚いたことにそれは泉であった。水の湧き立つ泉が石で円に縁取られ、その中央に遺骸を入れた棺が立ててあるのだ。
「素晴らしいでしょう」
案内役の神官が、ほんのりと自慢気にそう言った。私は頷くしかない。これ程までに美しい建造物を、前世の記憶を漁ってさえ、他には知らないからだ。
余りの見事さに目を離せず、暫く興味を引かれた方から順に視線を遊ばせた。傍らの神官は黙って私の様子を見ている。どうやら飽きるまで見させてくれるらしい。
そうして天井から床、壁から教壇と飾られた細工を眺めていると、ふと後ろから声を掛けられた。
「おや、そなた……カルディアの娘ではないか」
老人のようでもあり若者のようでもある、女性のようでもあり男性のようでもある、そんな不思議な声だった。特徴的なそれには聞き覚えがある。
振り返ると、白い法衣に身を包んだ人がそこに居た。
「ファリス神官──」
「宣誓の儀を行ったようだな。禊と懺悔を行ったにしては酷い顔をしているが……」
昨年の春、私の誕生祝の典礼を執り行ったその神官が、何とも言えない薄ら笑いを浮かべている。一年振りに見たが記憶の中の姿と寸分違わぬその姿に、ひくりと頬が引き攣るのが分かった。
「……よくもまぁ、幼き身でありながらそこまで業を背負い込むものよ」
何が面白いというのか、どこか楽しげに呟かれたそれに、勝手に肩が跳ねた。
この得体の知れない神官は、何を考えているのかまるで判らず、それでいて心を見透かされているような言動を取るため、どうにも不安定な気分にさせられる。
「宮司様、カルディア子爵をあまりからかいませぬよう……」
案内役の神官が、困ったような声音でファリス神官を諌める。ファリス神官は軽く肩を竦め、そのまま祭壇の方へと行ってしまった。