同じ名を持つもの・4
軽い夏バテを起こして訓練後に食欲を無くすようになったラトカは、気分の悪い中昼食を詰め込むよりも夕食を狩りに出たほうが良いのではないか、と考えた。
彼は今までに採集も狩りも経験が無い。狩りに出れば獲物はそこそこ取れる筈、というその考えは浅はかなものではあったが、とにかく、その日初めてラトカは午後の狩りへと繰り出した。
「ラトカ、これは?」
「それは火を通せば大丈夫。……あ、そこの赤い茎してるの、掘って。根だけは食べれるから」
直轄地のはずれにある林の中で、ラトカは注意深く野草の採集に勤しんだ。
野草の類は普段から他の兵士が採っていってしまうため、領軍の中では探す労力に対して収穫量が見込めず不人気な食料と考えられている。カルディア領で食用とされる野生のジェレはどこの繁みや林に入っていっても見付けられない事ばかりなのだ。
ところが、ラトカは初めての食料採集に野草を選んでいた。
ラトカを放っておくわけにもいかない領軍につけられたパウロを伴って、彼が入り込んだのはめぼしい野草が取り尽くされた林だった。パウロには一度止められたが、ラトカは気にせずにそこを暫く狩場にする事に決めた。
何故ならそこにはラトカだけが知っている野草が繁っていたからだ。
修道女見習いの少女が村に滞在していた僅かな間に、ラトカに教えたのは貴族の悪評だけではない。
母親が働けず、自身も労働の宛が無くて常に飢えていたラトカに、少女は野草に関する知識を与えてくれたのだ。
葉や実が食べられず、結果毒草として認識されている草や、えぐみが強い事で知られる果肉のせいで捨て置かれている種子など、カルディア領では『食べられないもの』とされる野草の中でも食料として利用できる野草は多い。
広大なアークシアを旅してきた巡回の修道女達は、滞在した先の食料を減らして諍いが起きるのを避ける為、そういった野草の知識を代々受け継いでいるのだ。
「ラトカ、これは?」
「……わからない。知らないやつだから、やめておいたほうがいい」
「了解。……あんまり集まらないね」
ラトカの知らない、5方向に葉脈が向いた葉を差し出したパウロが、それまでに摘んだ草花を見てそう呟く。
ラトカが分かるのはその修道女達の中でも見習いであった少女が教えてくれた、僅か八種類の野草だけで、別段彼は草花の知識が豊富という訳ではない。
パウロも致死性のある毒草に関しては領軍で叩き込まれているものの、野草には詳しくない。ラトカが細かく指示しなければどれを採れば良いのかわからないという状態で、その上一々をラトカに尋ねて確認するのでラトカの作業量は一人の時より格段に多くなってしまっていた。
「そうだね。……明日は野草採集じゃなくて、狩りにしよう」
パウロと二人での採集となると野草の採集は効率が良くない。それを何となく理解して、だがそれをそのまま言うのは憚られて、やんわりとそう口にした。
ラトカの言葉に、パウロは苦笑して頷く。敢えて口にしなかった事を、パウロも解っているらしかった。
採集量もそこそこに、ラトカとパウロはその日は早めに兵舎へと戻った。ラトカが狩りに慣れていないので、暑さも相俟って早々に疲れて動けなくなったのだ。
兵舎の食堂側は日も差し込まず、風通しも良い為過ごしやすい。食堂の隅に腰を下ろして、水を飲んで喉を潤しながら採ってきたものの処理を行う。
根や茎、花弁しか食べれない野草から不要な部分を取り除き、果肉から種子をくり抜くといった作業を黙々と行いながら、ふとラトカはエリーゼの事を思い浮かべた。
そういえば最近、夏バテのせいであの穏やかな少女に会いに行ってない。訓練量が増やされて体力的に余裕が無くなり、続いて暑さにやられて夏バテしていて、ここ暫く訓練後は兵舎で休み続けていたのだ。
今更思い返せば、少女の元へ足を運ばなくなったのは唐突なタイミングだった。訓練量が増える事など事前には伝えられなかったし、何日か続いた雨が上がったと思ったら急に気温が高くなって、そのままラトカはエリーゼに会いに行かなくなった。
ぱったり顔を見せなくなったラトカを、あの少女はどう思ってくれているだろう。
エリーゼならば、やはり心配してくれるだろうか。何かあったかと、ラトカの事を考えていてくれるのだろうか。
不思議とむず痒いような気分になって、同時に不安が渦巻いた。
もしもあの少女が、自分の事などどうでも良く思っていたら。
野草に処理を施していたラトカの手が止まる。
訪ねていった時に、エリーゼが自分に向かって笑ってくれるのが嬉しかった。目を見て、他愛ないことでも話をして、二人してちょっと笑って。
村では最後まで疎まれていたし、ここへ来てから兵舎に移るまでの間に、ラトカの目を見て話をしたのはエリーゼを除きエリザただ一人だった。
兵舎へ来てからも、最初の頃は容赦のない言葉を浴びせてくる兵士達からラトカは逆に目を逸らしていた。
エリーゼに会いに行こう。今剥いている種子も、いくつかお土産に持っていこう。ずっと会いに行かないままでは、エリーゼの中のラトカが価値を失って忘れられてしまうかもしれない。
それは、恐ろしい事だと思えた。
手の平に握りしめた種子はほんのりと甘みがあって、ラトカの知る中では一番美味しいものだ。
もしエリーゼが気に入ってくれれば、喜んでくれれば、それを持ってきた自分の存在がエリーゼの中で大きくなるかもしれない。そんな事を思って、ラトカは次の実の果肉を丁寧に削いだ。
人と普通に目と目を合わせて、穏やかに話をしたい。
居ないものとして扱われるのも、腫れ物のように遠巻きにされるのも、ましてや誰か一人しか自分を知らないという状況も、もう二度と御免だ。かといって嘲笑や罵声を聴くのは心地よいものでもないが。
それが、ラトカの根底にある願望だ。兵舎での生活が嫌じゃないと思ったのは、兵士の誰もがラトカを避けたり無視したりしないからだ。
ではどうして、いつも必ずこの願いを叶えてくれるエリーゼに、会いに行くのが不安に思えるのか。
ラトカの手が止まる。確かにそれは、どうしてなのだろう。肩の力を抜いて、その疑問の答えを探してみた。
──出来れば、誰かに思って貰いたいのだ。
正気を無くした母親は、物心ついた時にはラトカを殆ど認識しなくなっていた。
その代わり、なのだろう。誰でもいい。誰かの一番大切な存在になりたい、とはいわない。
ただ、誰かに心配してもらえる様に成れたら。
……自分の望みを明確にして、自分が一段欲深くなった事に気づいて、ラトカは直後、領主の娘の氷のような顔を思い浮かべて喉の詰まるような感情に包まれた。
あの娘は自分をどうするつもりなのか。
エリザはラトカの生活を奪い、名を奪った。代わりの名を与えたからには、ラトカとして過ごしているこの兵舎にこのままずっと置いておかれる事は有り得ない。
自分が、どうなるのか。
やはり死ぬよりも酷い苦痛を与えられるのだろうか。
……その苦痛とは、もしかすると今ある僅かな他人との繋がりさえも断ち切って、自分を完全に孤独に追いやられるようなものではないだろうか。
嫌な想像にぞわぞわと恐怖のような不快感が足先から這い登ってくる。
頭を振ってその感情を振り払い、ラトカは再び種子を取り上げ、作業に戻り単純な動きに没頭したのだった。




