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同じ名を持つもの・6

 久々にエリーゼに会えたというのに、どういう訳か、気付いたらラトカは去り際に「訓練が忙しくなったから来るのは難しい」と零していた。

 胸の中に泥が詰まったように重い。


 ラトカの脳裏には、三人の少女が代わる代わるに浮かんでは消えていく。


「貴族は酷いやつなの。村人を苦しめるだけ苦しめて、自分たちは良い暮らしをして、毎日楽しく遊んでいるのよ」と夜明け色の瞳の少女が薄く笑い、次には儚い微笑みを浮かべたエリーゼが悲しそうに首を横に降る。

 そうして二人の後には、血のように真っ赤な瞳を凍てつかせた領主の娘があの日牢の柵越しに言った言葉を繰り返すのだ。

「法は国を、ひいては人を守るためにある。ある者の言葉によれば貴族も同じだ。貴族は民でも人でもなく、国を動かす歯車なのだと。……それを忘れた愚かな者が人を傷付け、国を滅ぼすらしい。我が父のように」


 それが、ぐるぐるぐるぐる、延々と続けられて、ラトカは頭がおかしくなりそうだった。


 当然、集中力は落ちて何も手につかなくなる。


 手の中の木剣が勢い良く弾き飛ばされ、次いでラトカ自身も地面に引き倒された。余りにも早くて、打ち付けた背が痛みだしたのはラトカが自分の現状を把握してからだった。


「おい、やる気無えのかお前は」


 少々呆然となったラトカに、不機嫌なギュンターの地を這うような声が掛けられる。


「痛ッ」


 爪先で頭を軽く蹴られ、ぱっと上半身を起こすと首の後ろを掴まれて無理矢理に立たせられた。


「何するんだよ!」


「…………。」


 あんまりにも乱暴な扱いに流石に思わず怒鳴ると、ギュンターの呆れたような目と視線が合った。もの言いたげに眇められたそれに、ラトカはぐっと怯む。


「……今日はもうやらねえ」


「え?」


「行軍訓練始まるまで適当に素振りでもしとけ」


 ギュンターはそれだけ言い残すと、さっさとラトカを離して修練場から出ていってしまった。


「……なんだよ」


 ぼそりと零したラトカの木剣は、これまでに無いほど遠くへと弾き飛ばされていた。




 パウロに背中に打ち身の薬を塗ってもらいながら、ラトカはボーッと畑を眺めていた。背の伸びてきた小麦の穂が一面風に揺れている。


「今日はどうしたの?なんか上の空だけど」


「…………ん?あぁ……」


 心配そうなパウロの声にも返事にならないような声を返しながら、それでもラトカの頭では未だに少女達が繰り返し繰り返し出ては消えてを続けている。

 いい加減気が滅入るので消えて欲しいと思いながらも、ラトカはそれが自分自身の混乱の現れてある事を何となく理解していた。

 今まで自分の中で絶対的な価値観だった少女。

 今の自分が一番大切に思っている少女。

 それに、自分が最も悪く思っている存在。

 その誰を信じれば良いのか分からずに混乱しているのだという事を、しかしラトカは理解できていなかった。


 感情が追いついていなかったのだ。

 生い立ちのせいで歪な発達をした情緒は、ラトカの年の割によく回る頭に対してバランスを欠き過ぎている。

 それは思考と感情の乖離を引き起こし、結果彼に混乱を齎していた。


 ぐちゃぐちゃに引っ掻き回されて逆に真っ白になったような状況で、茫然としたままラトカは背後のパウロに尋ねた。


「……なぁ。貴族って酷い奴等なんだよな」


 領軍の兵士達は、自分達が盗賊にまで身を落とす原因となった領主をこれでもかというほど恨んでいるし、憎み、嫌悪している。そしてそ領主の夫人や子供達にも、その感情は確かに向けられている。

 夫人は王都に屋敷を構え、領地に戻る事は少なかったというし、彼等の子供は醜く肥えていて、目についた領民を喜々として虐め倒していたらしい。


 なのに、どうしてかそこにあの一人生き残ったエリザだけは含まれていない。


「……どうだろ?確かに前の領主様とかは酷かったけど、テレジア様は助けてくれたし」


 パウロは少し考えた後、そう言った。


「クラウディア様も凄く良い方なんだよ。面白いし優しいし、気取った所も無いし」


 続けられた言葉に、ラトカは長く美しい金髪の女性を思い浮かべた。言葉を交わした事は無いが、遠巻きにした際に何度か視線が合う事ならあった。

 領主の娘の護衛騎士だ、ラトカの事は知っているのだろう。ラトカが兵舎で大人しくしているかどうか、様子を見ているのかもしれない。


「エリザ様は……どうなるんだろうね。父親に似て酷い貴族になったら嫌だけど、テレジア様が育ててるし、領民の事をきちんと考える人になってくれればいいな。クラウディア様はエリザ様の事、良い子だって言ってるし、他の兵士も認めてるみたいだし、今のところは良い貴族なんじゃないかな?」


