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同じ名を持つもの・7

2015/03/23 後半に加筆

 難民の受け入れ地から20人の兵が戻り、テレジア家の私兵団が到着すると、エリザが領軍の兵の全てを連れてユグフェナ城砦へと向かった。


 兵士が戻るその前にラトカは館へと戻された。パウロやカルヴァン、同室だった兵士達を見送る事すら出来なかったことが、ラトカの心にしこりとして残っている。


 ラトカには前と同じ様に館の一番奥にある部屋を宛てがわれたが、今回はそこへ閉じ込めたままにしておくつもりは無いらしい。前にラトカを拘束していた鎖は撤去されていた。


 その部屋へと戻って早々、面識のあるベルワイエが二人の大人を部屋へと連れてきた。

 一人はマレシャン夫人と名乗り、家庭教師としてラトカに教育を施すという。もう一人はすらりとした体躯の品の良い男で、こちらは細剣を教えると言われた。二人共普段はエリザの教育を務めているという。


 領軍での生活は基本的に体力さえつければついていけるものだったが、勉強と剣術はそうはいかない。

 兵舎に入った頃のように吐き戻したりする事こそ無かったが、上手く行かないもどかしさと精神的な疲れ、それに何故自分がこのような事をしなければいけないのかという思いが重なって、三週間もするとラトカは館での生活に嫌気が差していた。


 兵舎とは異なり、館では柔らかな布団が敷かれた寝台で眠れるし、食事もきちんと調理されたものが三食出される。

 それでも兵舎に居たほうが随分マシだとラトカは思えた。

 少なくともあそこではパウロやカルヴァンと毎日話をする事が出来た。ラトカという名を名乗り、呼ばれる事も許されていた。

 それが今や、二人の教師から出される課題に忙殺されて、結局部屋からは殆ど出られないまま、疲弊さえしそうな程の孤独感に包まれる毎日。息が詰まりそうだ、とラトカが思うのも、仕方の無い事ではある。


 それでも、教師たちが口を揃えて「エリザが努力の末に克服した事だ」と言うので、対抗するようにそれらの課題を熟す事をラトカはやめられない。

 二人の口振りとカルヴァンの言っていた事を信じるならば、あの領主の娘はラトカと同様に何も知らず出来ないところから始まり、努力によってそれらを身に着けたということだ。

 最初から出来ていたと言われるならばともかく、そういう事ならば投げ出すにもラトカの矜持が許さなかった。

 貴族たる為の教養を身につけるのに努力が必要だと認める事は、ラトカの中にある『貴族は遊び暮らしているもの』という認識が間違っている事も認めなければならないという事だ。


 だからこそ、ラトカはエリザの後を追う。彼女のやってきた事を、「簡単だった、努力なんて必要ない事だった」と言えるように。




「それではエリーゼ様、本日は貴族と法について講義致します」


「……よろしくお願いします」


 はじめに言葉遣いと振る舞いを矯正されて、同時に文字を叩き込まれ、ようやく勉強と言えそうな事が始まったのは館へと戻ってそろそろ一月が経とうとする頃だった。


 目の前の机の上に、見た事も無い箱のようなものが置かれ、ラトカはそれを恐る恐る手に取る。


「それは本というものです」


 箱に似たそれは、文字を習うのに散々見た紙が沢山束ねられたもので、広げるたそこには覚えたばかりの文字でびっしりと埋められていた。

 白いところがない、というようなそれに目が滑り、文字を追っても言葉の意味は一向に頭に入ってこようとしない。その上その言葉自体も意味の分からないものばかりで、何が書いてあるのか全く分からなかった。


「内容はわかりますか?」


「……いえ」


「そうでしょうね。それが一人で読めるなら、講義など必要がありませんので」


 常に完璧な微笑みを浮かべているマレシャン夫人が、僅かに目元を和ませる。

 あまりの分量にラトカは少々の憂鬱さを覚えつつ、喜々としてその本の概要を話し始めたマレシャン夫人の言葉に聞き入った。




 授業以外に他人と話をする時間もなく、その授業でさえ自由に話をする事も出来ず、一々の動作や言葉遣いさえ細かに指摘されて殆ど動く事も出来ず、ラトカはその息苦しさに溺れるような感覚さえ覚えていた。


 無性にエリーゼに会いたくてたまらなかった。穏やかに話を聞いてくれる彼女の存在は、ラトカにとって初めての心の拠り所だったのだ。


 マレシャン夫人の講義を受けるようになると、元から揺らいでいた貴族への──ひいてはエリザへの感情を保つ事は殆ど不可能になってしまった。


 アークシアにおいて、法は全ての中心にあるらしい。

 信仰に基いたそれは、この国の成り立ちから今に至るまでここで生きる全ての人に関わっている。

 それ程に大切な『法』の、管理者であり実行者が貴族だという。

 法によって齎されるのは秩序であり、健全な人の営みであるとされる。貴族はその秩序の守り手である、というのが『貴族』という存在の前提となっているそうだ。


 最初の神子たるクシャ・フェマが神より授かった『法』を広め、人々に秩序ある社会を築かせた。

 その後フェマの子孫である聖アハルは、法の守り手となるアール・クシャ教会を作り、教会の元教典の教えに従い暮らす者達を守る為の国を創り上げた。

 つまり、その流れの末にあるアークシア王国を国足らしめているものが『法』であるという事だ。

 であるならば、『国』の管理者もまた、貴族である。


 あの夜のエリザの言葉がラトカの中で思い出される。「貴族は民でも人でもなく、国を動かす歯車」……。


 そしてそれらの事は、夜明けの空の瞳をした少女の言葉にも肯定されていた。その上で、彼女は貴族が自分達に課された仕事を忘れて遊び暮らしていると言った。


 だが、それが真実であるならば、どうしてこのような教育を受ける必要がある。


 絶対的な存在としてラトカの奥底に根付いた少女の像が、本を読み進める度に音を立てて崩れていくのを、ラトカは殆ど呆然と眺めるような気持ちで受け入れた。

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