同じ名を持つもの・10
気を失っているらしいエリザと、流石に疲労の色の濃いクラウディアが館の中へと運び込まれるまで、ラトカは自分の体が石になったと思った。
自分でも混乱しそうなほど、様々な感情と思いが頭の中で交錯している。
そうしてテレジア伯爵までが館へと引き上げて初めて、ラトカはぎこちなく踵を返した。
ベルワイエがいつラトカを迎えに行くかもわからない。言い訳を聞いてくれる保証もないので、勝手な行動を見つけられるのは避けるに越した事は無かった。
足早にその場を離れて、修練場へと戻る。
心臓はまだばくんばくんと痛いほどに脈打っていた。
エリザも、クラウディアも、二人が乗っていた翼のある獣も、全身血塗れだった。ユグフェナ城砦で戦いが起こったのだろうか。朝は皆普通に過ごしていて、そんな知らせが入った様子はなかった。
自分の知っている人間が、自分の知らないところで死に掛けていたという事は、ラトカにとってかなり心臓に悪いもののように思えた。
それでもエリザは帰ってきたし、エリザが帰ってきたという事は一緒にユグフェナへ行った領軍の兵士達も何日かしたら戻って来るだろう。
そう思うと途端に肩から力が抜けた。強張っていた体を解そうと立ち上がると、丁度ベルワイエが修練場へ入ってくるのが見えた。
「すみません、何刻もの間放っておいてしまって……!」
小走りになってラトカの前へと来たベルワイエは、驚いたことに焦っているようだった。普段の冷たいまでの素っ気なさからは想像もつかなかったその様子に、思わずラトカは目を丸くした。
ベルワイエもそれで自分の状態をやっと自覚したのか、一つ咳払いをして落ち着けてしまった。
「クラウディア様がいらっしゃらないのに、あなたをずっとここへ居させたままにしておいて申し訳無かったと思います。二度とこのようなことはないように致します。さあ、今日は戻りましょう」
すらすらとそう言うだけ言って、やはりさっさと背中を向けてしまったベルワイエに、ラトカはどうしてか酷く落胆した。一言でいいから、謝罪ではなく説明の方が欲しかったのだ。
孤独感が心に影を落とす。ラトカは暗い気分でとぼとぼとベルワイエの後を着いて行った。
それから四半月も経たないうちに、領軍の兵士達はギュンターに連れられて館に帰ってきた。
ラトカは彼等が中庭で労われるのを、見つかったら叱られるのを承知で館の窓から見ていた。円形に色の異なる煉瓦が敷かれた庭で、何処か影のある表情をした兵士達が、口数も少なく振る舞われた食事を食べ、酒を飲む。
やはりエリザの状況が彼等に帰還を素直に喜ばせてくれないのだろうか。
怪我を負ったのだろうか、あの少女はまだ寝室に篭ったままだ。
そう思いながら、ラトカは兵士全体を見下ろすのをやめて、今度は兵舎で世話になった者達を探した。
目立つギュンターはすぐに見つかった。豊かに波打つ朽葉色の頭を囲むように、年齢を問わず兵士が集まっている。あの男は他人を引き付ける何かがあるらしい。
珍しくその隣にカルヴァンが座って寛いでいる。
他の兵士達が暗い表情をしている中、カルヴァンだけは一人穏やかな顔を崩していなかった。不思議と彼の周りに居る兵士達だけは、どこかほっとしたような様子だ。
次いでパウロが勝手に目に止まった。他とは頭一つ分は小さい等身と、ふわふわとした金の癖毛は特に目を引く存在なのだ。
元気そうな友人の様子に安堵しながら、そういえば、とラトカは更に兵士達の中に視線を彷徨わせた。
イゴルはどうしただろうかと思ったのだ。兵舎で同室だった、何かとラトカを気に掛けてくれたあの青年の顔も久々に──もしかすると最後に──見ておきたかった。
だが、いくら探せども彼の目立たない栗色の髪を見つける事は出来ない。
怪我をして、兵舎に先に引き揚げたのだろうか。
彼の姿を探して兵士達を追う度に、ふと違和感を感じてラトカは眉を潜めた。
何だろう。何かおかしい気がする。
……暫くじっと兵士達を眺めていると、漸くその違和感の正体に気付いて、ラトカはぞわりと肌が粟立つのを感じた。
兵士が明らかに少ないのだ。
ラトカの見知った顔が幾つも足りない。
それに、結構な怪我を負った者も周りに庇われながら帰還を祝っている。
掌にじっとりと汗の滲むのが分かった。そのくせ背筋にはひやりとしたものを感じる。
彼等は国境を守りに行ったのだ。そして、それを率いたエリザが血濡れとなって帰ってきた。つまり、人死にがあってもおかしくないような戦いとなったのだ。
どうして彼等に掛かる影を、エリザの状況の事だと安穏と思えたのか。
いや、しかし先程考えたように、先に兵舎に戻っているだけなのかもしれない。
ラトカの中で不安が膨らみ、渦を巻く。
彼は窓の分厚いガラス越しに兵士達を見下ろした。
どうせ館の人達は誰一人としてラトカに兵士達の事など知らせてくれたりはしない。
ならば、聞きに行かなければならない。
──今中庭に居ない兵士も生きていると、その一言を聞きに。