 パウロは最後にそう自分の考えを締めくくり、丁度薬を塗り終えたのか薬箱を持って立ち上がった。


「まあ、気になるなら見てくるよ」


「え?」


 ごくあっさりと言われたパウロの言葉を、ラトカは思わず聞き返した。

 見てくる、と言ったって相手となる領主の娘は普段館から出て来ない。それに、一介の見習い兵士であるパウロがエリザと(まみ)えるために館へ入れるかと言われれば、不可能に近いのではないだろうか。


「心配しなくても、変な事はしないよ。ユグフェナ城砦への出兵についていく事になってるだけ」


「……出兵?」


 予想外の言葉に、ラトカは呆然とそれを繰り返した。

 ユグフェナ城砦といえば国境だ。

 このアークシアで、最も危険な場所が唯一友好国でないデンゼル国の面するユグフェナ城砦は、死を覚悟して向かわねばならない場所──そんな事まではラトカは知らなかったが、国境に兵として赴くということがどういう意味を持つのかは何となく分かる。

 しかしそんな事よりも、ラトカにとっては、パウロがこの兵舎を離れてしまうことの方が重要な事だ。


「──戦争に、なるのか?」


 絞り出した言葉は、一番に言いたかった事ではない。

 もしパウロがユグフェナへ行ったとして、ラトカがそれについていく事は絶対に出来ない事だ。

 最悪の場合、パウロが帰ってくる前にラトカは館へと戻されるかもしれない。それに例えそうなっても、ラトカはパウロに別れを告げる事はゆるされていないのだ。


「いや、多分そこまでじゃないと思うよ。向こうの国の比較的アークシアに近い地域で反乱が起きてるから、それに対する警戒体制を取るだけだって聞いた。うちの領で難民を受け入れたの、知らない?」


 難民の受け入れについてはラトカも聞いている。ラトカを村で取り押さえた兵や、拘束していた兵等、ラトカと接した者が難民の受け入れ地に向かったからこそ、ラトカは何事も無く兵舎に居られるのだ。


「うちの領は前の領主様のせいで兎に角人手が足りないだろう?テレジア様とエリザ様、どちらがそれを考えたのかは知らないが、難民の受け入れで領の開発を進めて一気に立て直すおつもりらしい。

 その責任としてユグフェナに兵を出さねばならないのだろう。他の領でも難民受け入れの希望があったか、逆に受け入れに反対する声があったか、どちらにせよ、うちの領だけの話にはならなかっただろうからね」


 いつからそこに居たのか、突然横から口を出してきたのは昼食の盆を持ったカルヴァンだ。彼はラトカとパウロの分の昼食も運んで来てくれたらしく、腰を下ろして二人の文を示した。


「カミルの話では、領民の受け入れにはエリザ様が積極的に動いたそうだよ。それにほら、この前村に燐蛾の対策で水筒を配ったただろう。あれもエリザ様がお考えになったと館の人が言っていたよ。それが本当なら、エリザ様が前の領主のようになる事はないのではないかな」


 話を続けたカルヴァンの諭すような言い方に、ラトカはむすりとしながら「そんなのまだ分からない」とだけ言う。カルヴァンはうん、と穏やかにそれを肯定した。


「そうだね。将来どんな風にエリザ様がお育ちになるかはまだ分からない。でも今領民の為に働いているのは本当だ。……それに、兵舎に来た頃、あの子は毎日一生懸命訓練をこなしていたよ。訓練が辛いのは、君が一番よく知っているだろう?」


 苦笑するカルヴァンにラトカは頷く事も、首を横に振ることもも出来ず、代わりに尋ねた。


「カルヴァンも……ユグフェナに行くのか?」


 見上げた先でカルヴァンはきょとんとして、それから穏やかに笑って頷いた。


「そうなんだ……」


 三人の少女は確かにラトカの頭から消え去っていたが、その代わり、ラトカという名や兵士達との別れの予感を感じていた。

 悲しさと、それから酷い虚しさを感じて、ラトカは言葉を失っていた。

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